2017年9月1日 14:40 CAT :
       

ヒミズとはモグラのお友達の名前

昨日、お仕事がてらにたまたま見つけた「ヒミズ」の映画・・・amazonプライムさんで。

で、それを見てみた。

いや、その前に「ヒミズ」について書いておこうか。

ご存じ(だと思う)古谷実大先生がシリアスに路線変更してしまったターニングポイントにもなるマンガ。

オレがこの作品に出合ったのは、高校生の時だったと思う。

中学生の頃に「稲中卓球部」と「僕といっしょ」で死ぬほど笑ってオレは、期待を込めて古谷実の新作「ヒミズ」を読んだ。たしか、帯に描かれていた「不道徳の時間です」と言うキャッチにものすごくひかれた記憶がある。

実際読んでみると、前半にほんの少しだけ以前のテイストは残っていたものの、もはや全くの別物。人間の闇・・と言うか、人間には闇があるものだと思いこんで沈んでいくどうしようもない思春期の閉塞感と絶望感が全編に渡って覆う、暗い物語だった。

当時、自傷行為を始めとして、本当に中二病真っ盛りだったオレは、どっぷりとその世界観にハマり込んだ。

「高校時代のバイブル」と言っても過言ではない。

その位思い入れの強い作品だった。

実際に、当時演劇部に所属していたオレが描き上げた台本のほとんどには、この「ヒミズ」の影響が見え隠れるする重暗い絶望感の漂うものが多い。

思春期を抜けてからは、もうほとんど読み返すこともなくってたこの物語だったんだけど、そんな感じだからこそ、今なら、だらだらと流し見するにはちょうど良いと思ったんだけれども・・・

ここから、映画の感想と、ネタばれしますので、いやな奴はさようなら。

 

 

 

 

想定していたよりは、はるかに面白かった。

何より、出演者さんの演技力が半端ない。

特に、茶沢さん役の二階堂ふみなんて、「ゴチになります」のイメージしかなかったけど、めっちゃ凄かった。ほんと、引き込まれるように、食い入るように見てしまった。

物語とかそんなものは抜きにして、演技だけ見るだけでもメッチャ面白い映画だと思う。

これが「ヒミズ」の映画化でなかったのなら、文句なしの名作映画として終わってただろうて。

でも、思い入れが半端じゃない「ヒミズ」なわけで、正直、オレの青春を汚すんじゃねえよ的な感情がないわけじゃあない。

夜野(こいつの事を「よるの」と言うのは今回初めて知った。じっと「やの」だと思ってた)が同級生じゃなくて、震災で全てを失ったホームレスだったり、住田と茶沢さんが偉く明るかったり、そもそも、震災をストーリーに無理くり絡めてたり、茶沢さんが親から虐待されてたり・・・

要所要所に「そうじゃねえんだよ」と思うところがある。

この物語自体に対するオレの思いなので、実際はどうなのかは知らないけれども、「ヒミズ」という物語は、「人間なんて闇でしかない」と思いこむ思春期特有の閉塞感と絶望感こそが最も大切な部分なわけで、結局、子どもの見方をしてくれる大人なんて一人もいてはいけないんだよ(あくまで子ども目線でだけど)。だから、住田の周りに震災ですべてを失ったとは言え、優しい大人たちがいちゃあいけない。

ついでに言うと、茶沢さんは普通の家庭に育ってるからこそ住田に憧れてるわけで、普通最高と考えてるけど、結局普通とはどんどんかけ離れていく住田といい感じに対比するのに、その茶沢さんが、母親に虐待されて、性格がゆがんでしまい、自分の居場所を作るために住田に寄生するとか、そんな思春期の子どもの心は単純じゃねえよ。とも思った。

何と言うか、登場人物それぞれの感情が、何となく分かるようだけど、実はその芯の部分はよく分からなくて、結局何をしでかすか分からないと言うほの暗い恐怖感が「ヒミズ」の味なわけで、その意味では、登場人物全員の行動や感情が分かりやす過ぎるのは、ホント残念。

まぁ、映画ですから分かりやすくする必要はあったのかもしれないけれども・・・

と、そんな感じで、「ヒミズ」のオレが好きだった良さがあまり映画としては受け継がれていないじゃねえか。思いつつ「う~む。悪くはないんだけどな」と見てた。

そして、ラストシーン。

あの衝撃のラストシーンを映画ではどうするんだろう?

結局、住田は生きていた。

そして、自分の足で警察に出頭。それに並走する形で茶沢さんがずっと「住田頑張れ!!」って叫び続ける。そのまま映画は終わる。

正直な話。オレは、ひっさびさに映画で号泣したんだよ。

このラストシーンで。

「ヒミズ」と言う作品の中に存在する住田は、たぶん、思春期の(特に男)なら大体の奴が一度は通る共有できる感情を持ってる。

親を殺してやりたいと思う事も、この世の悪を殺してやりたいと思う事も、世界は絶望しかないと思う事も、自分によってくる人間は裏で自分を見下して笑ってると思う事も・・・

でも、思春期の頃は、結局、そのどれもが実現しないまま、大人になる。ほとんどの奴がそうだと思う。

なぜなら、その思考一つ一つは実現させるには、途轍もない力と決断が必要な事ばかりで、結局は、そんな決断も力もないままズルズルと日和見に生きて大人になっていく。

そんなオレみたいな奴が、力を使わずに決断もせずに、それでも、自分の感情を正当化することができる方法が「ヒミズ」のような本を読むと言う行為に他ならないわけで、だからこそ、高校時代のバイブル足り得たんだろうて。

その感情の終着点。言ってみれば、「闇しかないこんなクソみたいな世界で生きていても仕方がない。死ぬことこそ至高」と言う感情。

マンガ版「ヒミズ」では、住田がその終着点である「自死」すらも実現させることで、思春期の子どもに対して究極の負のカタルシスを与えて物語として完成するんだよ。

でも、映画版の「ヒミズ」では死のうとした住田は死ぬことをやめて、罪を償って生きていく事を選ぶ。

思春期の頃には分からなかったけど、大人になった今、わかる事は「死ぬこと」よりも「生きていくこと」の方がよっぽど力も必要だし、決断が必要だと言うこと。

死のうとした所から、立ち上がり生きていく事を決意すると言うこの瞬間に、思春期を抜けてから今の瞬間までの自分が重なった。

そして、必死で走り始めた住田と横で「住田頑張れ!!」って叫び続ける茶沢さん。

ホントに号泣した。

一応、ストーリーの不満だった部分がこのラストの伏線になってたり、映画の構成としても素晴らしい部分は多々あるんだけど、それはそれとして、このラストだけで「この映画を見て良かった」と強く思った。

多分、思春期のオレがこの映画を見ていたら「何だよ、死なねえのかよ。ぬるい終わり方だな」と思ってただろう。

あの頃は、今のオレから見て、全然生きることに必死じゃなかったからな。

いやな事がたくさんあって、それで死んで終わりにするとか、めっちゃぬるい終わり方なんだと。今なら、そう思うんだよ。

死んで終わりにするとか、無責任なただの逃げでしかないんだと。

マンガ版「ヒミズ」は思春期に読むべきだし、映画版「ヒミズ」は大人になってから見るべき。

これが今回の感想でございます。

しかし、全編通して暗いし、暴力描写も万歳だけれども、この映画は原作とは違い優しさに溢れていたよね。

思い入れの強い「ヒミズ」から考えると不満もたらたらあるけれども、あのラストのためにこの改編は必要不可欠だったと思う。

あのラストを肯定する以上、この映画はこの映画として素晴らしい完成度でございます。

最近、ブログすらも滞り気味だったけど、あまりにも感銘を受けれ、書かずにはいられなかった。

未見の方には、ぜひオススメの映画でしたよい。

二階堂ふみ・・・この映画でめっちゃ好きになった。

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