2025年7月10日 12:12 CAT :
       

ストロベリーソングオーケストラさんのアルバムレビューを全力でやってみるよ~その1「夜儿、あらわる!」

6月以降、ストロベリーソングオーケストラしか聴いておりません。

と言う話を以前、チラッと書いたんだけど、せっかくなのでちゃんとした感想を書いてみますぜ。

いやホント、ずっと聞いていられる超絶名盤なんですよ。

書かずにいられない。いや、書かせてもらいたい。

と言う事で、今回は最新アルバム「夜儿、あらわる!」から。

読み方は「よる、あらわる」ではないですよ。「よひと、あらわる」ですよ。

ストロベリーソングオーケストラの怨源、一応手に入る分は全部持ってると思うんだけど、どれをとっても全て1枚で一つの作品となっている。

通して聴く事でまるで一つの映画を見たかのような感覚に襲われるんだけど、もちろんこの「夜儿、あらわる!」も該当する訳で、一つの映画のような目くるめく体験をすることができたりする。

まぁ世の中にはそんなコンセプトアルバムと言うものは色々沢山あるんだけど、このアルバムが一味違う所は1曲目が「鵺的なミザリー」だと言う所なんだよね。

昨年シングルカットされた名曲で、このアルバムの言ってみればタイトルチューン。

一般的なコンセプトアルバムでは大体1曲目は導入部分の意味合いのものが多い。

実際、ストロベリーソングオーケストラのこれまでの怨源でもそれは当てはまる。

前作「切り裂くジャップ」でも、大名作「血の濫觴」でも。

ところが今作はそれがない。

1曲目からフルスロットル。

それだけでも、「あれ?こいつはチョッと違うぞ」と思わされてしまう。

・・・と思ってたら、そこから7曲の間、1ミリたりともダレることなくずっとスロットル全開で駆け抜けていく。

「鵺的なミザリー」はこれこそストロベリーソングオーケストラとも言えるプログレ色の強い超名曲。

美しいメロディーラインと何重にもなる展開に圧倒される。

そのまま2曲目のハードコアパンクなノリノリ楽曲「夜儿、拝みます!」に突入。

テンションがぶち上がちまう。

そもそも、こんな心地いいハードコアパンクをオレは知らねぇ。

まさに「だらにだらにだらに!」ですよ。

そして3曲目「欠損モンタージュ」と4曲目「カーニバルの日」。

シンフォニックメタルとでも形容すればいいのか、途轍もなくスケールの大きい2曲が続くこの展開もまた最高なんよ。

この手の美しい楽曲大好きなんだけど、それだけなら「LOVEBITES」を聴いておきなさいよ。となる訳かも知れない。でもそれだけじゃあない。(いや、「LOVEBITES」も大好きなんだけども)

ただ美しくカッコいいだけじゃあない。

「欠損モンタージュ」は、悲哀と絶望と悪意が織り込まれた珠玉の名曲。

これだけ色んな顔を持つシンフォニックメタルがあってたまるか。

そして「カーニバルの日」では、これまでのストロベリーソングオーケストラともチョッと違う爽やかなイメージが漂う。

新メンバーの七音緋朗さんの作曲だからなのか。ここにきて新しい風まで感じさせてくれるとか、サービス精神が異常過ぎる。

とは言え。とは言えだ、ここまでの楽曲はどちらかと言えばキャッチだと思う。

やっぱり一般流通に乗せると言う事は、それなりに聞きやすい曲が必要とかそう言う事なのか。と言う気持ちもチョッとあった。

そこで「臨終」ですよ。

個人的にはこのアルバムで一番好きな曲。アングラ150%。

気持ちが負の方向に気持ちよく吹っ切れる曲がねぇ・・・好きで好きでたまらないんですよ。

しかも、ただアングラなだけじゃあない。何と言うんだろう、アングラなのにキャッチで聴きやすいと言う結構前代未聞な感じ。

「レティクル座妄想」の中でもトップクラスに好きな「ワダチ」を彷彿とさせるんだけど、「ワダチ」の地下1000mくらいに位置する曲なんだよなぁ。

ホントたまらん。何度聞いても鳥肌がスゴイ。

で、恍惚の表情で涎垂らしてるところに「終廻に咲く青」。

このアルバムで最も重い1曲だと思う。

今度はヘヴィメタだと・・・

しかも、これが重いのに縦ノリ。信じられない・・・カッコいい。

間奏部分のポエトリーリーディングがメチャクチャ好き。

マジで凄い。ゴメン、凄いとしか言えないわ。語彙力なくてごめんなさい。

ここに来て思ったけど、この人たちの怨源をジャンルでくくろうとしてたのが間違いなんだろうな。

そして、最後に「逢魔が時に、スレ違う」と。

これまでと比べ少し落ち着いた楽曲。

とは言え、この曲自体もただ気持ちを落ち着かせるための〆の1曲・・・な訳がない。

何と言うか「鏡町」に迷い込んだかのような不思議な感覚になる。

昔「夕闇通り探検隊」と言うプレステのゲームをしてた時を思い出すような不思議な感覚。

夕方の寂れた鏡町の中を一人歩いていて、ふと後ろを振り向くと怪人赤マントが立っていたみたいな感じ。良く分からんな。でもそんな感じ。

これだけ気持ちをぶち上げておいて、こんな不思議な感覚に包まれたままアルバムは終わっていく。

・・・と思うだろう。

CDだけの特別な展開があるんですよ。

でも、ネタバレはしないよ。

CDを買った人だけがこの体験をすれば良いと思う。

全15トラックを聴き終わった後、ただただオレは呆然としていた。

本当に呆然としか言いようがない。

感情の置き方が分からない。

こんな気持ちになったのは、ホント久しぶりだった。

6月の頭に「切り裂きジャップ」を聴いて以来だった。

・・・

・・・

・・・

と、こんな感じで、あまりにも書きたい事が多すぎて、普段の3倍くらいの長さになってしまった。

これでも、全然書き足りない。

もっと書きたい事が沢山あったのに・・・こんなふんわり上辺だけをなぞるような感想書いて何が「全力レビューじゃぼけ」と言いたい。

歌詞についても、演奏についても、そもそものこのアルバムの意味と意義についても、もっともっと深掘りして色々書きたかったのに・・・

取り合えずですね、ざっくりと聴いてみての感想だけで2000文字を超えてしまった。

いつものAIさんに校正してもらおうと思ったら「3000文字以上は有償です」と言われてしまった。

なので、いつも以上に誤字脱字があるかも知れないけど、そこはご愛嬌と言う事で・・・

取り合えず総評としては、ストロベリーソングオーケストラと言う集団の途轍もないポテンシャルを全開にした、まさに集大成と言えるクソ超絶名盤だと思う。

最高傑作だろうと思ってた「血の濫觴」を遥かに超える名盤がまさか15年経ってリリースされるとは思わなかった。

「鏡町にて」から始まった物語が、「血の濫觴」を経て、「切断ダリア」が生まれ、「テ・キベクナ レ・テスエナ」、「二十一世紀狂闘旗手」からの「切り裂くジャップ」へと連綿と繋がっていた唯一無二の存在「ストロベリーソングオーケストラ」と言うジャンルがこのアルバムで遂に完全な形で確立した。

そんな印象を受けた。

正に集大成と言うべき作品だと思う。

宮悪座長が化け物なんだろうけど、それだけじゃあない、それはまさに関西アングラ界に君臨する帝王の貫禄とも言うべきもの。

「スルメアルバムだ」とか、「熟成された音楽が聴いていて心地いい」とか言う大御所バンドの新作に対する戸惑いを含んだ古参ファンの賞賛とは全然違う。

300%最高の名盤。

一聴するだけでその凄さが分かるし、その世界に取り込まれる。

それが「夜儿、あらわる!」でございます。

結局ね、どんなに妄想の世界にどっぷりつかっても、妄想は現実の逃避なんですよ。

と言う事で、一応次回は「切り裂きジャップ」について書いていく予定でございます。

多分・・・

近日中に・・・

生きていれば・・・

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