- 2006年7月15日 3:02 CAT :
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かはすさ~完成・発展・衰退・才能の頭文字~
今日は色々あった。
入社試験の面接とかね。
マァ、その辺の詳しい事は置いといて、一つだけ気になった事をツラツラと・・・
「キッチリとした基礎を成り立たせて、技術を身に付けないまま無駄にオリジナリティーを模索するヤツはダメだ。
そんなヤツは絶対にいいものを作れない。」って言われた。
・・・コレってオレの事だよな・・・間違いなく。
オレは、音楽だけは勉強したよ。
それこそピアノの先生についてたり、基礎的知識を勉強したり・・・その上で、曲とかを書いてたよ。
・・・でも、その他の事は全て我流だ。
マンガだって、小説だって、演劇だって全部我流だ。
基礎なんか何にも知らない。
だからマァ、その辺のオレの作るものは全部大した事ないものって事になる。
今日の話からすると。
・・・でも、それを認めてくれてる人がいる事も事実。
要は、見る(あるいは聴く)人の主観の問題なんだと思う。
例えば、文章の事をしっかり勉強したヤツがいたとしたら、オレの文章の句読点のうち方にひどく違和感を感じると思う。
だって、オレの句読点のうち方は、正しい日本語的にはおかしいんだもん。
でも、そこをあえてオレは恣意的にうってる。
だって、正しくなかろうとも、それがオレの書く文章の息遣いだし、個性だと思ってるから。
音楽に関しては(特に作曲に関して)割と勉強した。
でも、今はその知識を全部なかった事として、曲作りに勤しんでる。
何となく、頭でっかちに知識を選考して作ってくと小さくまとまった感じになるし、基本なんか無視してやった方がおもろくて、いい曲になってる・・・気がするから・・・って言っても。
コレはあくまでもオレの主観を通した感想であって、別にオレはそこに他人の理解を求めてないってのも大きいかもしれないけど。
何しか無理に勉強しなくたって、やってて楽しい事とか才能のある事は学んでいけるもんだと思うよ。
オリジナリティーを求める事に関して悪いとは思わないし。
真似から入る。
基礎から入るって事も大切だと思う。
時間的効率から見れば絶対そう。
でも、基礎ってのはある意味極致的だからオリジナリティー先行でも、最終的にそこに到達するもんなんだよ。
時間はかかるけど。
その時間の長さは、才能に比例するんだろうな。
多分。
この前、初めて「マンガの描き方」なる本を読んだ。
そこには、オレが17年間マンガを描きながら少しずつ編み出していった技法が、基礎として載ってたんだわな。
つまり、オレは本を読んだら一瞬で知る事の出来る知識を、17年もかけて、自力で編み出してた事になる。
マァ、オレの才能なんてそんなもんだ。
でも、だからって一瞬で学ぶのと、17年間かけて自分で積み上げていくのとで、知識レベルが同等なら、オレはやっぱり後者の方が何となく好き。
愛着も湧くし。
とか何とか偉そうに言ってるけど、それとはまた別に色々とちゃんと勉強もせんとなぁ~・・・とも思うよ。
正直。
それにそんなに長い時間待ってくれないんだよ。
今の社会は。
そんな話。
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