- 2005年11月3日 17:02 CAT :
-
昔日記シリーズ2
文化の日だ。
って事で、昔の日記を穿り返してオレ自身のここまで成長する中で培われた文化を載せて見ます。
1つは2005年9月19日の日記。
とても悲しくてでも、この日記がいずれ無くなるのかと思うと物悲しいので、もう一度だけここに添付します。
「数日前、高校時代の知り合いが亡くなりました。
その子とは、何度か一緒に飲んだ事があるくらいで、メチャクチャ仲良しって言うわけでもなかったけど・・・でも、もう会えない。
そう考えると、凄く寂しい気がしました。
コレまでもの凄くたくさんの出会いがあって、でも、その中の殆どの人と会わなくなってしまう。
でも、又いつか会う事もあるだろうし、会えなくても、オレとは関係ない世界のどこかで生きてるんだろう・・・みたいなことを思ってました。
・・・なのに・・・
テレビでは連日、「~が死んだ」とか「~が殺された」、果ては「何人の人が死亡」など、とかく「死」が報道されています。
でもそれは、遠い場所での出来事で、テレビを消してしまえば、もうそれまで。
リアリティーが全くない。
じゃあ具体的に、死ぬってどう言うことなんだろう?生きるってどう言うことなんだろう?
小学生の頃。大好きだったじいちゃんが死んだ時、初めて人が死んで泣いたと思う。
あの時の事ははっきり覚えてないけど、「悲しい」とか「辛い」とかそんな事を考えてなくて、ただ泣いた。
そんな感じだった。
オレは、よく映画とかマンガ、音楽とかで泣く泣き虫です。
だけど、そのどれもが、「可哀想だなぁ~」とか「悲しい」とか「良かったなぁ~」などなど、あくまでも他人事として感情を整理して泣いてます。
でも、じいちゃんの時は違った。
あれが本当に泣くって言うことなんだと思う。
オレの作る物語は全てテーマに「生と死」があります。
んで、それは書いている段階でのオレの中での答えなので、今読むと「そうじゃないだろ?」と言うこともたくさんあります。
でも、それは当たり前のことで、多分人間は一生、命を懸けて「生と死」という問題を考えていくんでしょう。
答えはいつでるんだろうか・・・?オレはまだまだ考え続けないといけないのかなぁ?」
2000年5月14日の日記。最近また同じ事を思うようになってきた。
高校時代にフラッシュバックしてるのか、それともただ単にモラトリアムなのか?それはオレにも分からない。
でも、今オレは死にたいとは思わないかなぁ~
「死にたいって思うのは『時間の事を考える』時って最近決まってきた。身近過ぎて。
分からない。
でも、身近にあって、絶対に戻ってこないもの。
今こうして日記を書いてるこの一瞬も二度と戻らない貴重な時間。
あの楽しかった頃に戻りたい。
決して叶わない夢。
1秒は何よりも大切なのに、その1秒を何もせずに終わっている自分に気がついた時、一番『死にたくなる』。
だって、この時間を絶ってやろうと思うから。
それでも明日はくるし、やっぱり生きてる。
それでいい。
と思うけど、だからこそ不安になる。」
2000年7月22日の日記。オレが一番死にたかったときで、あの頃はよく腕を切ってた頃のものだ。
ちなみに今回のは、例の「告白ライブ」前日のものです。
「遂に・・・明日だ。
もう・・・出来る事は全てやった。
夜。
ほとんど寝てないのがテスト以来3週間以上。
もう・・・これで明日の朝キッパリ死ねたら、それはそれで美しい死に方だよね~。
とにかく明日全てがわかる。
例えどうなろうとも後悔だけはしたくない。
3月の・・・あの卒業式はもうイヤだ。
今日のスタジオもかなりいい感じで出来た。
ただ・・・『アイ』だけ・・・思い入れが強すぎてうまく曲が出来なかった。
イメージを伝える前に感情的になっておこってしまって、うまく出来なかった。
それに『T』!!あいつは・・・やっぱり今回で解散はまぬがれない・・・とにかく明日・・・・あ~でも死んでしまえば楽なんだろうか・・・『MindYourStep』がうまく出来なくて、また切ってしまった。
言う事を聞かない腕め・・・」
本当は後ひとつ。高校の部活について書いてある奴を載せたかったんだけど、いっぱいになりすぎるので今日はここまで。
皆様、過去のイタイ日記ご愛読ありがとうございました。
ハイ。
- この記事を見てみる ⇒