- 2008年5月11日 0:51 CAT :
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人生はシネマであると言う彼に捧ぐ
男のオレには一生は分からない「女の言った時の感覚」についての面白い記事を見つけた(「うらたん」で)ので、その事でも書こうかなぁ~と思ってたけど、2日連続下ネタってのもアレっちゃアレなのでやめときます。
今日、高知からはるばる親戚が来てたって話をしようかと思ったけど、その話もこの前の法事の話と若干被るので、今回は自粛しておきます。
結局のところ、毎日なんてそんなものです。
そんなに毎日劇的に色んな事があるわけじゃない。
でも、劇的にする事は実は出来るかも知れない。
何事に対しても感動を覚える事で、何でもない毎日がそれはそれは輝いてくる事を実はチョッとだけ知っている。
例えば、コレまでまともに植物と向き合った事の無いオレは、植種台でスクスクと育つあいつ等を見て、芽が生えては感動、葉の向きが変わっては感動、水をゴクゴク飲んでる事を確認しては感動、意思がある事を知っては感動、寒い時に寒いと表現できる事を知っては感動している。
それは、全く新しい楽しさで、家に帰ってくる度、眠りから覚める度、植種台のほうへついつい目をやってしまう。
何事の大しても、この感覚を持ち続ければ、きっといつまで経っても楽しい人生を過ごせるような気がする今日この頃です。
先当たっては、朝、死なないで目を覚ませる事が出来た事に感動する事から始めてみようかと思ってます。
前向きで、ある意味後ろ向きな毎日。
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