2008年10月20日 13:43 CAT :
       

厭世のお時間

どうも。

ボ~ッと女子高生眺めながら、1人1人のまんこの形状の違いについて妄想を膨らましていた変態です。

コンビニのトイレとかにある「いつもきれいにお使いいただきありがとうございます」の張り紙って、何か変に思う。

一体何を言いたいんだか。

「これまでの人はきれいに使ってんだから、お前も汚すなよ」って言う意味なんだろうか・・・それとも、「いつもいつもアホみたいに臭いうんこばっかりしやがって・・・」とぶち切れながらの嫌味だろうか・・・どっちにしたって、あんまり見てて気分のいい張り紙じゃない。

・・・ってそれが、実は狙いか?
マァいいや。

エ~と・・・どうしてそう言う話になったかと言うと、今コンビニのトイレでまさしくその張り紙を見ながら、うんこしてる訳ですな。

で、暇なんで(と言うのもおかしいけど・・・)その間にブログでも書こうかと。

これがホントのうんこブログ。

そんなこんなで、以下「うんこブログ」です(↓)
冷静になって考えてみると、そんなはずはない。

けれども、それは実際に起こりうる。

それこそが、紛う事なきリアリティーだと思う。

事実は小説よりも奇なりと言う言葉には、そのニュアンスがきっと含まれている。

つまりは、所詮、人間の妄想・空想は、現実に起こりうる事のレベルに遥か辿り着けないと言う、何とも物悲しい事なんだろう。

そんな中にあっても、何とか現実に起こりうるレベルに近づきたくて日々悶々とする事、幾星霜・・・長い・・・そして何とも不毛な時間だ。

勝てるわけのない相手に挑むは、まさにドン・キホーテと風車のようなものなんだろうか・・・

もう出尽くしてしまった・・・例えば、目新しいものを考えても、それはきっとすでにある既存の何らかの分野に分類されてしまう時代のようです。

オレ自身それでいて、どの分野にも当てはまらないものを作れればそれで満足な時期も長かったけれども・・・ふと思った事は、分類に当てはまらない事への違和感。

そんなものを作りたいわけじゃあない。

自分の頭の中にあるものを表現したいのか、まだ誰もやった事のないものを作り出したいのか・・・考えてみれば、オレはきっと前者だ。

頭の中にあるものが、誰もやった事のない新しいものだと言うのなら、話は別だけれども(それが出来る天才も確実に存在してるし)、誰もやった事がないものを・・・と言う観点だけで、モノ作りをするって事はきっと表現するって事と真摯に向き合ってる姿勢じゃない・・・と思う。

冒頭の話に戻ると、現実に起こりうる事は、例えば、どんな天才にも全く思いつく事の出来なかった圧倒的なモノであっても、リアリティーがあり、それを誰もが受け入れることが出来る事のはず。

人間の妄想・空想などに話を移せば、受け入れられるって事は、既存の分類に甘んじる事で、新しい事を始めれば、その違和感からリアリティーが剥離していくみたいです。

結局は、既存のあるものをどれだけ捏ね繰り回してオリジナリティーを高めていくか・・・と言う事。

そこを置いといて、「とにかく新しいものを」って、自分でもよく分からんものを生み出してる姿勢って見苦しいよなぁ~。

でも、それって素晴らしい。

いつか現実との距離感が無くなる日は来るのでしょうか・・・

プリプリ・・・ジャ~

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2 thoughts on “厭世のお時間

  1. SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
    え~と・・・ありがとうございます。

    こんなブログをわざわざ・・・

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