- 2007年11月5日 21:31 CAT :
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寺山修司・田園に死す・犬神サーカス
この前「ヴィレッジ・バンガード」言った時に、寺山修司コーナーで始めて天井桟敷の公演の写真を見た。
その圧倒的な悪意満あふれるシュールな世界観には脱帽。
是非とも公演自体を見てみたい。
さぞかし爽快な不快感に包まれるんだろうな。
うずうず。
そんな寺山修司の映画「田園に死す」に出てくるサーカス一座の名前が「犬神サーカス」で、それをパクッタのが我らが(と言うと語弊がありまくるけども)犬神サーカス団。
前置きが長くなってしまうま。
犬神サーカス団のニューシングル「光と影のトッカータ」で1つ。
この歌自体、光があると言う事は必然的に影も出来ると言う、マァ言ってみればありきたりな事をテーマにした楽曲。
(とは言ってもこんなテーマでシングル出すようなバンドそんなにいないだろうけど・・・)
出だしは「好きな人が出来ました。今朝死にました」で始まる。
好きな人、大切な人が出来ると言うことは、それを失う可能性を背負うと言うこと。
宝物が出来ると言うことは、それが壊れる可能性を背負う事。
幸せを感じると言うことは、不幸になるリスクを背負う事。
もっと言えば、生まれてきて多くの人と出会い幸せになると言うことは、多くの人と別れ悲しみに包まれるリスクを背負う事。
それが「光と影のトッカータ」。
そう考えたら、生きていくのがイヤになる。
何も好きならなければ、何も大切にしなければ、誰とも話さなければ・・・と言う強迫観念に囚われかねない。
でも、本当にそうやって生きていける人なんて本当は一握りで、じゃあどうするのかと言えば、ほとんどの人が影の部分を見ない事にする。
そうやって、幸せに浸ろうとする。
でも本当にそれで良いんだろうか?
でも本当にそれで良かったんだろうか?
何のために影が出来るのかを考える。例えば、影の無いさんさんと光り輝く空間に入る。
そうすると、そこに光があるのかどうかは分からなくなる。
でも、影があればそれがコントラストになって光の存在を知ることが出来る。
オレはいつか絶対に死ぬ。
だから、生きていく。
絶対に死ななかったら多分いつまでも何もしないだろうと思う。
いつか失うものだから、今「ある」と言う事の大切さが分かる。
失う事を考えなかったらきっといつまで経っても、本当の大切さは分からないままなんだろうな。
もしかしたら、失ってもそんな何も感じないかも知れない。
自分が死ぬ事を考えたら、やっぱり人を好きになるし、大切なものも出来る。
オレは、何も残さず、何も好きにならず、何の感情も持たずにただ消えていくなんて事は出来ないんだろうな~
当たり前の話です。ハイ。
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