- 2012年4月8日 11:55 CAT :
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凍えそうなカモメ見つめ泣いていました
オレの音楽の目覚めは、たぶんポケットビスケッツだと思う。
そして、globeに以降して、サザンオールスターズになるだろう。
実は、そん前に、ちょっとだけB’zがあったりする。
個人的には、「こわいですねぇ~のテープ」なるものが存在しているわけだ。
(その存在については、家族しか分からんだろうけど・・・)
ただ、最近、気が付いてしまった。もっと前に、オレの音楽の目覚めがあった。
それは、おかんが、オレに絶対音感と音楽の英才教育を施すため、ピアノを習わせていた時のこと。
幼稚園に通うころに話だ。
当時、オレは、何か知らんけど、両親共働きだったこともあり、じいちゃんばあちゃん子だった。
それも、幼稚園に入るまでは、おかん方のじいちゃんばあちゃんに預けられ、幼稚園に通うようになって、親父方のじいちゃんばあちゃんに色んな経験を施してもらったと言う、筋金入りのじいちゃんばあちゃん子だったりする。
おかん方のじいちゃんは、芸術はだが実に好きで、そして、プロレスが大好きだった。
絵を描いたりするのは、子のじいちゃんの影響だ。
おかん方のばあちゃんは、オレに「きんちゃんネコ」と言う妄想の物語を毎日話してくれた。
オレが、日常的に、現実と妄想の区別なく、悶々としてるのは、このばあちゃんの影響だ。
で、親父方にじいちゃんばあちゃんは、実にカラオケが好きだった。
(ばあちゃんは途中から、諸事情によりやめちまうけど。)
家の離れには、レーザーディスクのカラオケがあり、じいちゃんとばあちゃんはしょっ中のその離れでカラオケをやっていた。オレと、妹もよくそこに入り浸りだったりしたような気がする。
そして、そこで気に入った歌があると、テープにダビングしてもらい、ラジカセと言うにはあまりにも陳腐なテープ再生器にマイクをつないで、2人で歌っていた。
ジャンルは、もちろん「演歌」。
「河内男節」「昴」「麦畑」「心」「天城越え」「1円玉の旅ガラス」「酒よ」「与作」「無我夢中」「歩」「津軽海峡冬景色」などなど、この辺りは今でも、完全に覚えてしまっている。
それを、音楽の目覚めと言えるのかどうかは分からないけれども、確かに、幼稚園から、小学生のころにかけて、バイエルなどでピアノを練習しながら、演歌をひたすら歌ってたのだ。
最近ふと、演歌のCDを見つけて聴いてた。
すると、当時の事をありありと思い出してきた。
妹と二人で「麦畑」をデュエットしていた事や、「無我夢中」に振付を付けて歌いながら踊っていたことを・・・
なんか、自分で作る曲にどうしても「和風」の要素が入るのは、たぶん、この頃に淡い記憶が関係してるんじゃあなかろうかと、そんな事をふと思ってしまった。
と言う、少しだけノスタルジックな話。
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