2008年7月18日 11:46 CAT :
       

運命戯曲の作者

あれは・・・高校の頃だったか(もしかしたら、大学の頃かも)・・・「演劇的人生」と言う脚本を書こうとした事がある。

人間の人生は、実は、誰かによって作られた演劇で、本人はその事を知らないまま(あるいは知らないフリをしながら)役柄を演じ、そしてそれを誰かがどこかから見ている。

それに気が付いてしまった、主人公がその演劇的人生から逃れるために四苦八苦すると言う物語。

結局は書かなかった。

理由は、手塚治虫のマンガ作品に全く同じネタがあったからで(タイトルど忘れした)、いくらパクリ大好きなオレでもまずいだろう・・・と言うくらい、そっくり。

と言っても、この「演劇的人生」に関しては、パクリではないんだけど・・・

元々この話は、自分の人生とは何か・・・?について、深く考えている内に「キッと誰かによって意図して作られたんだ。」と言う思いが強く出るようになった事が元ネタになっている。

面白い話を聞いた。

実は、自分の人生は生まれてくる前に自分で考えて書いたものであると言う見解があるらしい。

それは「ムー」的な話でもないらしい。

(マァ、見ようによってはムー的だけど・・・)、アメリカの精神学者が催眠によって過去を根掘り葉掘り調べようという「退行催眠」をしていて、自分の人生の前の人生まで戻ってしまった時に、そう言う話が出てきた事が発端となっているみたい。

被験者は、自分の運命について、自分で書き書きして、その後生まれてから、その人生を歩んできていると分かったとか何とか・・・

だとしたら、オレは、自分の人生をどう言う風に書いたんだろうか?
ひとつ面白いと思った事。

例えば、オレは自分で嫁の存在を(と言うかコレまで、出会ってきた全ての人か)自分の人生の話の中で書いて、実際にその人と出会ったとする。

別にそれはいいんだけれども、じゃあ、嫁はオレの考えたあくまでもオレの人生における登場人物なのか。

逆に言えば、オレは、嫁の人生のなかでキャラ設定されただけの登場人物ではなかったのか?
そう考えた時に、皆が皆自分の人生を生まれてくる前に書いていたのでは、いくつか矛盾が出てくる。

オレが書いた嫁の存在と、自分の人生を書いてそれに準じている嫁とは、実は違う存在。

「自分と他人では見える世界が違う」と言われる所以であるとも考えられるけれども・・・それも何だか違和感を感じる。

矛盾のない答えを考えた結果、この物語を書いた人間は1人だったという結論に行き着いた。

つまり、オレも嫁もこの物語を書いたヤツによって作られたモブシーンのキャラの1人だった。

ただし、この物語では、モブシーンの人間にだってもちろん「60億のキャラ設定」が付けられている。

結局は、自分が主役だとおこがましい事を言わなければ、冒頭の「演劇的人生」の内容こそが、納得の出来る話。

ただ、オレがキャラ付けされたモブシーンの1人なのか、60億のキャラ設定を考えた人間なのかは分かんないけども。

世界の存在ってのはなんだ?

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