- 2020年9月9日 23:40 CAT :
-
メンヘラきらい死ね
チョッとばかり…とは言えないけれども、以前の自分を鑑みる。
何と言うか、人の不幸とか苦労とか、絶望とか、悲しみを見るのが好きだった。
苦しんでる人を見てはニヤニヤしてた。
そのくせ、自分に対しては、分不相応な賞賛を求めて、それがない(当たり前だけど)ことに対して不満をまき散らしてた。
結構長い期間、そんな感じのままだったんだよね。
なのに最近。
気が付けば、そんな感じでもなくなってしまってた。
人の不幸とか、悲しい話とかに対しての興味が凄く薄くなってきた。前みたいに、覗き込むようにそう言う事にあえて首を突っ込むこともしなくなった。
あと、人が頑張ってることに対して素直に「すげえな」と思えるようになってきたし、頑張ってる人に対して応援したくなってきた。
自分に対しては、賞賛がないとか、そう言う事でひがむ事も無くなったし、現状に対して感謝できるようになった。
180度変貌した感じ。
でも、24時間テレビは大嫌い。
こんな事になってしまった原因を、ただ年取って丸くなったからな。と言ってしまうのは簡単だけれども、意外とそうでもないような気がしている。
自分の今の生活とか、状況に対して不満がなくなってきたからじゃあないだろうかと思ってる。
自分が不幸だと思ってるうちは、多分、人の不幸を見たがるし、自分の現状に不満を漏らしまくるし、ついでに言うと人に対して攻撃的になるんじゃないかな。と。
問題なのは、本当に不幸なのかどうか。と言う点だよな。
そもそも幸福とか不幸って言うのは、あくまでもその人の感覚でしかない。
お金があれば幸福なのか。
家族がいれば幸福なのか。
セックスできれば幸福なのか。
仕事が出来れば幸福なのか。
美味いものが食えれば幸福なのか。
生きていれば幸福なのか。
死んだ人は幸福なのか。
障害があれば幸福なのか。
などなど…何をもって幸福と言うのか。
年収600~900万くらいの世帯収入の人が一番幸福度が高いと言う調査があるらしい。
それは、その位の年収が一番生活しやすいとかそういう話じゃなくて、幸福度の高い考え方をしている人はその位の年収になりやすいと言う事だと思ってる。
いやね。オレ自身の話だけど、お金があるに越したことはないけれども、その為に、家族とか遊びとか趣味をすべて放棄してまで、一心不乱に仕事をするのは違うと思ってる。
自分の時間があって、子どもたちを遊べる時間もあって、家族で過ごす時間もあった上で、お金が稼げると一番良いと思うんだよ。
で、今、まさにそんな状態になってる。
多分オレは幸福度が高いんだ。
だから、昔と比べて、僻んだり、不満ぶちまけたりすることが減ったんだと思う。
ただ、これ逆の可能性もある。
特に、独立してからこっち、自分の事務所にお仕事をくれる人に対しては本当に感謝しかないんだよ。だから、人に対して不満をぶちまける事が少なくなった。
あと、サラリーマンしてた頃と比べて圧倒的にストレスのない生活をしてる。
ストレスなく、自由な時間が多くて、んで、感謝することが増えた結果、僻んだり、不満をぶちまけなくなって、気が付けば、幸福度が上がってきた。
どっちが正解かは分からないけども。
一つ言えることは、やっぱり人の悪口言ってたり、人の不幸を楽しんだり、不満ぶちまけたりしてる間は、状況がどうなっても幸福度は上がらない。と言う事だと思う。
自己啓発本とかに良く載ってそうな話で、サラリーマン時代のオレは、「反吐が出るわ。そんなの金持ちのたわごとだ!」と思ってたけど、今になって考えてみると意外とその通りかもしれない。
今もオレは全く金持ちではないけれどもな。
やっぱりね。人のことを悪くいうヤツはダメだよ。
少しでも感謝できることを探して、その事を口にしていくことから幸福度を上げる循環は始まる。
・・・と、ここ最近のオレは信じております。
- この記事を見てみる ⇒