2008年11月25日 22:39 CAT :
       

脳内世界の革変的動作についてではない

電車や車での長い移動が多くなると、必然的に本を読む時間と考え事をする時間が増えてくる。

本を最近比較的沢山読んでると思う。

マンガじゃなくて小説。

読んでるのは、相も変わらず「オーケン」と「江戸川乱歩」って言ったら、嫁に「なぁ~んだ」と言われた。

何で?オレはまだ、この人達に飽きるには早いと思うんだけれども・・・取り合えず、そうは言いつつ少し考え直して、他に「寺山修司」と「坂口安吾」くらいを加えようかと思ってる。

あんまり変わんないか・・・・

「吉本ばなな」読んでた時もそうだったけど、小説を読むと何だか泣いてしまう。

最近じゃあ「新興宗教オモイデ教」を読んではウルウル。

「ステーシー」読んではウルウル。

特に大好きな「リンダリンダラバーソール」読んではウルウル。

マンガが大好き。

だけれども、感情を揺さぶられる。

と言う一観点からだけで評価するのならば、小説のそれは圧倒的であると言うしかない。

ひとつにあるのは、小説が文字だけだと言う点だと思う。

字しかないから、頭の中に小説の世界を繰り広げないと、内容がなかなか頭の中に入ってこない。

そうこうしてる内に異常に感情移入して(場合によっては、自分を登場人物がダブって)しまった挙句、ウルウルと泣いてしまうんだろう。

それはもう・・・ほんとに泣いてしまう。

涙が、ポロポロ出てしまう。

コレまで人間が信用できなくて、人の前で眠る事が出来なかったのに、初めて安心して一緒に眠る事が出来るようになった詠子を再殺しなければいけなかった渋川さんにだって感情移入してしまった。

遠い世界に行ってしまった恋人を前に「あの頃みたくもう一度植物園を一緒にデートすれば、今君が考えてる悩みなんか全部、何も無かったようにすっきるするはずだよ」と泣きじゃくるコマコにだって感情移入してしまった。

「自分の葬式なんて何だか寂しくてイヤだ」とマリアへの手紙に書き綴ったつぐみにだって感情移入してしまった。

ただただ足元がふらついて、不意に石ころにぶつかってこけてしまい、そのまま誰と言う訳でもなく深々と土下座をしてしまった柾木愛造にだって感情移入してしまった。

大好きだった夏江さんがトー・コンエと心中してしまった悲しみを絵の具と一緒にどろどろと流してしまおうと、いつまでも水飲み場で手を洗い続けたジロちゃんにだって感情移入してしまった。

末期がんで死ぬ直前に「命を捨てようとするのなら、その命がいらないならオレにくれ。

俺はまだ死にたくない。

死にたくはない。」と言う詞を書いた池田貴族にだって感情移入してしまった。

目くるめくシーン。

これらはきっとマンガで表現したら、オレは泣いてなかったと思う。

小説だからこそ、心が揺さぶられたんだと思う。

小説の素晴らしさを改めて思い直す事になってきた。

とは言えども、オレのマンガこそ全てを1人で表現できる最高のエンターテイメントだと信じて疑わない気持ちは変わらないみたい。

だから、やっぱり最終的には、マンガに帰ってくる。

きっと帰ってくる。

ただ今は少し、新鮮で楽しいので、小説を手にとってはみてる。

そんだけの話です。

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