- 2011年2月8日 0:21 CAT :
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微か、ひだに残るあの蟠りの様に
会社の同僚さんのおばあちゃんが亡くなった。
年末には、会社の会長も亡くなった。
オレが、今までまともに社会生活とやらを行ってこなかった事に問題があるかもしれない。
ただ、こんなにも死ぬ事が身近にあったと言う事を改めて思い知る毎日を過ごしております。
大好きなじいちゃんが死んだのは、オレが、おかんの職員旅行について行ってた最中だった。
旅行先で、その事を聞いたおかんは、旅行先から、オレと、妹、弟を連れて、大急ぎで香川まで戻ってきた。
その道中については、何にも覚えていない。
ただ、家に帰ってきて、おかんが準備してる間、居ても立ってもいられなくなって、一人、ちゃりで、ばあちゃんちに走ってた。
んで、ばあちゃんに抱きついて泣き喚いた。
あの日の事。
あの葬式の事。
あの骨の事。
は、今も、はっきり脳裏に残ってる。
断片的ではあるけれども、確実に残ってる。
それから、何度も同じような経験をしてきたけれども、あの時の葬式ほど感情まで、鮮明に覚えてるものは他にないと言うのは、薄情な人間なんだろうか・・・
今日まで、会話していた人が、その瞬間いなくなる事。
嫁が、毎朝オレが仕事に行くのを見送ろうとする。
オレが「朝位ゆっくり寝よれ。
いつも、オレより遅く寝よんやから。」と言うと、「もし、見送らなかった日に、事故にあって死んだら、絶対後悔するからやだ。」と。
そうか・・・そういう事なのか。
じいちゃんの死に目に会えなかった。
旅行の前日。
ゲームしてたと言う理由でじいちゃんのお見舞いに行かなかった事を、実は、まだ、後悔している。
最後になるとは思わないまでも、何か、あと一言でいいから多く会話しておきたかったと、今でも、時々思う。
やりたい事も、やらなきゃあいけない事も、このうんこみたいにメンタルの弱いオレの上にのしかかってきてるわけで、いつ、前みたいに壊れてしまうか分からないような日々を送ってはいる。
けれども、今は、まだ死ねない。
今、居なくなったら、たぶん後悔する。
そんな事を考えるようになってしまった。
この記事を、手首にナイフをグリグリとあてがってた頃のオレが見たら、どう思うのでしょうね。
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