2009年3月29日 10:34 CAT :
       

夜開く夢の慕情

日々続くただひたすらの悲しみは、一見して関係ないようで、一繋ぎの連鎖である。

ただ悲しいから悲しいのではなく、昨日から繋がって悲しいのだ。

・・・多分ね。

ひとときに思い耽れば、「明日は良い日」と言う言葉の真意は、「今日を良い日に出来なければ、明日の良い日など来やしない」と言う逆説的な戒めであるようにすら感じてしまう。

「悲しみ」と言う言葉が好き。

何が良いのか分からない。

けれども、オレは原因の分からない好きこそ、本質的な好きだと思っている訳で、とどのつまり、本当に「悲しみ」と言う言葉が好きなのだと思う。

よく考える。

悲しみについて、よく考える。

なぜ悲しいのか。

聞えの良い一般論で語るのなら、それはキッと笑うため。

ただし、そんな話は便所のドブネズミもゲロ吐くようなドス黒い気分になると言う前提は置いておいて・・・本来悲しみは、ただ悲しみであると思う。

独立した一つの感情である悲しみが、人格を持ち歩き出すと言う曲を書いた事がある。

「悲しみを具現化出来る世界」と言うヤツだ。

誰からも嫌われ、本当は一緒になど居たくもないと忌み嫌われた結果、単独でいつまでも続く感情となったであろう悲しみにひどく心持ちを揺さぶられる。

泣けばスッキリする。

そしたら、多分笑える。

それでも、交わる事の出来ないまま隅においやられ、次の連鎖へと繋がるだけの悲しみをいつまでも持ち続けていきたいと今更になって強く思う。

昔読んだ昔話に「貧乏神と福の神」と言うのがあったな。

きっと同じ事だ。

「貧乏神と福の神」については、興味あれば読むよろし。

心晴れやかになるステキ昔話なので・・・

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