- 2009年4月28日 1:54 CAT :
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5/1に高校に演劇講師として行ってくる事に・・・多分なるって話は関係なし。
定額給付金・・・何に使おうかなぁ~
さすがに、ココに来て1万2千円を貯金しても何だか詮無い事だ。使って景気が良くなるなら、そこを信じて使ってやろうじゃないか。
何に使うかは、現在思案中。
1人の休み。
(嫁が仕事なので・・・)
カメスケの散歩をしながら、「イモデナシ」とか「メイちゃん」の植え替えをしてやった。んで、実に5年ぶり位におかんと2人で飯を食いにも行ったりした。
普段しない事をいっぱいした今日。
後、ばあちゃんちに行って「太郎」(ボストンテリア・・・犬ね)を散歩しながら、田んぼの真ん中にちょこんと座って、心地良い風に当たりながらボーっとしてた。
ばあちゃんが80年生きて来た中で口癖のようにつぶやく言葉「なるようになる」。
「なるようになる」。
あのばあちゃんがニコニコしながら「無理せんでエエが。
なるようになるわ。」と言うと、それはそれで深いものがある。
同じ言葉「なるようになる」を、ここ数日凹みまくっているオレに対して嫁は何度も何度もオレに言い聞かせた。
この世は「なるようになる」。
だとしたら、色々と今足掻いているオレは何なんだろう?結局は「なるようになる」のに、それを受け入れていないだけなのか・・・
嫁は「大切な事は、毎日を精一杯生きる事」と言う。
オレは、長い時間自分なりに色々足掻いて、苦しんで、少し喜んで、なるようになった結果、今、田んぼの真ん中で風に吹かれて、太郎の散歩をしている。
ばあちゃんが曲がりくさった腰に手を置いてえんどう豆を取ってる。
そんな空間。
オレは、今日を精一杯生きられたんだろうか?
オレが思う「精一杯」がみんなの言ってる「精一杯」とずれてるような気がしてきた。それを何でもない後姿だけでオレに訴えかけるこのばあちゃんは何だ?コレが年月を積み重ねてきたと言う事なんだろうか・・・
大好きなじいちゃんは、オレが旅行に行ってる間にポックリ死んだ。
最後のお見舞いにゲームをしたいと言う理由で行かなかった事をアホほど後悔した。
旅行先から飛んで帰ってきた時、おかんや親父の準備を待ちきれなくて、1人でチャリンコにまたがってばあちゃんの家に行った。
泣きながらばあちゃんに抱きついた時ばあちゃんが「もうばあちゃんはようけ泣いたから涙が出んけど・・・」と言った事を何だか鮮明に覚えてる。
今でも、ばあちゃんちに行けば、台所のいつものイスにじいちゃんは座ってるような気がする。
今年で17回忌になるらしい。
ばあちゃんは「法事には来いよ」って言った。
家に帰ってきてから、遣り残しの仕事を少しやって、マンガを買いに行って、それを読んで、風呂に入って、今・・・
多分、今日は精一杯生きれた気がする。
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