- 2024年9月23日 12:10 CAT :
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蛍がすぐ死んでしまうのはただの寿命もしくは酸欠
「火垂るの墓」がついにネットフリックスで配信されるらしいですね。
日本以外で。
日本の映画が、なんで日本で配信されないのかモヤモヤする気持ちは少しあるけど、それはまぁ今回は置いておこう。
この映画を果たして日本以外の国の人が見てどう思うのか。みたいなことが気になったりならなかったりするお年頃なのですよ。
小学生の頃、今思えば親からの戦争教育の一環としてだったのだろうけど、ほぼ強制的に「火垂るの墓」を見せられた。
小学2年生くらいだったか・・・
当時は、もう言葉もなくなってしまった。
そして、西宮のおばさんに対してなんて悪い奴なんだ!と思う感情が噴出していた。
それから何十年の月日を経た。
今でもこの映画を見ると、精神を実に削られる。
精神衛生上、年に1度の視聴くらいが限界みたいだけれども、それでも、また見たくなる不思議な魅力があるんだよね。
「火垂るの墓」ほど見たときの歳とか環境で感想が変わる作品も珍しいと思う。
この映画に対する感想が昔とまるっきり変わってしまった。
特に、ここ10年くらいは色々な角度から作品を鑑賞する癖がついてしまったので、もう昔のように純粋に真正面から物語を受け入れる事さえ難しくなってしまった。
その観点で行くと、この映画はどう考えても反戦映画ではない。
この映画を戦争教育として子どもに見せていたオレの母親は、如何にこの物語の表面的な部分しか見ていなかったのか・・・もしくは、読解力が低かったのかと思ってしまう。
正しい鑑賞方法は・・・などと言うつもりはないけれども、ただの反戦映画にしてしまうにはあまりにも惜しい。
ただ時代背景が戦中だっただけで、戦争反対と言う思想的なものは微塵も入ってない。
「この世界の片隅で」を反戦映画だと思う人はほとんどいないと思う。
「火垂るの墓」も同じ。
時代の流れに翻弄されながら、それでも一生懸命生きた人間の姿がリアルに映し出されているだけなんだよ。
連綿と続くその歴史の先に、今、奇跡的な確率で自分と言う存在がいると言う現実を考えるために「火垂るの墓」と言う映画は存在しているんだとさえ思ってる。
でも、この映画の監督である高畑勲と言う天才は、それを「この世界の片隅で」ほど分かりやすく懇切丁寧には説明してくれない。
何も考えずにただ見れば反戦映画のように見えてしまうし、純粋な気持ちで見れば西宮のおばさんが意地悪に見えるし、大人の目線で見ると清太のダメさ加減が気になってしまう。
日本以外の国の人がこの映画を見た時の感想が「戦争は悲劇しか生まない。ノーウォーだ!」みたいながっかりするもので埋め尽くされない事を祈っております。
そんな当たり前の事は映画を見なくても誰でも分かっているんだよ。
絶望の中それでも懸命に、例えその先にあるものが悲劇だとしても、必死で生きる命があったと言う事を考えるだけで良いのではないかと。そう思っております。
明度を上げると蛍の光ではなく焼夷弾だと言うのも、何か意地悪なポスターだよなぁ~。
誘導に何となく、悪意を感じてしまう。
誰のって?高畑監督のですよ。
ホント天才だったんだろうね。
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