- 2023年11月22日 12:14 CAT :
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あの頃の話を振り返る愚行を犯し続ける別にひとときでもなかった暗がり~その20
何か気が付いたら、前回のこのシリーズの更新からもう1週間も経ってた。
折角、アップとのタイミングの剥離をなくそうとしてたのになぁ。
まぁ、それはそれでしょうがないか。
と言う事で、少しでも多くの人を繋ぎ止めたいと言う邪な心意気で今日も今日とて書いていきますよぉ!
その前に一応、リンク張っておこう(↑)。
頑張って書いてるので読んでください。平に!平に!
さてさて。
第26話「全国高等学校総合文化祭」
バンドでの音楽は別として、オレが自分で作った物語が初めて公で発表されたのが、この高校1年生の時の総文祭だったはず。
今でこそ、当たり前の様に自分の作った物語や漫画とか、映像作品をネットと言う媒介を通して、気軽に発表できるけど、この当時にはそんなものは皆無だった。
まだ、コミケと言う文化すら、今よりも全く浸透していない。
当時、自分の作品を色んな人に見てもらうと言うのは、想像以上にハードルの高い行為だったと思う。
高校生の頃、将来の夢は漫画家だとよく言っていた。
言っていたけれども、本当に漫画家になりたかったのか。と言えば、それは意外に微妙だったかもしれない。
どちらかと言えば、自分の考えた物語を色んな人に見てもらいたいと言う欲求の方が強かったような気がする。
なので、今、自分で描いたマンガやら小説やらをネットを介して公開できていて、それを沢山の方に読んで貰えていると言う状況がそれだけでありがたい。
古屋兎丸先生が、デビュー当時ガロで原稿料を貰えなかった時の事を「自分の漫画をただで雑誌に載せてもらえるだけで凄い事だった」と言ってた。
まさにその感覚なんだよね。
原稿料を貰えるかどうかは二の次で、お金もコネもない自分の作品を如何に、誰かに見てもらえるようにするかが一番の壁だった。
この時の演劇部でだって、言ってみればオレ以外にも何人も台本を書いてる先輩がいて、その人たちも自分の作品を如何にして発表できるかを模索してたはず。
その中で、オレは自分の書いた物語を選んでもらって、それを部員さん皆で形にしてくれていたのだと考えれば、相当ありがたい話だと思う。
ホント、今は良い時代になりましたよ。
ちなみに、この回のお礼絵。
「総文祭とはいかに?」と言う事について、チョッと描いております。
ここでも触れてるんだけど、総文祭を題材のメインにしたような漫画ってあったっけ?
所詮文化部。
やっぱり、スポーツマンガの様に華がないんだろうね。
あと、文化部の場合、文芸部や漫画研究部、演劇部などは総文祭ではなく、その先のプロの方がどうしたって華があるから、そっちが物語のメインになるだろうし。
いつか、「ひとときの暗がり」とは別にフィクションで、総文祭を勝ち進んでいく演劇部の物語も描いてみたいな。
などなど思っております。
今回はこの辺りで。
また次回に。
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