- 2014年10月19日 10:09 CAT :
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【王道軽症】オナニーノーツその7 「おもちゃはおもちゃ箱へ」
今回も、2つで1曲だと思ってる。
思ってるんだからしょうがない。
「思い出のアルバム」と「おもちゃはおもちゃ箱へ」はひとつの曲という認識でおります。
では、どんな思い出か・・・なぜ、この「思い出のアルバム」を持ってきたのかというと、この曲自体の「思い出」ってものが、どちらかと言えば、純朴なものだから。
純朴な「思い出」からつながる「おもちゃはおもちゃ箱へ」と言うタイトルから、勝手に、子ども時代のおもちゃの事でも、妄想すれば良い。
その方が、次の曲の印象が強くなる。
とか言う、そんな小汚い思惑があったわけですよ。
ちなみに、弟も、その罠にまんまと引っかかり、「おもちゃはおもちゃ箱へ」の仮撮りの時に「こう言う意味のおもちゃやと思わなかったわ・・・」と言ってた。
うししし・・・
前置きはこの辺にして・・・
良くある(といっても、アングラの世界でだとは思うけれども)「異常性愛」をテーマとした作品の数々。
少し前に流行った「蛇にピアス」(だっけ?)なんかは、珍しく表舞台でそのネタをやってたけど、基本的には、アングラのネタだよね。
あと、初期の犬神サーカス団は、ほとんどの楽曲のテーマがそれだった気がする。
映画でも、演劇でも、音楽でも、漫画でも良くある「異常性愛」と言うテーマ。
でも、実は、このテーマの後日談・・・って、あんまり見かけなかったりする。
例えば、だけど、SMの世界にどっぷりと浸かり、ご主人様のために、刺青して、歯を抜かれて、体中にピアス開けられて、穴がガバガバになってしまったM女のその後・・・
それがこの「おもちゃはおもちゃ箱へ」と言う曲に繋がっている訳でございます。
ここ数年、オレが一番に描きたい情景は、「命」とかそんな尊く、壮大なテーマではなく、「そこはことない哀れ」。
それも、日本美的な「哀れ」。
そして、この「異常性愛のその後」と言う情景が、実に、ディモールト!にベネなんだよ。
と言う事で、この曲自体は、かなり早い段階からタイトルと構想が決まってた。
(多分、「王道軽症」の構想を練り始めた最初期から。)この曲だけは、アルバムとして、絶対に外せないぜ!な感じで。
でも、そこから先が進まなかった。
「そこはかとない哀れ」な老婆を表現する上では、ストレートな単語は基本的にNGだと思う。
例えば、「まんこ」とかね・・・その上で、出来ることなら、状況や、状態だけを坦々と語る事で、老婆の心情を投影したい。
欲求はたくさんあった。
ある上で、自分の描きたい情景にピッタリの最高の題材だ。
となると、ホント考えても、考えても、うまく書けなかった。
ズッとレコーディング出来ないままに1年が過ぎ去ろうとしてた。
仮撮りの最終日の夜くらいに、やっと歌詞が書きあがった。
それも、何だかチョッと物足りなくて、レコーディングに行く朝に、その歌詞に少しだけ「老婆の心情」を書き足した。
それが、結果的にサビとなる
「おもちゃはおもちゃ箱へ
おもちゃは一人では 何も出来ない
おもちゃはおもちゃ箱へ
存在する意味も 価値も分からない」
の一説。とまぁ、のた打ち回って歌詞が完成したわけだけれども、と言う事で、曲が出来てない。
取りあえず、しょうがないので、レコーディング中に、ギターのリフを作って、ドラムを作っていく。
んで、最後にそのドラムとギターリフに乗せて、即興で、朗々と語った。
すると、無意識に、最後の「老婆の心情」の部分だけが、メロディーになって出てきた。
そんな感じ。
ちなみに、この最初に撮った仮唄のほうが、実は個人的には凄くいい感じだと思ってる。
実際に、収録したのは、ちゃんと取り直した方なんだけど、即興ならではの不安定感が、実に、曲や歌詞のイメージとマッチしてて心地良かった。
さすがに、録音状況が悪すぎて、泣く泣く撮り直したけれども・・・
それでも、今回のアルバムでは群を抜いてお気に入りの曲になった。
追い詰められると、まだまだ、搾り出す事が出来るみたいだ。
当初想定してたよりも、はるかに良い歌詞が書けて、はるかに良い曲になったと思っております。
何気にプログレ。
そして、サビに至る過程が、大好きな「キング・クリムゾン」の「エピタフ」のように、張り詰めて張り詰めて張り詰めた感情が、ブワッと流れ出たように繋がってると、個人的に思っております。
個人的に思うくらい良いじゃないか!!
そんな、チョッと緊張感を持った曲で後半の幕が開く感じで、この緊張感を保たせる為の1曲へ。では、次回は「お耳汚しを召し上がれ~と言う演出」でお会いしましょう。
さようなら。
さようなら。
さようなら。
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