- 2017年12月20日 2:49 CAT :
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生まれて最初に見た夢は血に塗れた赤子の姿
さすがに、連日の飲み会などのイベントで疲労困憊なのと、そのために遅れてしまったお仕事を取り戻すため・・・などなど、諸事情もあって、久々に自分の曲ドーピングをしております。
どうしたって、自分が作った曲が世界で一番自分に合う訳で、ひたすら大音量で自分の曲を聴き続けると、何となく作業がはかどると言う・・・まぁ、そんな単純な話ですよ。
せっかくなので、これまで作ってきた曲(馬忠、仁美・mine、ヤンディール含む)全てをプレイリストにまとめて、ランダム再生で聴いております。
全部で300曲位あるので、いつまで経っても聞き切れない感じだけど、我ながらよく作ったもんだな。と、少々感慨にふけっているのもまた事実。
最新音源の「公共事業」では、全く曲作りをしてないので、まともに曲を書いたのは、「王道軽傷」に入りきらなかった「3653」「白痴にも書けるラブソングXYZ」以来か・・・もう5年近くやっておりません。
もう、作曲ってどうやるのかさえも忘れてしまった。
思春期の良く分からない勢いで作ってた頃を省くとしたら、曲作りの流れは「果て。1」辺りで始まって、「ひとときの暗がり」「白い世界」「子守られの唄」「アイエルマ」「瓶詰めの幼女」とかを経由して「黄泉」で一旦完成して、「白痴にも書けるラブソング」で終わった感じだと思っております。
何と言うか、思いつく限りのものは全部出し切っただろうし、これから先新しい曲を書いても、それは全部「○○っぽいイメージ」の曲にしかならないと思う。
最後の最後の搾りかすは「王道軽傷」で本当に出し切ったんだよね。
今は、「公共事業」のような自分以外から出てきた曲を楽しんでる感じ。
でも、やっぱりそれは、不思議と少しだけ自分の曲とは違う。多分、オレしか分からないし、そんな変わらないと思われるかも知れないけど、やっぱり違う。
別にそれがダメなわけじゃあない。それが、心地よかったりするんだけど、それでも、やっぱり違う。
久々に曲作りでもしてみようかな。
と思ったんだけど、ギターを息子にぶち折られておりました。
作曲するときには、やっぱりエレキじゃなくてフォークギターが欲しいな。
また、そのうち買ってこよう。
「土下座」の歌詞カード用に描いた絵の原画を見つけた。
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