- 2009年5月19日 0:55 CAT :
-
火葬場デート
朝も早くから電話がかかってきた。
それも、朝の5時。
下手したらまだオレが寝る前かもしれないような朝早い時間。
知らない番号。
しかも、嫁との連絡用の方の携帯。
こっちの番号なんか、知ってるヤツほとんど居ないのに・・・そう思って無視してた。
朝起きて、留守電が入ってたので聞いてみると、「あ、いつもお世話になっております。
○○です。
らっきょうの収穫をして下さい。
またお電話します。」とか入ってた。
・・・らっきょう・・・好きだけれども・・・収穫はした事無いような・・・
2回目かかってきた時に、ちゃんと「番号間違ってますよ」って教えてあげた。
コレまで3度ほど、火葬場で骨を拾った経験がある。
「人間、骨になったら同じ」と言った類の表現は良くされるけれども、焼きあがった骨からも、その人がどんな人生を送ってきたかは分かる。
キレイに形の残った骨、粉々で消し炭のようになった骨など、正に千差万別。
骨色々と言った所か。
火葬される直前、最後にお別れをする時にはやっぱり悲しくて涙が止まらなくても、数時間後きれいに焼けた骨を見た時には、何だか不思議な気持ちになる。
もう悲しくて、涙が止まらないなんて事は無い。
何か、本当に不思議な気持ちになる。
火葬場のおっちゃんに「きれいに焼けましたね。
骨もしっかり残ってる。」とか言われたら、何だかチョッとだけ「良かったなぁ~」とさえ思ってしまうそんな心持ち。
ある意味、そこにきて踏ん切りでも付いたと言うのだろうか・・・
この「骨を拾う」と言う行為が実に大切な事のように思える。
例えば土葬では、最後のお別れをする時にだって、やっぱり悲しいままで最後を迎える。
お墓を見る度に、埋められる直前の顔がチラついて悲しくてしょうがない。
オレの場合は、キッとそうだ。
でも火葬され、骨を拾ってあの不思議な気持ちになる事で、ひとつ何かが変わる。
それを、ただ人の死を乗り越えられない軟弱な考え方と言われればそれまでだけれども、そんな簡単に大切な人の死なんてキッと乗り越えられない。
そんな時に、少しだけ乗り越える手助けになるのが、骨を拾うと言う行為だと思う。
嫁と、お葬式について話してる時に、ふと思った事。
- この記事を見てみる ⇒