- 2006年1月4日 3:37 CAT :
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夜歩く(前編)
マンガのコピーがてらに久しぶりの夜の散歩を満喫した。
夜の散歩。
オレの大好きな時間だった。
昼間の世界では見えている、汚いものを闇が隠してくれる。
だから、夜の街は綺麗で、オレはその空間にひとりポツネンといる感覚が大好きなんです。
足元には、タバコの吸殻や空き缶、エロ本に生ごみ、人の死体だって転がってるかもしれない。
昼間に歩くにゃあ汚すぎるそんな場所でも、夜なら歩ける。
「キンショー」も「夜歩く」っていう歌の中で「夜は醜いものが見えないだけだ」って歌っている。
その感覚が分かったのは大学に入ってから。
それまで、夜外に出るなんて事は考えられなかった。
闇は何があるかわからない。
それが途轍もなく怖く感じられたからだ。
それが、「闇は何があってもわからない。」に変わった時から、夜の散歩も出かけるようになった。
誰もいない海沿いの道を、波の音を聞きながら、ただ何とはなしに歩く。
気が付けば5時間も経って、空が明るくなってきて、あわてて家に帰った事もある。
あれは実はオレにとってのガス抜きだったんだと今になって思う。
人によっては「病んでる」ととる人もいるのかも知れない。
それは間違いではないけど、そう言われたら傷付くのであんまり言わないようにしてあげてほしい。
特にオレには。
高校の頃、手首を切ってたのだって一種のガス抜き。
形は変わったけど、その本質は変わっていなかったんだと思う。
汚いものに我慢して我慢して我慢して我慢して・・・限界になったら、汚いものが見えない夜に逃げ込んでいたんだろう。
ある日を境にオレは夜歩く事をしなくなってしまった。
それは、凄く通俗的な理由で、何と言うか、ここに書くのもどうかと思うのだけれども、つまりは、「車」と言うものを手に入れたことだ。
逃げる場所が圧倒的に増えた。
夜でなければ汚すぎる場所に行かなくとも、昼間にでも綺麗な所に行けるようになった。
オレは車を飛ばして、どこまでもどこまでも走っていった。
最初の半年は月に2000Kmも走ってた。
四国は全て制覇した。
夜の散歩をしなくなって気が付けば一年も経っていた。
で、今日。
1年ぶりの夜の散歩。
そもそも場所が変わってしまった。
でも、場所に変化は関係なくて、どこでいても、夜は夜のまま。
わざわざ来るまで遠くに行かなくとも、どこまで行っても同じ闇。
そこに、懐かしさを感じて、結局、マンガのコピー片手に一時間以上夜の街を彷徨った。
多分、これがオレなんだと思う。
その本質は変わらないんだと思う。
後編へ続く。
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