- 2023年10月8日 12:14 CAT :
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過去の自分を見つめ直すと言う名の水増しシリーズ第2段「【転落の詩集m7】と言うコード」
先週、体調不良で寝込んでた。
もう年だわ。治りも遅い。
やることいっぱいあるし、やりたい事もいっぱいあるのに2日ほど寝込んで無駄にしてしまったんだよ。
ブログのストックも余裕でつきておる!
そんな事を言い訳にして、「過去の自分を見つめ直すと言う名の水増しシリーズ」の第2弾をお送りします。
ここ数年間、このブログの記事人気ランキングでほぼずっと不動の1位は、オレがスーパーファミコンの「バス釣りNo1」でフロリダバスを釣り上げた時の話なんだけど、ずっと2位も不動で、それが今回取り上げようと思った「【転落の詩集m7】と言うコード」と言う記事。
10年位前に書いた奴なんだけど、これ多分、ここ10年くらいで記憶に残っている中では、個人的にも一番くらい好きな奴だと思う。
自画自賛が過ぎたな。
気持ち悪いおっさんですみません。
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犬神明兄さんがブログで、面白い話を書いていた。
「コード(和音)は、性格音の半音の差で、メジャーとマイナーになり、凄まじく印象が変わる」と言う、まぁ、音楽をチョッとでもかじった事がある人なら「そりゃあそうでしょうね」と思わずにはいられない話。
改めて考えると、まぁそりゃあそうだ。
一般的にコードとは、基本的に元となる根音と、それに付随する性格音から出来る和音の事を指す。
性格音は根音から3度音上がった音の事なんだけど、その性格音が、半音下がると、コードはメジャーからマイナーに変わる。
何を当たり前のことをと言うかもしれないけれども、一応復習しておいても良いじゃないか。
貴方が当たり前だと思っている事が、実は当たり前じゃあないみたいな話は、この世の中には腐るほどあるわけですよ。
まぁ、そんなこんなで、要は性格音が半音変わるだけで、明るいメジャーコードから、暗く悲しいマイナーコードになってしまう。
どうでも良いけど、基本的に、オレは曲を書くときにマイナー調な曲が多い。
その理由は良く分からないけど、きっと心が病んでるからだと信じていたい。
この話について、「ふ~ん」で終わらせてもイイんだろうけど、チョッとこれを飛躍させて考えてみようじゃないか。
例えば、人生に置き換えてみる。
幸せな人生と不幸な人生なんて、実は、半音上がるか下がるかだけの差なのかもしれない。
根音と言う絶対的な要素がある。
それが、人生における絶対的な出来事だとすれば、性格音は、その時々の心の持ちようだと言えると思う。
そうした時に、心の持ちようが、半音上がるか、下がるかだけで、実は幸せな人生と不幸な人生が決まってしまうのではないか。みたいな話。
めっちゃ金持ちだけれどもシガラミが多くて不幸な人生があるかと思えば、クソ貧乏だけれども自分のやりたいことを自由にやって常にニコニコしている幸せな人生もある。
めっちゃ金があってなんでもやりたい事ができるから、シガラミくらい屁でもない幸せな人生だってあるだろうし、クソ貧乏だから惨めでしょうがなくていつも下向いてる不幸な人生もあって然るべき。
「じゃがたら」の大名曲「もうがまんできない」の中で、江戸アケミは繰り返し「心の持ちようさ」と歌い続ける。
人生は全てそう言う事なんだと思う。
と、そんな話を何か例え話とか考えてたけど、ふと大好きな漫画家さんの西岸良平先生の「転落の詩集」を思い出した。
まさに、そういう話だ。
詳しくは、自分で読んでみればいい。
ちなみに、人がなぜマイナー調の音楽を聴くと悲しくなるのかについては、まだ原因が解明されていないらしい。
それと同じく、なぜ不幸な人生がいけないのか。も、きっと解明されていないんだろう。
不幸なことはいけないのか?
幸せでなければいけないのか?
幸せとは何なのか?
不幸とは何なのか?
そんな哲学的な事を、人の心の根源からもう一度考え直してもいいのかもしれない。
西岸良平先生の初期の超名作短編集「魔術師」の中の一片「転落の詩集」。
この本ですな。
未読の方はぜひ読んでみてくださいな。
関係なけど、西岸良平先生の初期の短編集はどれもこれも本当に素晴らしい。
個人的に一番好きな短編集は「ヒッパルコスの海」だと思う。
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