2005年11月29日 0:38 CAT :
       

「悲しみを具現化できる世界」についての個人的な考察

「悲しみを具現化できる世界」。

これはもちろん、オレが今月の頭まで書いてた小説「夢喰いバクヲ」の中の一説なんだけど(読んだ事無い人は「沼レコHP」に入って読んでみてね)さて、今日はこの一部分について本編とは別のノリで掘り下げてみようと思います。

何で?何となく思いついたから。

そもそも設定上では、人が悲しみを覚えた時、その悲しみが具現化してさらにもう一つの人格を持って歩き出すって事になる。

・・・具現化した悲しみの姿って、きっとその悲しみに内容によって様々な姿をしていて、その多くは忌み嫌われ、虐げられて生きていく。

と言う事は、惹かれるような容姿ではないように推察できる。

しかし、悲しみの多いこの世の中、どんどん悲しみは増え続けて、いつしか世界の中で溢れていく。

ヒエラルキーにおいて優位に立った悲しみ達は、その忌み嫌われる容姿とは関係なく世界を支配し始める。

そうなると今度は、人の容姿が忌み嫌われ、虐げられ始める。

でもそれに悲しみを覚える事は、更なる悲しみの増殖になるので、人はいつしか悲しくても笑うようになる。

・・・気が付けば感情の破綻した人間へと変貌していく。

笑いの強制と悲しみの排除は文明の破綻すらも余儀なくしてしまう。

え~と・・・今現在、日本じゃあ「笑いを強制」しているように思うのはオレだけなんだろか?世の中暗いことばっかりだ。

テレビで位笑っとこうじゃないか。

それを皆が求めている。

と言うのなら、それこそまさに、笑いの強制と悲しみの排除に他ならないんじゃないの?
人格の破綻した人間・・・確かに増えてきてるよな・・・その原因は一概には言えないけど、上記のような事もあるのかも知れない。

そう言えば、「グルムグンシュ」で、母親の毒殺過程を公開してた女子高生の話もう出なくなったな。

興味がなくなれば、重要性や危険性に関係なく忘れ去られる。

それは良い事も悪い事も同じですね。

プププププ。

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