- 2005年12月8日 21:55 CAT :
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ババアババアババア
小さい頃、オレは歳の近い妹がいた関係で、家ではなくおかんの実家に預けられていた。
毎朝毎朝おかんが仕事に行く前にオレを車に乗せてそのばあちゃんちに連れて行っていた。
要するに、オレは幼稚園に入るまで家ではなくばあちゃんちで育てられたわけです。
その「木徳のばあちゃん」はオレにとって「津軽」に出てくる太宰を育てた「タケ」ばあさんみたいなもんらしい。
(まぁ、オレは「津軽」読んだ事ないけどね)
今でも実家に帰るたびにしょっちゅう「木徳のばあちゃん」のトコには行く。んで「ばあちゃん。
また来てもうたで~」って声をかけると、くしゃくしゃの顔をさらにくしゃくしゃにして「おう来たんか~」って迎えてくれたりする。
その度に何かお菓子とかを出してくれるんだけど、たまにオレが食べられない「エビ」関係のお菓子とかもあって(オレは「エビ」アレルギー」それには結構閉口するんだけど、それでも、やっぱり食べるな。
ばあちゃんが出した時だけだと思う。
オレがエビを食うのは。
一人暮らしの間中、度々米やお菓子を荷物で送ってきてくれて、それは結構重宝する。
しかも、毎回面白いおまけが入っていて、何が入ってんのか楽しみにしてる。
「揚げたての天プラを入れときました」と書いてあってベタベタの三日くらい前の天プラが入っていた時にゃあ笑い転げたものさぁ~。
ばあちゃんの手紙は誤字脱字がいっぱい(まぁオレが言える事でもないけど)。
しかも、達筆なのか何なのかとにかく読みにくい。
でも、オレにとっては宝物で、コレまでの全部取ってあって、たまに読み返して「ば~ちゃ~ん」ってなったりする。
マァ、オレはこの「木徳のばあちゃん」が大好きなんですわ。
で、何で、こんな話をするかって言うと・・・
木徳に行けばばあちゃんがいる事が当たり前。
いつでもいて、いつまでも変わらない。
勝手にそう思い込んでいた。
でも、ある日突然この当たり前が当たり前じゃなくなったら・・・
大好きだった木徳のじいちゃんが死んだ時の事を今日彼女の話していて、泣き出しちゃったオレはふとそんな事を考え始めた。
今でも不意に木徳に行ったらじいちゃんが居そうな気がしてならない。
あの時のショックはホントかなりのものだったから。
思い出して話しただけで、大泣きしちゃうほどオレの中にあのじいちゃんは大きいらしい。
大切な人がある日、急に居なくなっちゃう。
それってかなり恐ろしい事だと思う。
コレまで恐いから考えないでおこうと思ってたんだろう。
無意識に。
でも、いつまでも当たり前は当たり前じゃないんだって事を留めといて、一日を生きることもいいじゃないかって。
・・・マァ、ばあちゃん元気で長生きしろよ。
って事ですわ。
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こうゆう話に弱い私。
エビ、テンプラ、手紙・・
全部おっけー 癒される◎
”大切な人が居る今”を大切にいきましょう。
そして私からもおばぁちゃま長生きして下さい☆
(ずぅずぅしく失礼しました・・)
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同じような事をオレの彼女も言ってましたよ。
・・・ちょうど今「しゃべり場」で同じようなネタを話していたけど、その現実を受け入れて、それでも大切に生きていきたいと思うね。
日本のこう言う優しさってホント素晴らしいと思う。
それを噛み締めるいい機会になってよかったです。
ハイ。