2013年4月29日 23:33 CAT :
       

ハローグッバイ

昨年12月からじわじわ行ってみたダイエット作戦。

今日測った所、ついに、結婚後一番痩せていた結婚式当時の体重を下回った。

実に、マックス時から8kgも減った計算になるらしい。

4カ月かけて8kgだから、多分、無茶な減量じゃないだろう。

リバウンドなどお断りなのだ。

ちなみに、方法は・・・何なんだろう・・・レコーディングダイエットに入るのか?スマホに、アプリ入れて、毎日大体同じ時間に測った体重を打ち込んでいくだけ。

とは言え、多少は、その事を意識しているから、腹8分目位に調節、お腹いっぱい食べた時は、夜を減らす。

みたいな、カロリーコントロールを1週間単位の長い目でやってたか。

まぁ、最大の要因は、子育てだろうな。

子ども抱いて、あやしてる内に、少しずつ筋肉がついてきて、代謝が上がってるのは間違いなく実感できている。

筋トレとかしても、長続きしないで、大した効果がなかったんだけど、やっぱり、目の前で泣いてる子どもを放置することなど出来る訳なく、結局、それが筋トレ以上に効果を発揮しているのだろう。

ちなみに、そんなオレをは正反対に子どもは丸々と成長しておりますよ。

良い意味で。

さてさて。

新曲「僕と君とあなたと私の死合わせ」の歌詞がほぼ完成した。

・・・らしい。

人それぞれに生きてきた人生が果たして「死合わせ」だったのか「幸せ」だったのか、それを聴いた人に考えてもらうと言うテーマの元に、オレの考えた他愛もない人生の短編をいくつか寄せ集めた1曲。

(「死合わせ」の方は、死にめぐり合いたい位の不幸せってイメージで考えてた。


そもそも、この曲のイメージソースが浮かんできたのは、子どもの寝顔を眺めている時だった訳で、つまりは「果たしてこの子は幸せなのか?」そんな事を考えていたと言う訳だ。

子どもは親を選べない。

と、良く言われる陳腐な表現があったりするけれども、だとしたら、偶然の重なりあいでオレと嫁の元に来てくれたこの子は、はたして幸せ何だろうか・・・

思い悩む。

そして、行きつくのは「では何が幸せで、何が死合わせ」なのか。

この世に生まれ出る事は、喜ばしい事なのだろうか?
今の日本じゃあ、死んでいく人の方が多く、生まれてくる子どもが少ない・・・らしい。

そんな事情も含めて、家族みんなが、子どもの誕生を心から喜んでくれている。

(と思う。


だが、それ自体は、当人には関係ない訳で、それ以前に、この一族の一員として生まれる事など、自分で選んできた訳じゃあない。

ついでに言えば、この子がこれから生きていく何十年と言う時間。

世界が平和であったり、平穏であったりする保障すらどこにもない。

それでも、心の底から待ち望み、ついでにこの子を守り切ろうとかそんな変な責任感まで感じて、この子を腕に抱いた。

オレと嫁の(もしかしたら)エゴで、この世に誕生した一つの命。

オレに出来る事全てを最大限にやる事だけだとは思う。

時間が経った後、この子が自分の人生を省みて、「大変な事ばっかりだったけど、それでも、生まれてきてよかった」と、少しだけでも思ってくれれば、それでもう良いじゃあないか。

頼るものものなく、それでも、オレとか嫁を信頼しきってピッタリくっ付いてくるこの生き物を抱きしめながら。

そして、そんな気持ちを、この子が大きくなるまで聴かせる事が出来ないような不謹慎な歌に仕上げて見ようと思っている訳です。

ここ最近、作っていく何かは全て、今ではない、少し遠い将来、この子が読んだり聞いたりして「こんな事を考えてたんだ。

」と、少し心に日か買ってくれればとか、そんな事ばかり考えております。

ここで、作風がぶれるかどうかだよなぁ~

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