- 2015年7月23日 23:04 CAT :
-
悲しみと幸せはいつか同意語になり そして何も感じなくなった
今日、ホント久々にびっくりする位思いっきり頭を打った。
家のドアで。
軽くコブが出来る位打ち付けたみたいで、まぢで脳がグルングルンなったのが分かった。
しばらくは、気分が悪かったという嘘みたいな話。
ちなみに、数時間たった今、首がメッチャ痛い・・・
まさか、鞭打ち・・・
ついでに、血管ブチギレてたりして、明日の朝、冷たくなってたら笑ってくださいませ。
さてさて。
最近、またチョクチョクデザインとかそんなのをしてたり、してなかったりする。
デザインって言う奴は、絵を描くことと意外と似てるような気がする。
昔は、絵を描くと言う事は、とにかく描きまくる事だと思ってた。
そして、描き続ける事だと思ってた。
枚数書けば書くほど、それを継続すればするほど、自分の頭の中にあるものをより正確に描写出来るもんだと・・・
だからこそ、学生時代には10年近くも毎週1話漫画を描くと言うルールを自分に決めて、ひたすらに描き続けた。
その結果・・・うまくはなったと思う。多少はね。
社会人となり、学生のころほどの時間が取れなくなってきたオレは、漫画を描く時間が極端に無くなった。
その頃描いてた漫画は「アス」と「G」と言う2つの漫画だったんだけど、どちらも月に1話描ければ良い方とか、ひどい時には、数ヶ月間全く続きが書けないとか、そんなことも良くあった。
で、数か月ぶりに描いた1話。
これまでの考え方からすれば、まともに絵なんて描けないはず。
でも、実際には違った。
思ってた以上に描けるんだよ。
むしろ、前より思った通りの絵が。
絵を描くって言う事は、ある程度は技術だと思う。これは間違いない。
この技術の部分を磨くには、それはもう描き続けるしかないんだろう。それも、長く継続する必要があるんだろう。特に、オレみたいな才能のない奴は。
でも、絵がうまくなるためには、その技術だけじゃあだめらしい。
それ以上に必要なのは、頭の中でリアルに状況を思い浮かべる事。
オレは、ズッと頭の中にあるぼんやり抽象的なイメージを絵にする事が出来るようになりたいと思った。
その為に漫画を描きまくってた。
でも、そのぼんやり抽象的なイメージを明確に頭の中で思い描く練習は全くしてこなかった。
オレの場合、ほとんど無い才能で何とかなれる技術的なものはもうあんまり上がる余地なかったんだろうね。
だから、そこからもう少しうまくなるために必要なのは、どうも、このイメージの練習だったらしい。
これ、どうすればいいのかと言うと、とにかく色んなものを見まくる事。
景色であったり、空気であったり、建物であったり、人であったり。
この中で特に人見ると言う部分が、人間嫌いのオレにとってはかなりハードルの高い部分。
これに関しては、オレの場合、漫画とかアニメとか見まくってもさほど効果はなく、やっぱり実物の人間を見る必要があった。
漫画を描かなかった期間、もう大して上がりようのない技術部分は、元から大した事ないのでさほど下がることもなく、描かないでいた間に、彼女と色んな所へ行って、色んなものを見てきた結果が、「思ってた以上に描けるようになった」理由だろうて。
今では、ほとんど漫画も描いてない。
数か月かけて20ページ位描くのがやっと程度。
でも、未だに、新しい話を描き終わるたび、「良い絵が描けるようになってきた」と思えるのは、このイメージ化がよりできるようになってきたからだと思ってる。
だって、技術なんて全然磨けてないんだもん。
これまでは、頭の中にあるぼんやりしたイメージをどうすれば、はっきり線に出来るかとかそんなことばっかり考えてのに、ここ数年は、頭の中にあるはっきりしたイメージをいかにぼんやり表現できるかとかそんな事を考えております。
これが成長なのか、退化なのかは誰もわからないと思う。
明日は生きていられるかなあ~
- この記事を見てみる ⇒