- 2012年4月3日 21:15 CAT :
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その躯はやぶの中で泣いている
facebookのアカウントがセキュリティー上の理由から停止されてしまった。
セキュリティー上の理由って何なんだよ!!とか、チョッとイラッとしたけれども、とりあえず、再開させてみようかなぁ~と思っていろいろ見てみると、電話番号での認証が必要とか・・・
なんでやねん!!
オレが一体何をしたって言うんだよ。お前がそう来るなら、こっちにも考えがある。
もう、facebookなんかさよならしてやる。
そもそも、そんなものなくたって、1ミクロンも困ることなんかないっつ~の!!
と言うことで、もう、しばらくfacebookについては、アカウントを放置する。しばらくして、気が変わったら、再開するかも知んないけど、しばらくは、そんな予定はないので。
facebookだけでオレとつながってた(つながってたって、ちょっとエロいね!!)皆様。
さようなら。
また会う日まで。
さてさて。
ここんところ、人生についてと言う、なんとも厨二病な事をツラツラと考えていたりする。
そもそも、色々と物語など作っていく過程で、どうしても、その登場人物一人一人に対して、生まれてこれまでの人生と言うものが存在するわけで、それは、小説でも、漫画でも、音楽でも何でも、関係ない。
その裏付けがないままに書き始めると、実に薄っぺらいものが出来上がってしまうことは、もう結構前からわかっていたりする。
昨今溢れかえっている、どうしようもなく薄味な音楽や物語は、きっと、この部分が雑なんだと思う。
西野カナとか、西野カナとか、西野カナとか、その辺の皆さんの話だ。
街中を歩けば、軽く100人や200人を超える人間とすれ違う。
その人間1人1人に、等しく人生があり、物語がある。
問題なのは、自分よりも年上の人間を描写する必要があるとき。
今、執筆中も小説には、一人の老人が出てくる。
しかも、チョッと人生を達観してしまったという設定の。
でも。
オレは、別にまだ人生を達観したわけでもなければ、老人と言うほど時間を重ねてもいない。
そんな人間をいったいどう描写すれば良いのか?
そんな人間の心情をいったいどう推し量ればいいのか?
そこに悩み始めた瞬間、書く手が止まった。んで、そのまま1週間が経ってしまった。
書き始めたら、出来るだけ止まらずに書き続けた方が、まとまりも出てくるし、何より文章が乗ってくるので、いいんだけれども、こればっかりは、なかなか難しい問題だと思う。
ただ、ここを何とかかんとか、乗り越えないと、この物語は、完成しないんだよなぁ~。
そして、冒頭のとおり、人生とは何だろうと言う、問答を延々と繰り返していると言う。
夢の中では、簡単に死ぬことも、殺すこともできるのに・・・
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