2013年4月18日 22:39 CAT :
       

あの空き部屋が世界の涯てだ

会社では、アドビのcs4シリーズを使っております。

家では、アドビのcs6シリーズを使っております。

そもそも、家でいる方が静かだし、好きな音楽を聴きつつ、誰にも邪魔されずに作業できるので、圧倒的に作業効率が高まります。

っていう、事実があったとしても、在宅は認められず、フレックスタイムの導入もなく、そして、ただただ効率化と売り上げ目標だけをぶら下げられている。

そんな素敵な会社に、オレは、今、勤めております。

さてさて。

チョッとした諸用で、高松くんだり(まぁ、高松に向かう場合、のぼりなんだけれども、住んでいる処こそ都だと信じて疑わないので)まで行って来てやった。

その道中、不意に横切る場所が・・・

そう。

数年前、オレは、この街に住んでいた。

この街を、小さな軽自動車で縦横無尽にうろつき、そして、お店を見つけては飛び込んで営業をぶちかましてた。

その時の営業のストレスかどうかは知らんけど、後に、左半身が原因不明の不随となり、しばらくの間リハビリを兼ねた入院生活を送っていたりもした。

そんな場所。

ホント半年もいなかったはずなんだけれども、なぜか、たくさんの思い出があったりする。

当時の彼女(今の嫁)と2人、図書館までぶらぶら歩いた道。

買い物に行ってたスーパー。

先輩との同行営業中にアイスをおごってもらたショッピングモール。

そして、営業中にサボって昼寝するために見つけた桟橋の下。

四つ葉のクローバーを見つけた公園。

確かに、数年前、オレはこの場所にいて、そして、何かを紡ぎだしながら、色々と足掻いてた。

丁度、マンガ「クワニータ」を描き上げ、これでデビューできなければ、オレの漫画家への夢は終わりだ。

とか、息巻いていたあの頃。

今では、全てが懐かしい。

あの当時の全てが、無駄ではなかったと、今なら思う事が出来る。

当時、とてつもない閉塞感と、急激に襲ってくるプレッシャーと、んで、何か知らんけど圧し掛かる責任に死にかけながら、それでも死に切れないまま生きていた。

例えば、結婚して独立。

例えば、嫁も子どもも出来。

例えば、仕事で丸投げされて任されたり。

と、あの頃よりも重い責任とかプレッシャーに襲われながらも、何とかかんとか、やりくり出来ているのは、ひとえに、あの頃があったからだと思う。

その後、半身不随から復帰し、それでも、何だかまともな仕事がないまま、この街を離れ、半ニート生活を送る事になるのだけれども、その間の思い出は、むしろ、あんまり思い出したくない負の記憶になっている。

お金もなく、仕事もなく、何の進展もなく、何の責任もない。

そして、その楽な環境に慣れてしまいそうな自分に、ただイライラするだけの日々。

もちろん、この期間だって、無駄じゃあなかった。

でも、その前、あの街でジタバタしていた時、それはそれで楽しかったんだと、今は思えている。

当時は、苦しかったけれども・・・

その楽しみは、今、日々に噛みしめている楽しみと実は、とても似ている。

あの日。

社会人になろうとして、ジタバタしていたあの日の感情は、そのまま連綿と今の生活につながっているんだろう。

短い時間なのに、あの頃の思い出が沢山あるのは、それだけ、あの当時が新鮮で、キラキラしていたからに他ならない。

住んでいた部屋は、2階建ての1階で、小さな庭の付いた、少しだけ広くて、ずいぶん小さいワンルームだった。

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