- 2007年11月23日 1:32 CAT :
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詫びさびエントランス
業界をうならせたと言う菊地凛子の乳首・・・是非とも見てみたい。
何でも、チョッと黒ずんでいて大きめだとか。
豆乳首よりはやっぱり少し大きい方が良いよな~。
(この前見たAVの女優さんが圧倒的豆乳首だったな~。
マァ関係ないけど)後、色がピンクじゃない所も何だかチョッとエロティック。
と嫁に話して「バカ」と言われてしまおう。
そうしよう。
と言うか!!これを見ておくれ!!お前さん!!(↓)
苦節3日。氷竜をひたすら倒し続ける事約200匹。
ついに落としてくれました。
「竜槍ゲイボルグ」。
何度かロマサガ2はやってきたけど、初めて落とした。
そして初めて「下り飛竜」を見た。
「無双三段」の方がカッコいいような気もするけど、レア度が高いから問題なし。
「へうげもの」を読んでおります。
これまでの既成概念を覆す圧倒的時代劇。
かつて読んだ全ての書物の中で最高にカッコ良かった信長の死に様には感激した。
やっぱり山田芳裕は天才だ。
悔しいけど。
その中で(と言うか普通に詫びさびの話だけど)豪華絢爛から離れ、極限まで無駄を省く事こそ真に日本人の趣であると千利休が語っている。
それをゲームに当てはめよう。
昨今のゲームの無駄な高画質。
無駄な高音質。
無駄な萌えキャラ。
無駄に回りくどいシステム。
無駄な付属品。
無駄に難解な操作性。
無駄に作られたやりこみ要素。
無駄無駄無駄無駄URYYYYY・・・・
ゲームにおける最も極限まで無駄なものを排除し、必要最低限を極限まで高めたものは1992~95年頃に発売された名作の数々だと思う。
もちろんロマサガ2もここに入るのだけれども。
汚い画像の2頭身のキャラと噴出しだけでも人間は十分に頭の中で想像して感動する事が出来るし、つたない単音の音楽でもそこにかっこよさを見出す事が出来る。
単純なシステムの中、製作者側の意図を超えるようなやりこみや楽しみ方を見つける事だって出来る。
と言うか、その方が多分楽しかったはずだ。
製作者側の狙いが見え見えのめんど臭いやりこみをなぞったって何にも楽しく無いんだって。
この千利休の説く「詫びさび」は全てのものに通じるのかも知れない。
極限まで無駄を省き、残るものを極限まで昇華した時、本当の形が見えてくるのかも知れない。
500年近く昔の人だってのにすでにそんな心理を見出していたなんて、昔の人はよっぽど暇だったんだろうな。
暇であることが素晴らしい。
物事を考えて、良い方向に向けて行ってたんだろう。
必死になると、考える事が出来なくなるもんな~
ちなみに、オレはまだまだそんな境地に立てるはずも無く、毎日無駄に飾り付けて生きております。 - この記事を見てみる ⇒