- 2008年4月5日 0:36 CAT :
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ダイバダッタはスケープゴート
こんにちは。
シャカ族出身、涅槃の境地ゴータマ・カゲキ・シッダルダ・志茂田です。
ここ数日すっかり手塚治虫の「ブッダ」を読みふけって、悟りでも開いたろかなと言う気分。
仏伝をバカなオレにも分かり易く噛み砕いてくれているのか、手塚治虫の創作なのか(本人コメントでは、後者臭いけど)知らんけど、何か仏教って素敵じゃあないですか。
今の仏教ってのは、何もかもを難しく、高尚にしているんだろうなぁ~。
多分。
宗教はどれでももしかしたら同じなのかもしれないけれども、開祖は、今みたいにたくさんの勢力が出来て、互いに争って、教えを難しくして・・・と言う、布教自体を望んでいなかったような気がする。
ブッダは「苦行」に疑問を持ち、「人間は本来苦しむために生まれてきたのではない。
喜び、楽しむために生まれてきたのだ」と考えた。
そして苦しむ人民に、「苦しみの原因を考え、その原因をなくしていけば、苦しみから解放され、真に幸福になる事が出来る。」と言う心理を説いたらしい。
また、「恐怖があるのならば何も考えなければ良い。
この世の事、人間の事、周りの事、そして自分の事までも考えなくなれば、自分はそこに存在しながらに植物のように穏やかな心で恐怖を受け入れる事が出来る」とも言う。
・・・分かり易い。
かと言って、やれと言えば難しい話なんだろうけど。
もし本当に、仏教ってのが、小難しい話を抜きにして、こう言う考え方なのだとしたら、仏教は素晴らしいような気がする。
宗教と言うか、もうコレは、生きていくための最も根幹にある事だと思う。
「ブッダ」の中では、煩悩にそびえ、暴虐の限りを尽くす人間よりも、真理を受け入れ実行しているその他の動植物の方が凄いとなっている。
戒律を重んじるとか、念仏を唱えるとか、苦行、修行をする事が宗教じゃないのなら、オレも喜び、楽しむ事に生きられるんだろうか。
大切な事は、「正しい見方、正しい思い、正しい言葉、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい判断、正しい考え方。」だそうです。
精進しよう。
ムズカシ話になったので、可愛いネコで休憩。
・・・煩悩の塊だな。 - この記事を見てみる ⇒
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うちの猫ちゃんも昔はこんな感じだったなぁ[絵文字:e-251]
癒されるね[絵文字:v-22]
人間は苦しむために生まれてきたんじゃないって私もそう思いたい[絵文字:v-318]
めちゃめちゃマイナス思考な私[絵文字:v-356]
冷静に考えたら、私の環境は幸せなんだろうけど[絵文字:v-356]
まずは、自分を大好きになることからだね[絵文字:v-344]
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やりきれない事が多い時には、猫でも見てないとやりきれない。
うにんを見てると、「ネコになりたいなぁ~」って思う今日この頃です。
人間は幸せになるために生まれてきたって事は、逆説的に考えれば、不幸で始まって、幸せになっていくって事かもしれない。
そう考えれば、何とかかんとか乗り越えられるような・・・