2007年11月29日 23:24 CAT :
       

視覚効果と赤の他人の関連性について述べる

中出し大好き辻ちゃんの子どもが無事産まれたそうで。

おめでとうございます。

名前が「希空」と書いて「ノア」と読むそうです。

地球上の全生命でも救う気だろうか?さすが考える事が違うな。

人間の脳はすごいと良く言われるけど、実の所そんな事もないらしい。

何でも、人間の脳みそは演算計算を1秒間に1000回程度しか出来ないショボコンピューターらしい。

(ちなみに最近のコンピューターは1秒間に10000000000000回位の演算計算が出来るそうです。)
だから、物事を認識する時に恐ろしく簡単に認識する事で、何とかかんとか物事を理解している。

例えば、バナナは黄色に黒い点が少しある曲がった棒。

りんごは赤い少し歪んだまる。

と言った具合に。

そして、それを脳の中でりんごと認識すると、かつて作り上げたりんごの造形が引き出しから出てくる。

つまりは、目の前にある実物そのものから認識する部分を極端に減らす事で、目で見たものを脳で処理している。

コレが俗に言う「錯覚」と言うヤツ。

似たような違うものを見せる事で脳が、似たようなものを引き出しから持ってくるので、違うものに見えてしまう。

もしこの話が本当で、目の前にあるものを人間は正確に認知できないのならば、一人一人の見えている世界は全て違うものである可能性があるって事になる。

脳が作り出した造形が必ずしも同じであると誰が言えるというのだろうか?それを調べる術も、他人になる事も出来ないのならば、自分以外の人が一体どんな世界を見ているのかなんか知る由も無い。

だとしたら、この世界の本当の形は一体どんなものだろう?もしかしたら、もうで造形するものと全く違った、新しい世界かもしれない。

オレはズ~ッと世界で一番のデザイナーは神様だと思ってた。

この世に本当に生きる色んな生き物の造形美は、人間が想像して作るどんな物よりも美しいし素晴らしい。

ネコのようなかわいさは、花のような美しさは、人間がどれだけ考え出しても作り出す事は出来ない。

でも、もしその造形自体がそれぞれの脳内で作り上げられた独自の造形であるのならば、それぞれの人間が全て脳内に恐ろしいデザイン能力を秘めていると言う事になる。

世界を美しく見る事の出来る人間。

世界を歪んでしか見れない人間。

世界が暗闇にしか見えない人間。

その全てが、脳内に携えたデザイン能力。

ひいては各々の個性がもたらしたものなのかも知れない。

オレが見て素敵だと思うものを嫁が自分の目で見て、ステキに思っているのだろうか。

そんな事をフッと思ったりしたネタでした。

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