- 2019年4月13日 23:05 CAT :
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見えなくなるボーダーライン
先日、久々にオレのばあちゃんの家に行く機会があった。(最近では、ひいばあちゃんちとなったけれども)
まぁ、母方の実家ですな。
オレは子どもの頃、妹が年子だった関係で、幼稚園に通うまでの1歳から4歳くらいまでの間、ほぼすべての時間をこのばあちゃんちで過ごした。
じいちゃんとばあちゃんには、それはそれは大切に育ててもらった。はず。
じいちゃんの方は、オレが小学5年生、10歳の時に亡くなった。
ばあちゃんの方は90歳を超えて、弱ってきてるとは言え、まだ元気。
ばっちゃんには、ひ孫も見せることができたけれども、じいちゃんの方には、ひ孫を見せるどころか、嫁すら紹介できなかった。
みたいな話を、その時に、おかんとばあちゃんとチョッとだけ話した。
じいちゃんは、本当にぽっくりと逝ってしまった。
何となく調子が悪いから検査入院をして、まぁ、大したことないみたいな話になってたのに、朝になると冷たくなってたみたいな感じで、本当に、青天の霹靂だった。
じいちゃんが亡くなった時、オレは(と言うか兄弟は)おかんの職員旅行について行ってて、その宿泊先のホテルで訃報を聞いた。
確か、そのままバスで近くの駅に寄ってオレたち家族だけ降ろしてもらい、旅行の途中で帰ってきた。
その帰路では、何が起きてるのかほとんど理解できなかった。
家に帰ってきて、ばあちゃんちに向かい、ばあちゃんの顔を見た時初めて、事態を把握して、ばあちゃんにしがみついて、それはそれはわんわん泣いた。
オレが記憶してるのは、そんなところなんだけど、この話で、未だにメッチャ後悔していることがひとつある。
旅行に出る前に、おかんがじいちゃんの入院先に旅行へ行く旨を伝えがてらにお見舞いに行ってるんだよね。
その時オレも誘われたんだけど、オレはめんどくさいからと言う理由で行かなかった。確か、何かゲームをやりたかったからだったと思う。
そもそも、その時には、チョッとした検査入院だと聞かされてたし、まさか、あのじいちゃんがそんな簡単に死ぬなんて思いもしなかったから。
あの時、お見舞いに行ってたらじいちゃんが死ななかったというわけじゃあないのは分かってる。
行かなかったからどうなったという訳ではないのも分かってる。
それでも、あの時お見舞いに行かなかった事に関しては、未だにずっと後悔してる。
なんでオレは、どうでも良いゲームをやる事を選んだのか。
多分、これまで生きてきた中で、唯一本当に壊滅的な後悔だと思う。
常々、過去に戻れるとしたら戻るかと言う問いに対しては、絶対に戻りたくないと答えるけれども、それでもあの小学5年生に戻れるのなら、悩むかもしれない。
振り返ってみた時に、こんなオレには出来すぎた良い人生だと、今の時点では思ってる。
それは、これまでの数限りない選択肢を奇跡的に良い方向にばかり選んだ結果な訳で、もし、過去に戻ってしまったら、もう2度とこの人生は体験できない。
それを天秤にかけてでも、戻る事を選ぶかもしれないくらいの後悔。
分かりにくいかもしれないけども、その位の後悔が1度だけ人生においてある。
今日出来ることは明日でもできる。
明日でもできることは多分、明後日でもなんとかなる。
でも今日しかできない事は、必ず今日やる。
これだけは見極めようと、あの時から思うようになった。
今でもそう思ってる。
今やっていることは、今日しかできないのか。
この視点が何よりも大切な事なんだと。
あとは、いくら忙しいとはいえ、ばあちゃんにももっと会いに行って、他愛もない話を色々したいな。
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