- 2008年2月23日 23:46 CAT :
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ディムロフェレィアは夜に彷徨う
何か知らんけど、今週はアホみたいに長かった・・・いつまで経っても終わらない。
まだ木曜・・・まだ金曜・・・そして、やっと今日だ。
だのに、うにんに買ってやった首輪は1週間もしないうちにボロボロ。
世の中なんてそんなものかも知れない。
サイエンス・・・何とかって言うテレビを見てた。
多分「サイエンスミステリー」だと思う。
アシュリーが出てたし。
毎回毎回ダラダラと見ているんだけど、だんだん嫌気がさしてきた。
と言うか、今回のは何だか酷かった。
もうサイエンスでもミステリーでも何でもない。
ただ悲劇を並べ立てて、泣かそう泣かそうとするテレビ局側の意図が見え隠れ・・・そう言うコンセプトの番組だったけか?
そんなこんなで、人間の不思議に興味津々の志茂田さんです。昨日のテレビで「UA」が地球の環境破壊についてツラツラ語っていた。
嫁からもらったアルバム「泥棒」を聴いた時には、この人は天才だと思ったもんだ。
素晴らしく美しい曲を書く人です。
そんな「UA」なもんだから、どんな事を言うのかとウキウキしていたんだけど・・・なんか違うと思った。
「少しでも暮らしの中に感じた違和感を大切にして」と言うメッセージが繰り返し流れ、強調されていた。
違和感。
自然に対する人間の考え方は違和感だらけだ。
テレビで「UA」が訪れていたのは「ツバル」と言う、世界で最も標高の低い島。
温暖化で、消滅寸前らしい。
でも、その島の人たちは、ただ静かに現実を受け止め日々を暮らしているとか・・・
人間も自然の一部であって、決して自然を作り出した神じゃあない。
自然に優しいとか、自然のためにとか言う見当はずれなキャッチコピーにこそ違和感を感じる。
人間も自然の一部なんだから、自然に優しいは人間に優しい、自然のためは人間のためを偽善化した言葉なんだろうな。
自然を守ると言うのは、人間が生きていくのを守るため。
環境を人間が破壊しているとか、自然を人間が保護しているとか言う上から目線がどうも嫌い。
それも含めた上での「自然」なのだと思う。
きっと「自然」って言うのは、もっと大きなものだ。
きっと「ツバル」の人たちは、そう考えているから、静かに現実を受け入れているんだ。
人間は人間を過大評価し過ぎてる。
違和感。
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