- 2025年3月25日 11:11 CAT :
-
ダイヤモンドはただの「意思」
先日、娘の卒業式があった。
もちろん卒業式には嫁と2人で出席してきたよ。
娘は、赤ちゃんの頃から本当に見た事ないくらい臆病で泣き虫。
家族親族郎党に「どしたの?この子?」と言われるレベル。
実家に連れて行くときに、実家への道を曲がり始めるくらいでは泣き始め、その後実家でいる間ずっと泣き続ける。
余りにも皆から「いつまで泣いてるの?」と言われるので、親戚の集まりとかに行くのが辛くてしょうがなかった。
初めての子育て。
当時読んでた育児本に「30分以上泣き続けた場合には体に異常がある場合があるので病院へ」と書かれていた。
娘が1時間以上泣き続けて顔色が悪くなって救急外来に連れて行った事も何度かあったけど、毎回異常はない。
ただただよく泣く子だっただけらしい。
あの頃は、子育ての事何にも分からなくて、嫁と2人で良くパニックになってたな。
抱っこ紐して階段を上り下りするとなぜか良く寝てたので、当時住んでた家の階段を毎晩何百回も往復してたのも記憶にしっかり残っている。
息子が生まれた時には「こいつ全然泣かないんだけど、まさか痛みとか感情がない障害でもあるのか?」と真剣に悩んだもんですよ。
そのくらい臆病で、泣き虫だった娘。
小学校に入学してもそんな性格だからクラスメイトに嫌がらせされたりして、いつも帰ってきては泣いてた。
それでも「がんばって学校にいく」と涙をこらえて、口をへの字にして、大きいランドセルを背負って学校に行く姿をずっと見ていた。
親バカだと言われるかもしれないけど、小学校での娘の頑張りはまぢで凄かったと思う。
運動が苦手だったからと毎日マラソンするようになり、体操教室や硬筆の塾に通い始め、先生から「やってみない?」と言われる色んな事に挑戦しまくった。
オレは塾とかに行くのが大嫌いだったから子どもたちに強制したことは無いと言うのに、勝手に学校で話を聞いてきては「コレをやってみたい」と言ってくる。
クラスのはみ出し者で皆から嫌われて嫌がらせをされていたは泣いていた娘が、6年生になった頃には毎年学級委員に選ばれて、児童会の役員をして、学校の運営委員会に入って、学校の代表として市長さんとの討論会に出席したり、習字で県から表彰されたりするようになった。
「どしたの?この子?」と言ってた親戚からは「あなたの子とは思えない」と言う良く分からない賛辞を貰うようになってた。
友だちもいっぱいでき、いつもみんなと楽しそうに笑っている。
そんな娘を見ながら、これまでの過程を思い出すと、涙が止まらなくて式中に号泣してしまった。
嫁の話ではオレは泣くのを我慢してる時「うぅぅううううう・・・」って唸る癖があるらしく、式中ずっとオレの「うぅうぅぅぅううぅ」って唸り声が体育館中に響いていたらしい。
こんなの我慢できるわけない。
人生にはまだまだ全然困難がたんまりあるだろう事は分かってる。
まだ娘の人生は序盤も序盤。
これから更に大変な事が沢山あるんだろう。
それでも、ひとまず卒業できたことを今はお祝いしたい。
そんな気分で、久々に夜お酒を飲んでおりました。
嬉しい事があった夜に飲めないお酒で晩酌をする。
すっかりおっさんになったもんだ。
でも、今日くらいは良いじゃあないか。
そんな気分の夜。
- この記事を見てみる ⇒