2007年11月25日 2:03 CAT :
       

昔日記シリーズ3

毎年11月3日の恒例になってた「昔日記シリーズ」が2年ぶりに復活でございます。

しかも、仕事が忙しくて忘れてたので、こんな中途半端な時期に・・・それもマァ、超ニュースチョクホーを書いてて、昔の事を思い出すために昔の日記を読み返して思い出したわけだけれども。

と言うわけで、超ニュースチョクホーの続きはすでにアップ済みです。

そろそろ第2部前半も佳境なんでまた読んでおくれ~
いやいや。

ココから、昔日記です。

1つは2005年9月19日の日記。

とても悲しい内容だけれども、オレがこれまで書いて来た記事の中でもかなり大切な記事です。

 「数日前、高校時代の知り合いが亡くなりました。

その子とは、何度か一緒に飲んだ事があるくらいで、メチャクチャ仲良しって言うわけでもなかったけど・・・でも、もう会えない。

そう考えると、凄く寂しい気がしました。

コレまでもの凄くたくさんの出会いがあって、でも、その中の殆どの人と会わなくなってしまう。

でも、又いつか会う事もあるだろうし、会えなくても、オレとは関係ない世界のどこかで生きてるんだろう・・・みたいなことを思ってました。

・・・なのに・・・

 テレビでは連日、「~が死んだ」とか「~が殺された」、果ては「何人の人が死亡」など、とかく「死」が報道されています。

でもそれは、遠い場所での出来事で、テレビを消してしまえば、もうそれまで。

リアリティーが全くない。

じゃあ具体的に、死ぬってどう言うことなんだろう?生きるってどう言うことなんだろう?
 小学生の頃。

大好きだったじいちゃんが死んだ時、初めて人が死んで泣いたと思う。

あの時の事ははっきり覚えてないけど、「悲しい」とか「辛い」とかそんな事を考えてなくて、ただ泣いた。

そんな感じだった。

オレは、よく映画とかマンガ、音楽とかで泣く泣き虫です。

だけど、そのどれもが、「可哀想だなぁ~」とか「悲しい」とか「良かったなぁ~」などなど、あくまでも他人事として感情を整理して泣いてます。

でも、じいちゃんの時は違った。

あれが本当に泣くって言うことなんだと思う。

 オレの作る物語は全てテーマに「生と死」があります。

んで、それは書いている段階でのオレの中での答えなので、今読むと「そうじゃないだろ?」と言うこともたくさんあります。

でも、それは当たり前のことで、多分人間は一生、命を懸けて「生と死」という問題を考えていくんでしょう。

答えはいつでるんだろうか・・・?オレはまだまだ考え続けないといけないのかなぁ?」
そしてもう1つ。

これは今から7年前かな。

2000年5月30日付けの日記。

何だかこの頃の創作に関する苦悩が書かれています。

こんなに昔から悩んでいるのに、まだ結論は出ていない。

きっとこの先も出ることは無いんだろうな。

「学校サボった。

今学期は2回目?前は多分4月19日だったかな?何かやばいなぁ~んでも、もう最低でも1学期中はサボらないつもり。

って言うかこれは決心。

で、1ヵ月以上ももう作り続けてる8月1日の公演用のシナリオ。

「白樺と楠」がもうチョッとで完成。

今度こそは、没になら無いだろうか。

一体どれだけ没になった事か・・・明日今出来ている所まで取り合えずだけど、みんなに読ませてみるつもり。

あと、先輩方から「頑張れ」と頂きました。

今日は○○先輩と○○先輩。

何だか、わがままばっかりだし、シナリオも進まないし先輩たちに苦労かけてるんだろうな・・・って思った。

本当にゴメンナサイ。

こんなわがままオレはやっぱり何事にも深入りしないで、意味も無く日々を過ごしていく方がいいのだろうか・・・」
ちなみにこの脚本「白樺と楠」も見事にボツり、さらにドつぼにはまっていくわけでした。

そんな感じで温度差はあるけれども、どちらも深い悩みのお話。

それではまた来年。

生きてたら。

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