2011年12月20日 22:39 CAT :
       

乱れ雪月花と地ずり残月

ニコニコとかで、「○○を歌ってみた」や「〇〇を弾いてみた」ってのを投稿してる奴に対して、本人かと思って再生したら歌ってみましただった時の憤りをいかにしてぶつけてやろうかと、そんな事ばかり考えてる時期も有りましたよ。

ええ。

ええ。

それやる暇あるなら、自分で曲をかけ。

バンドを結成しろ。

とか、思っている時期もありましたよ。

ええ。

ええ。

表現の方法として、そんなの認めないね。

と、思ってる時期だってありましたよ。

ええ。

ええ。

でも、知り合いがそれやり出した頃から、少し考え方も変わってきた。

まぁ、きっと、そんな方法もありなんだろう。

知らんけど。

そして、オレはやんないけど。

いつになっても、自分の作るものがこの世で一番自分に対してしっくり来る。

少なくともオレは。

と言う、話だ。

・・・と思う。

多分。

さてさて。

ここん所、懐古感に最悩まれることが何だか多くなってきた。

不意に思い出す、あの日、あの時、あの瞬間の匂いや空気が頭の中で、ぼんやりと情景を作り出すと言う不思議な感覚。

それも、良いことなら良いけれども、良いことよりも嫌なことの多い人生だし(まぁ、大概の人間はそうなんだろうけど)結局は、何だか、胸が締め付けられるような、そんな心持ちになってしまったりする。

でも、幸か不幸か、実に色んな体験をしてきた。

最近は、家の裏にあった「古墳」と読んでた小だかい岡の上で、火遊びをしていた時のことを考えていた。

小さな穴を掘ってその中に、カエルを一匹入れる。

そして、その上に枯れた草を置いて、カエルを蒸し焼きにして殺すと言う、絶望的な遊び。

今にして、考えれば、とんでもない事をしてたんだと思うけれども・・・

季節は冬。

枯れた草と冷たい風、そして、焦げた匂い。

ただ、ひとつだけ。

そのとき、オレ自身が、一体どんな心情だったのか。

それだけが、どうしても思い出せなかったりする。

何を想って、生きたカエルを蒸し焼きにして殺していたんだろうか・・・

あの頃は、日野日出志じゃあないけれども、残酷なことばかりやってた。

命が亡くなっていく過程を見るのが好きな時期も長かった。

トンボの心臓を取り出して、手のひらの中で、鼓動が止まるのを見つめていた事もある。

的屋の仮面みたいに、昆虫の生首だけコレクションしたりもしてた。

粉々になる命を見続けた子ども時代。

その懐古感にとらわれて、時々、脳内で再生される物語を救いとっていけば、それが、なんだか面白い作品になったりするんだから、それが、必要な通過儀礼だったのか。

今はもう分からないけれども・・・少なくとも、無駄ではなかったような気がする。

今は、ただ、そうやって作り出す時間が欲しい・・・

引き出しの中に貯まっていかない毎日なんだよ。

そして、出すこともない毎日。

ある日、ふと開けようとすると、引き出しはもうあかなくなってしまってた。

ら、どうしよう。

そしてまた、懐古感にとらわれる。

さようなら。

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