- 2008年3月10日 4:17 CAT :
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悲しみの歩む道行き
心の底から悲しくなる出来事は、そのほとんどがオレ自身の概念とは縁遠い世界で行われている。
普段どれだけ「悲しみ」を語ろうとも、実のところ、オレ自身にかかる悲しみには、なかなかどうして耐えられるようです。
無抵抗な搾取が自分に襲い掛かるよりも、誰かに襲い掛かっているのを見ることの方がはるかに耐え難い。
そうやって考えれば、逆に、無抵抗な搾取を行っている方の人間に対して、いかんともし難い感情が沸々と浮かび上がってくる。
一体どんな感情を持ってコレまでの人生を生きてきたのか。
コレまでどんな人間関係を築いてきたのか・・・
今日少しだけ嫁から聞いた、ネコの話。
ネコに何の罪もない。
なのに、心無い人間に金で買われて「にゃん権」を剥奪された、あまりにも隷属的な生活を強いられているのを聞いて、涙が溢れてきた。
「うにん」を見ながら、「コイツはホントの所、幸せなんだろうか?」「ノラ猫の自由のほうが、ネコとして実は幸せなんじゃないだろうか?」と色々考えをめぐらせている。
でも、少なくとも「うにん」は、今の生活を嫌がってはいない。
その考え自体が人間のエゴかも知れないけれども、きっと本当にイヤになったら「うにん」は出て行ったきり帰ってこないような気がする。
ネコは人形じゃなくて、ちゃんとした感情も考えも持っている生き物。
ネコとしてじゃなくて、生き物として見れないんなら、関わるべきじゃないと思う。
それはネコに限ったことじゃなくて、きっと全ての生き物に対してだ。
最近、千田さんやイモ太見ながら、植物だって例外じゃないと思うようになった。
何か、重くなってきたから今日はこの辺で。
気分転換に、この前コタツで寝てて、熱いくなったから足だけ出して冷やしてる「うにん」でも添付しておこう。
一応女の子です。
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