- 2008年7月12日 13:36 CAT :
-
御辺の描く世界では大の字で眠る事など出来るはずもなく
「バカボンド」って面白くない。
その場の空気に流されて、本当の所面白いのかどうか分からないままに読んでる人だってキッと多いはず。
そんな偏見の上に立脚してあえて言います。
「バカボンド」って面白くない。
とは言えども、井上雄彦の作品には恐ろしいセンスを感じる。
異常とまで思える書き込み、一切の狂いのないデッサン、筆を使った躍動感のある絵、その全て、1コマ1コマが絵画レベルの完成度。
コマだけちぎって、絵画展を開いたって、その辺の画家さんより素晴らしいものになる事は受けあいだと思う。
ああ言う人を天才と言うんだろうな。
でも、「バカボンド」は面白くない。
だって、あれはマンガじゃないもん。
絵のレベルは最高峰だとしたって、マンガとして読んだ時に、オレが大好きな、夜通し狂ったように読みふけってしまう類のマンガと比べて全然面白くない。
「スラムダンク」の頃のマンガとしての面白さは一体ドコに行ってしまったのか・・・今は、タケヒコイノウエは天才アーティストであって、漫画家じゃないと思う。
当たり前だけど、面白いマンガを描くって事と、絵がうまい事って同義語じゃない。
絵はうまいに越した事ないのかも知れないけれども、絵がうまい人は、絵で表現すればいいんだと思う。
マンガを描くのなら、マンガで表現するべきだ。
マンガの神様「手塚治虫」が、まともなデッサンが全く取れなくて、きれいな絵が描けなくて、後輩漫画家の絵のうまさにひたすら嫉妬してたってのは有名な話。
マンガの神様になる為に絵の技術は必要ないのだとしたら、絵のうまい漫画家が何ぼのもんだろう?
最近はまってた「水木しげる」は、本当に色んな絵柄を自由に書ける人だったらしく、素晴らしい芸術的な絵を描くことも出来る。その上で、マンガを描く時には、あえて「ゲゲゲの鬼太郎」のような画風で描いていた。
キッと、マンガって言うものに「絵のうまさ」は必要ないと知っていたんだろうな。
オレの大好きなマンガ評論家の夏目房之介さんは、「水木のマンガは、重厚な書き込まれた背景の中に薄っぺらな人物をあえて重ねる事で、自然界における人間のちっぽけさを強調する技法を使った」って表現している。
要するにそう言うことだと思う。
マンガにおけるリアリズムの追求は、必ずしも写実的であったり、実態に近い必要はない。
昔っから「スラムダンク」の頃の井上雄彦とよく似た絵柄を描くなぁ~と思ってた大好きな漫画家に小林まことって人がいる。
この人の絵は、一見リアリズムのようにも見えるんだけれども、表情もデッサンもデザインも全て漫画的。
よく考えたら、そんな表情しないだろうとか、そんな顔の作りの人間が居るわけがないと言ったものばかり。
それを、リアリズムに見せる事が出来るって事が、キッとマンガにおける絵のうまさなんだと思う。
実際小林まことのマンガは(特に「1・2の三四郎」は)寝るのも忘れて読みふけったし。
後、沙村広明も同じ類かも。
・・・とマァ、いかにも「井上バッシング」してるようだけれども、コレはただ単に「絵が下手でもマンガ描いてもいいんだ。」と言う絵が下手糞だけど、マンガを描くのが好きなオッサンのいい訳めいたたわ言です。
(「スラムダンク」も「カメレオンジェイル」も大好きだって。
「成合雄彦」の頃から読んでるって。)
だからあんまり気にしないでいいです。マンガを絵で読んでもいいと思うし。
(ただ、そう言う読み方する人はお近くの美術館に足繁く通った方が面白いと思うけど)
マンガを描く場合の絵のうまさは、自分の表現したいマンガが表現できるための技術。最近はそう開き直って、デッサンが狂おうが、顔のバランスがおかしかろうが、遠近感がおかしかろうが好き勝手に描いております。
・・・って、最近マンガ描いてないなぁ~
マンガ描きたいなぁ~ - この記事を見てみる ⇒