- 2012年6月2日 23:19 CAT :
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あなたと一緒なら天使の羽根きっと見つかる。
「ずきあかのちゃんね~」も「しまうらのろ~た~」の大好き。
今更ながら、夙川アトムを思い出して、ニヤニヤしております。
昨日、たまたまNHKで「バリバラ」を見た。
前から凄い見たかった番組だったりしたので、ただただ「ラッキー」とばかりにツラツラと見てた。
やっぱり時代は、「脳性マヒブラザーズ」なのだろうか。
ついに、オレの口癖「おまえは小児麻痺か!!」が世間的に許される時代が来てるのかと、何だか感慨深いものがあるようなないような。
そんな気持ちの私です。
番組の中でふと思った事。
めくら視覚障害のあるヤツが一人居た。そいつは、目が見えないくせに、両行が大好きと言う、頭もチョッとぶっ飛んでるヤツだと思う。
(どうでもいいけど、目が見えなくても旅行とは楽しいものだったとは知らなかった。)
そいつは、どうも目が見えない分だけ耳が異常に発達しているらしく、音を聞き分ける能力も優れ、しかも、耳で聞いた歌詞なども一瞬で覚えてしまえるのだとか。それをそいつの連れが「その能力が欲しい」と言ってた。
「障害とは、障害だと思ってしまえば、それまでだけど、個性だと思えれば可能性は広がります。」
という言葉は、「ブラックジャックによろしく」の一節だったか。「音楽やスポーツの才能を欲しがる親はいても、手足のない子どもを欲しがる親はいない。」
みたいな言葉も、「ブラックジャックによろしく」の一節だったか。オレは、なまじ目が見えてしまうものだから、耳が目の見えないヤツより劣ってしまったらしい。
例えば、オレは、何かを覚えるときに、耳で聞くだけでは覚えられず、目で見るだけでも覚えられず、悲しいかな、目で見ながら、手で書いて、それを声に出して読んで、自分の声を聞きながらじゃなければ、なかなか覚えられない。
まぁ、五感をフルに使っている訳ですな。
五感がしっかり発達しているばっかりに。
そう考えた時、もしかしたら、どちらの方が良かったのか・・・と、簡単に言えるものでもないかもしれない。
日本には、少し前まで「見世物小屋」なるものが存在していた。
そこでは、畸形に生れてしまった人間が、「親の因果が子に報い、生まれいずるは呪われた○○人間」のような前口上と共に見世物にされていた。
ある時は「蛇女」、ある時は「犬人間」と呼ばれながら。
「ぐるぐる使い」は本当はいなかったと信じたい。
障害を持って生まれた人間の生きていくためのすべの一つだった。
・・・らしい。
人権団体の皆様は、「人権」と言う名の差別意識を押し付ける事で、これらの障害を持った人間を「人前に立つには恥ずかしい人間である」と位置付けた。
その結果、彼らは仕事を奪われ、国からの保護を受けていると言う現実もある。
それはもしかしたら、身体以上に不自由なことかも知れない。
もちろん、本当に恥じている人もいる事だろうて。
でも、そうでもない人もいるはず。
「障害がある」と一緒くたにしてしまうこと自体が、自分とは違う下等で下賤な生き物を見る視線があるように思えて仕方がない。
生活が困難だと言うなら仕方がない。
ただ、それはやりたい事を奪う事とは同異義語ではないと思う。
いつかは、「目が見えない代わりに、耳が異常に聞こえる能力」と。
「脳性マヒだから純粋でいられる個性」と。
そして、「手もないくせに調子乗ってんじゃねぇ~よ」と。
言い合える日が来れば良いな。
なぜなら、昨日そのテレビに出てたの大半は、オレなんかよりよっぽど社交的で、よっぽど沢山の友人に囲まれてニコニコとしていたのだから。
明日から皆で声高に叫べばいい。
アホな事してる連れに「おまえは小児麻痺か!!」と。
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まとめtyaiました【あなたと一緒なら天使の羽根きっと見つかる。
】
「ずきあかのちゃんね~」も「しまうらのろ~た~」の大好き。
今更ながら、夙川アトムを思い出して、ニヤニヤしております。
昨日、たまたまNHKで「バリバラ」を見た。
前から凄い見た…