- 2020年12月16日 4:29 CAT :
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発達障害おっさん毎日がエブリディ
少し前に、息子の健康診断みたいなやつがあって、そこで発達障害の疑いがあると言われた。
娘の時には、全くそんな話もなかったし、あと、息子を見てる分には、1ミクロンもそんな感じしなかったので、ちょっとびっくりした。
いや、別に障害があるって事に対して、差別的な気持ちがあったり、拒絶的な気持ちがあったりとか、恥ずかしいから隠さなきゃとか、そう言う話じゃない。
ただ、家で息子と遊んでいる分には、全くそんな気がしてなかったので、「まぢで?」って思ったと言う話。
で、「息子なんて、オレの子どもの頃に比べると全然マシですよ。むしろ、オレが子どもの頃なんて、じっと座っていることも出来なかったし、一日中ティッシュ噛み続けたりして、親が幼稚園に呼び出されたりもしてましたよ?」と言うと、「これまで、お辛い経験たくさんされたんでしょうね。この機会に、お父さんも病院にかかってはどうですか。」と言われた。
ほほう。
そう来たか。
と言う感じ。
ちなみに、今現在でも、嫁に言わせれば、「うちには子どもが3人いて、一番上のおっさんが一番面倒見るの大変」と言われている。
多分、診断で引っかかった息子より、もう少しでアラフォーと言われるようになるだろうオレの方が、日常生活において支障をきたしているんだろうて。
もちろん、この先生が「あたおか」だとか思う気持ちは全くない。
正直、思い当たる節がない訳でもない。
チョッと前に、ロンブーの淳さんが「自分はHSPと言う病気だ」と告白してた。
たまたまそのテレビ見てて、その番組で出されてたHSP診断のテストでは、当たり前のようにオレもほぼ全て当てはまってた。オレはHSPの可能性が濃厚らしい。
そして、オレは発達障害なんだって。
子どもの頃、クラスの中で一番ダメな奴的な感じで先生によく吊し上げられてた事も、友達がいなかったことも、皆から嫌われてた事も全部、病気のせいなんだって。
先日、多分片手で収まるくらいしかいない、友人の家族と一緒に今年最後のバーベキューをした。
その時に、昔の話でチョッと花を咲かせてたんだけども、その話の中でも、子ども時代のオレが如何にヤバいか、チョッとエピソードを語ると、その友人の嫁さんも物凄いドン引きしてた。
嫁も、エピソード自体は全部知ってたけど、改めて、オレ以外の第三者からその話を聞いて、今まで聞いてたより引いたらしい。
普段から、オレもまぁまぁ話を盛る癖があるので、嫁としては「また大げさな話にして」くらいに思ってそうで。ところが、他の人から聞いたら、もっとすごい話だったとかそんな感じ。
今でこそ、自分で事業初めて、金持ちとは言わないけど、欲しいものは何でも手に入る程度には中流家庭な生活をしてる。
ただ、ここまで本当に紆余曲折あったんだ。
職場で言えば、江戸川乱歩もびっくりなくらい、色んな所を転々とした。
学校の先生、ホテルのフロント、訪問販売の営業、総務、工場のライン、弁当配達、売店の売り子などなど・・・結婚までだけでも10以上の職場を転々として、その10倍くらい色んな所の面接を受けたりした。
その前にはニートの期間もあって、お金もないし、行く所もないから、冬に公園で震えながら座ってた時期も結構長かったな。
営業回ってた時に、あまりにもストレスを受けすぎて、半身不随になって長期間入院してた事もあった。
会社で結構なパワハラ受けて、鬱になり、精神病院に通院もしてた。いまでも、その時の事を考えると気分が悪くなるし、その会社のある道を車で通ると、めまいがして運転できなくなる。
でも、オレは自分では普通な人間だと思ってたから、他の人と比べて頑張れないからダメなんだ、我慢できないからダメなんだと言い聞かせて、ひたすら色んな事に挑戦し続けてきた。
本当に本当に色んな事があった。
当時を振り返ると、悲しい事ばっかりで本当にきつかったけど、あの当時があったから、今のオレがある訳で、そう思うと、自分の人生もそうそう悪くないものだと。今はそう思ってる。
まぁ、この社会人になってからの紆余曲折も、学生時代と比べるとそんなに辛いものでもなかったというのもあるんだけどね。
そして、大学卒業してからのその色々あった時、今の嫁がずっと横でいてくれたって言う事もかなり大きいと思う。
人にはあんまり言わなくても、2人でビックリするくらい長くて濃い時間、苦楽を共にして過ごしてきた。
実は、来年あたりに今の事業をより本格的にやるために法人化する準備を進めている。
嫁と出会った20年くらい前に、いつか2人でやりたい事を好きにやれたらいいね。と話しながら、二人で付けた名前がある。
その名前を使った法人を立ち上げることができる所まで20年かけてやってきたんだ。
少なくとも、子どもの頃学校に行くことよりは、お金がなくて寒さに震えているニートの方がマシだった。寒さに震えているニートよりは、馴染めなくて転職を繰り返してた頃の方がマシだった。定職につけなくて疲弊してた頃よりは、自分のペースで自分の好きな仕事が出来る今の方がはるかにマシだと思う。
この先どうなるかは分からないけど、あの小学校に通ってた子どもの頃と比べれば、どう考えても、マシだと思う。
長くなったけど、そんな今、ここに来て、息子の発達障害の検診において、まさかの「これまで、お辛い経験たくさんされたんでしょうね。」と言う言葉をかけられて、なんだか戸惑ってしまったと言う話ですよ。
今になって思うんだけど、もし、今の時代にオレが子どもだったら、息子ですら引っかかるんだから、オレなんて即養護学校行きだっただろう。奇蹟的に免れても、特別支援学級行きは間違いなかっただろう。
それ自体が良いとか、悪いとかは分からない。
でも、確実に言えるのは、オレと言う人間は、「病気ですよ」と言われて、他の人から隔離されて成長していたら、今とは違う人生を歩んでいたと言う事。
その方が、学生時代辛くなかったかもしれない。
でも、あの時代があったから今がある訳で、嫁と家庭を築いて、娘や息子とも出会えた。
人生には、タイミングと選択が物凄い量ある。
オレは実にいいタイミングと選択の妙で、今の状況にいる。
ホント責める訳ではないけれども、それを簡単に「お辛い経験」とか言わないでは欲しいかな。
あと、今更病気認定もしないで欲しいかな。
今、公私それぞれに付き合ってくれている人は、ありがたいことにほとんどオレの人間性を分かってくれた上で、相手にしてくれている人たちだから、今更「オレって重度の発達障害なんだって」と話したところで離れていく人はいないだろうと思う。
いたとしたら、そんな人は離れてくれて結構。
でも、オレが絶対にしちゃいけないのは、この今の奇蹟としか言いようがない周りにいてくれる人たちに対して「オレ、病気だから」とか理由付けをして、これまでとは違う付き合い方をすることだと思ってる。
そりゃあね。
人と会うのは今でも物凄く体力を使う。知らない人と数時間打ち合わせしたら、その後、頭痛が激しくて寝込んでしまったりする。
それでも、これまでは普通の人もそうやって頑張ってるから、オレも頑張るべ。な精神でやってきた。
それが、「オレ病気だから」って、これまで信頼してくれてた人をがっかりさせるのは違うと思う。
これからも、同じように頑張りますよ。ええ。頑張りますとも。
なんか取り留めのない感じになっちゃったな。
取り合えず、息子にしても、発達障害でも別にいいんだ。
でも、病気ってのは、普通の社会生活を送らない理由にはならないと思う。
病気だったら人を殺しても良いのか?
病気だったら人を殺しても許されるのか?
みたいな話にもなってくる。
色々大変かもしれない。
でも、出来るようになるって。
息子なんて自分と重ねてみていると、どう贔屓目に見ても、現時点でオレよりちゃんと色んな事が出来てるんだからな。
オレでもできたことが、息子にできないわけがない。
理由付けや、レッテル貼りにだけはならないように気を付けつつ・・・
今日もおっちゃんはいつも通り、楽しんで生きていきますよ。
テレビで見たhspのテストはこれですな。
こんなもん誰でも、ほぼ全て当てはまるだろうと思うんだけど、世の中はそうでもないらしい。
くわばらくわばら。
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