- 2024年9月29日 12:29 CAT :
-
うみうしとプラナリアとハオリムシ
研修の人が来るたびに、人にモノを教える事で、自分で新しい事に気付くと言う経験を繰り返してはいる。
ただ、教えた時に返ってくる反応によって、新しい気付きの数とか価値は大きく変わってくるらしい。
それが何だと言われたらそれまで何だけれども、時間を割いているのはお互い様なんだから、その間で最大限成長しましょうぜ。
みたいなことを思っております。
思ってはいるんだけど、それがどのくらい伝わっているのやら。
オレ自身も、今になって英語が話せるように、英会話に通って、日々英語に耳を鳴らすために垂れ流しで英語を聞いてとやってるけど、じゃあ何で学生時代にちゃんと勉強しなかったよと言う話になっちゃう。
あの当時だって、先生は時間を割いてオレに教えてくれてたはずなんだよね。
学校の勉強で英語が話せるようになって、今はアメリカで結婚して住んでる知り合いだっている。
でも、オレは当時やらなかった。
そんなオレが、研修に来てる若い子に対して、どのツラ下げて(↑)のような事を言えると言うだろうか。
結局のところ、自分で必要だと心底思った時にだけ学習することが出来る。
人間とはそう言う生きものなんだよ。知らんけど。
勉強とは、勉めを強いる事。
学習とは、学び習う事。
オレは、勉強は苦手だけど、学習は好きらしい。
どうでも良い知識はいくらでも溜まっていき、それに関係する本とか書物もどんどん増えていく・・・
知識量が増える事を1ミリも苦痛に思わず、ワクワクしながら専門書を読んでる。
なぜ、学生自分にこの状態にならなかったのか・・・
答えは簡単で、別の楽しい事を学習してたからなんですよね。
人生ずっと学習しております。
どう見てもAI生成ですね。
ありがとうございました。
- この記事を見てみる ⇒