年別アーカイブ: 2023年

2023年3月15日 20:00 CAT :

空襲の警報がデートの合図

ふと思い立って、ブログのヘッダー部分の過去アーカイブを月別から年別にしてみた。

いやね、月別にすると長くなりすぎてこれはどうなんだろうと思ってたんだよ。

で、年別にしてみたらなんとこのブログ書き始めてもうじき20年が経とうとしていた。まぁ、このブログの前のもう消えてしまった部分を入れればもう20年超えてはいるんだけど・・・

そして、2007年の投稿記事数何と397件・・・!?

1日1件以上のペースで記事を更新していたらしい。

こいつを超えることは出来ないだろうけど、今年は毎日更新するので、年間300件は確実に書くんだろうな。と、自分を戒めておこう。

まぁあくまでPCの話なので、スマホから読んでる奴がいたとて、何の話かは分からんだろうがね。

さてさて。

先日、ふと頭の中に変な言葉が浮かんできた。

「birthday kill-Re」

という言葉。

なんだ?この言葉?と思ってたら、今日、お仕事に疲れてお散歩してたら突然、めっちゃ面白そうな物語が降ってきたんだよ。

で、その物語のタイトルにぴったりの言葉が「birthday kill-Re」だった。

ええ。ええ。言いたい事は分かってる。

なぁ~にをいい年したおっさんが、中二病みたいなことをのたまってるんだ。心の底から至極見苦しい存在だ。と、言いたいんだと分かってる。

こういう事が昔は往々にあった。それこそ中二病の頃には。

でもこの年になって、こういう事があると何だか嬉しくなってくるんだよ。どろりと溶けた脳みそがチョッとだけ若返ったようなそんな心持ちだと思う。

基本的に曲を書くときは詞先。所謂、先に歌詞を書いてからそれにメロディーラインを乗っけるやり方をやってる。

でも、その詞の元になる物語を描くときは、タイトル先だったりする。と言うか、マンガを描くときも、小説を書くときも、曲を描くときも、演劇の台本を書くときも全部タイトル先。

一番最初にタイトルがあって、次に物語がある。で、最後にキャラクターが来て、プロットをまとめて作ってみると、オチにはなるほどちゃんと最初にあったタイトルの意味がちゃんと回収されている。そんな感じ。

「us」って物語を描くとき、物語に「second stage」と言う副題を付けた意味は、当時のオレも良く分かってなかった。多分、「忍空」って漫画を読んでたから何となく付けただけだったと思う。

所が物語を進めていくと、物語自体がループものだった。しかも、丁度漫画として描いていたのは、そのループの2週目だった。

だから、最終話を「us-third stage-」にすることで、タイトルの意味がちゃんと回収できた。

これから漫画に描くかもしれないけれども、過去に作った曲の中でかなりお気に入りの曲として「パラフィリアグロッサリー」と言う曲がある。

これも先に「パラフィリアグロッサリー」と言う言葉が浮かんできた。

で、何となく「パラフィリアグロッサリーその1」と言うタイトルの曲が出来上がった。愛する彼女を死姦してしまった男の懺悔の唄。

そのすぐ後に「パラフィリアグロッサリーその2」と言うタイトルの曲が出来上がった。「その2」は、男がなぜ愛する彼女を死姦してしまったかの過程を描く唄。

男は、実は「回転性性癖偏旁障害」という夜寝る度に自分の性癖がリセットされてしまう良く分からない病気に犯されていた。その病気を治すために協力してくれた彼女が死んでしまうタイミングで男の性癖が「ネクロフィリア」になってしまい、彼女の死体に蠱惑を覚えた男が死姦してしまうと言う物語。

歌詞を書き終わった後、ふと思い立って「グロッサリー」と言う英単語の意味を調べてみたら、「日用品」と言う意味と「加工する」と言う意味があった。「パラフィリア」は「性癖」と言う意味。

これ、夜寝る度に性癖がリセットされてしまう病気の通称が「パラフィリアグロッサリー」で行けんじゃね?となった結果、曲の全てが完成した後、ちゃんとタイトルが回収できたわけでございます。

ちなみに、その歌詞が(↓)こちら

「パラフィリアグロッサリーその1」

「パラフィリアグロッサリーその2」

同じような感じで、実は「果て 1」と言うタイトルの曲があったりするんだけど、これはなぜかまだ「果て 2」と言うタイトルの曲が存在しない。

でもなぜか、この曲を書いているときタイトルは「果て 1」だった。

いつか「果て 2」と言うタイトルの曲が出来上がって、この「果て」の意味を回収できると信じている。

物語を描くと言う事は、頭の中で考える事じゃなくて、必然を外に出している作業でしかないと言う事が良く分かるお話。

ちなみに、その散歩の後、30分くらいで「birthday kill-Re」は無事ネームに切ることが出来た。

近いうちに、原稿も描いていく。

「出来過ぎた準備」よりも先に、こっちの方が完成しそうな気がしてる。

どうでも良いけど、もちろん「出来過ぎた準備」もタイトルが先に出来上がってる。けど、この話はまだ結末が見えてないので、どうタイトルが回収されるのか、オレも良く分かってない。

・・・長くなってしまった。

こういう話をし始めると止まらねえダメ人間でございます。

さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。さようなら。

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2023年3月14日 20:00 CAT :

退屈でギターを手にしたあの日から変わってしまったBaby Blue

昨日は1日に4件も打ち合わせがあって、さすがに脳みそが腐って耳から垂れてくるかと思った。

ただ、いくつか大きいお仕事の話をいただきまして・・・本当にありがたい限りでございます。本当に感謝してもしきれない。こんなオレなんかに居場所を与えてくれた、全ての環境に感謝しかない。ありがとうございます。

そんな毎日を過ごしております。

会社もそろそろ3期目に入る。起業から5年以内に90%の会社が倒産すると言われる令和日本で果たして、オレの会社は5年を超えて存在するのか!答えは神と言うか、龍のみぞ知る。

さてさて。

先日、不意に見つけて衝動買いしてしまったCDがある。

かつて日本に存在していた「ヒステリックブルー」と言うバンドのファーストアルバム「baby blue」でございます。

高校時代、組んでいたバンドでボーカルやってた「くろすけ」と言う女がこのバンド好きで、何曲かこのバンドの曲をコピーしたんだよ。

そのライブ付近でこれと次のアルバムは本当にアホみたいに聞き込んだと言う、ちょっぴり甘酸っぱい青春の思い出があったりする。

実に20年ぶりくらいに聴いてみた。

聴いていると、実にあの当時を思い出して、何ともアンニュイな気持ちに浸るじゃあないか。

それはそれは良い体験なので、何も言う事はない。

ただ、このCDは現在廃盤になっている。流通していたものも全て回収され、永久に売られることはない。(中古市場にはたまに流れてるけど・・・)

このバンドのギタリスト、ナオキはこのバンド活動中にレイプ事件を起こした。と言うか、つい最近にもレイプ事件を起こした生粋の本当にどうしようもないクソ性犯罪者。

その為に、バンドはもちろん解散。ついでに、ヒステリックブルーのアルバムも全て廃盤、回収となってしまったんだよ。

オレの思い出のアルバムは、メンバーのレイパー野郎によって、廃盤回収、そして日本のJpopの中で黒歴史扱いになってしまった。

作者が犯罪を犯したとしても、作品に罪はない。とかそんな話は、よく議論される。

大好きな電気グルーヴなんて、瀧がヤク中だったことを知った時「そりゃあそうだろ。『富士山』の歌詞とか正常な脳みそで書けるわけないじゃん」としか思わなかった。むしろ「卓球はやってなかったのか!?なんだか失望した!」くらいな感じですよ。

※この辺りの詳しい話はこちらでも話してた。「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」

流石にレイパーナオキを擁護する気にはなれないけれども、だからと言って、この名作アルバムとそこに収録された名曲たち、引いてはオレのアンニュイな思い出を全て闇に葬る事にはどうしても賛同できかねる。

このアルバムでオレが一番好きだった「candy」って曲は何を隠そうレイパーナオキの作曲なのだよ。

そもそもクリエイターなんて、頭のネジがぶっ飛んでるに決まってる。

生み出された作品はあくまでも作品であって、作者ではない。

ピカソは、「ゲルニカ」を描き上げているとき、目の前で愛人二人を自分と付き合う権利をかけて殴り合わせて、それをゲラゲラ笑ってた。

そんなピカソが描いた「ゲルニカ」には価値がないのか。

レイパーナオキは糾弾されて然るべきだけど、レイパーナオキが作り上げた名曲「Candy」は評価されて然るべきだと思ってる。

他にも、「直感パラダイス」や「春」「なぜ・・・」などヒスブルは良い曲多いんだよ。

作品と作者を結び付けてはいけないと思う。

親が犯罪者なら、その子どもは問答無用で闇に葬る。

そんな社会で良いと言うのか?と言うお話です。

こっちがセカンドアルバムの「ワラビー」。

また見かけたらお買い上げします。

唯物論者でございます。

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2023年3月13日 18:40 CAT :

途切れた夢の続きを洗い流す無情の雨

この世界はもうダメになってしまった。

2択を迫られるとして、一つは「世界と共に滅び去って死ぬ」もう一つは「過去の一点に戻って、残りの人生を全うする」しかなかった。

オレの場合、自分の寿命分を生きることが出来る換算で言うと、1998年に戻るくらいが丁度いいらしい。

1998年と言えば、まだゲームセンターでコイン落としのゲームをしても1日遊べるくらい、日本の経済自体も安定していた。

あそこに戻って、人生をやり直す。

ただ、戻れるのはオレ一人な訳で、家族はそれぞれに別の時間軸に戻っていく。

当然子どもたちは、オレより長生き出来るのでオレより更に過去に戻っていくことになる。

その結果、オレが死ぬタイミングとほぼ同じタイミングで、死に際の年老いた家族全員がもう一度、この約束の場所で再開して、みんなで一緒に死ぬ。

それは果たして幸せな事なんだろうか。

悩んで、悩んで、悩みぬいた末に、オレは世界と共に滅び去って死ぬことを選んだ。

そして、死んでいこう。

終末の景色はなぜかとても美しく見えた。

・・・

・・・

・・・

・・・

・・・

と言う夢を見ました。

マンガのネタに出来るかなと思ったけど、何か色々矛盾があって、到底マンガに描けそうもない。。

所詮夢でしかないなと思った。

でもせっかくなので、ここに書いておこう。

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2023年3月12日 20:24 CAT :

僕はゴッホじゃ嫌なんだ

子どもの頃からずっとコミュニティー内で存在を否定されて生きてきた。

結局、大人になっても社会に自分の居場所なんてなかったから、今は、自分の居場所を作るために会社を作って、そこでなんとか生き永らえている。

まさにのび太君状態。

昔からずっと思ってた事がある。

人が嫌がるような事を敢えて進んで引き受けて、それをちゃんとこなしてた。

その部分をなぜか先生方からは評価されて、職員室での評価は高かったりした。それがクラス内ではより嫌われる要因になってたりもしたんだけども・・・

例えばみんなが嫌がる「トイレ掃除」とか比較的進んでやってきた。

何でこんな事をやってたのかと言うと、奉仕活動が好きな訳じゃなくて、かと言って、人の嫌がることを進んでやることで好かれようと思ってたわけでもない。

そのコミュニティー内で、オレにしか出来ない事を一つでも増やしたかった。

オレはいずれ自殺する。

オレが死んだあと、全員がオレのやってたことが出来なくなって困ってしまえばいい。そして、その段階になって「しもたって、思ってた以上に重要な存在だったんだな」と悔いればいい。

そう思ってたんだよ。

つまり、自分の死んだあと、アホ面で阿鼻叫喚するクラスメイト達を妄想してニヤニヤすると言う、悪魔くんもビックリの復讐方法。

ただ、現実では自殺した訳でもなく、ただ皆が嫌がることを進んで引き受ける便利な奴でしかなかった。

それでもオレにとっては、自分を受け入れてくれなかったコミュニティーに対しての復讐だったんだ。

この頃の経験が生きているのか、誰にも出来ない(もしくは誰もやらない)自分しかできない事を見つけ、それを出来るようになるのが何だか得意になっていて、そのお陰でこんなオレでも色んな人からお仕事をもらえる非常にありがたい事になってる。

今のところは、会社も順調に成長している。

昔、憎悪をもって遂行していた復讐が、今のオレの人生を支えている訳だから、人生って本当に良く分からない。そして、ファンタスティック。

今では、あの頃の復讐なんてものは忘れてしまって、丸くなってしまった。

と、言えれば、一番良かったんだろうけど、今は今で、当時オレの事をコケにした奴らのSNSとか見て、苦労してる様を見ながら「あんな偉そうにしてた癖に、オレよりしょぼい生活送ってやがるな。ざまぁみやがれ!」とか思ってるから、根本的な性格の悪さは変わってない。

このブログでも何度も声高に言ってきたけど、子どもの頃のオレは本当にどうしようもない人間だった。

今のオレでも、当時のオレが横にいたら間違いなく疎遠にしてたと思う。

社会から弾かれて当然の人間だった。

「いじめにはいじめられる側にも問題がある」って言葉あんまり好きじゃないけど、でも当時のオレは「そうされてもしょうがない」人間だった。

でも、それはそれとして、だからと言って、いじめていいと言う理由にはならない。

矛盾しているかもしれないけど、そう言う事なんだよ。

そして今も昔も、復讐されている当人にとっては痛くも痒くもない方法で復讐は続いている。これからも多分続けていくだろう。

最近では、これは意外と関係者全員がハッピーになると言う稀有な復讐方法なのではとさえ思ってる。

全世界の人間の憤怒がこの形で解消されれば、世界から戦争がなくなるかもしれない。

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2023年3月11日 11:04 CAT :

先を思うと不安になるから今日のところは寝るしかない

取り合えず、昨年1年間で書いた記事数を超えることが出来た。

まず第一段階・・・と言っていいのかどうかは分からないけど、まぁひとまず続いているので良しとしよう。

さてさて。

あれは番組だったのかCMだったのかも定かではない位昔の記憶なんだけど、子ども頃、テレビで見かけた何かで使われていたフレーズがなぜか今も頭の中にあったりする。

真っ暗な画面に火のついた蝋燭が1本だけ映って、「暗い暗いと不平を言う前に進んで明かりをつけましょう」と言うナレーションが入る奴。

嫁が先週、体調を崩して寝込んでた。

で、その間、拙いなりに子どもの世話とか、家事とかを出来る限りやってた。

ここ最近、お仕事が忙しくなってホント家事とかめっきりやらなくなってたんだけ、まぁ、そうも言ってられないので。

ちゃんとできたとは到底思えないけど、まぁ、何とかなった感じはある。

下手したら、下の子が生まれるとかその辺りの頃以来じゃないだろうか。何とも、情けない話でございます。

ただ、久々に自分で家事をやってみたら、意外とそれが嫌じゃなかった。

仕事積んでる時に、食器洗ったり、洗濯物を干してる場合じゃねえよ!とか思ったりしなかったと言う感じ。

むしろ逆に、嫁に対して思ってた不満が解消された感すらある。

嫁とオレとでは、価値観が恐ろしくずれてる。

これに関しては、結婚する相手は価値観が合わない人の方が良いと言う持論を持ってたりして、この価値観のズレがあるから長く仲良くしていけるんだとさえ思ってる。

要はお互いに、自分が重要だと思ってる事が相手にとってはどうでもいい事だから、お互いの重要な部分を譲り合って生活することが出来るって事。

ただ、一点、自分が重要だと思ってる部分を相手に委ねる必要がある時に、どうしてもそこに対して不満が出てきてしまうと言う懸念点があった事に今回気が付いた。

嫁のやってる家事に対してオレが不満に思ってたのは、まさに上記の嫁にとってはどうでも良いけど、オレにとっては重要なポイントだったらしい。

逆に、嫁が気を配って丁寧にやってる部分は、オレにとってどうでも良い所だったので、一生懸命家事をやってた嫁に対して「ちゃんとしろよ。」とは思っても、なかなか「いつも丁寧に家事をしてくれて助かるよ」とはならなかった。

オレが家事をすれば、多分嫁にとって重要な部分を丁寧にすることはできないと思うけど、オレにとって重要な部分の不満はなくなる。

嫁が元気になってからは、2人でやれば、お互いが重要に思う部分をちゃんとできるので、素晴らしく良い環境になるような気がするんだ。

何を当たり前の話をつらつら書いてるんだと言う話なんだけども、2人で協力して家庭ってものは作っていくんですよ。とか、そんな当たり前な事に、今更気が付いたと言う事ですよ。

なんとなく、これ結婚当初とかは思ってたような気もするんだけど、忙しいとかそんなことを理由にしていつの間にか、こういう気持ちを忘れてしまってたのかもしれない。

まさに「暗い暗いを不平を言う前に進んで明かりをつけましょう」だった訳だ。

皆がこんな気持ちで生きていけば、きっと人生はうまくいく。

とか何とか言って(↑)の奴が変な宗教の勧誘文句だったらどうしよう・・・

こんなイメージだった・・・と思う。

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2023年3月10日 20:58 CAT :

邪魔な奴らははね飛ばせ!特にババアやジジイは高得点!

アナログとデジタル。お絵描きをするためにどちらのツールを使うべきなのか。

そんなことを考えたこともあった。

と言うか、以前はアナログ至上主義とでも言いましょうか、好きな作品からデジタルの臭いがし始めると「あぁ~この漫画家も終わったな」とか通ぶって眺めてたりした。

どう足掻いたって、アナログで出せる微妙なニュアンスが出せる訳ねえだろとか思ってた。

で、今。

ここ数年、マンガは全てデジタルで描いております。

クリスタさんのお世話になっております。

実際に自分で描いてみると、確かにアナログで描いた時と比べて線は単調になると思う。

何と言うかアナログで描くと、予定調和を超えた線が描けてしまったりするので、絵を描くと言う作業だけで見るとアナログの方が確かに楽しいかも知れない。

ただ、ここでふと我に返った。

オレは絵を描きたいわけじゃなくて、物語を表現したかったんだ。と。

そもそも著しく画力の低いオレにとっては、一度書いた絵のバランスを直したり、パースを直したり、何だったら反転させて左向きばっかり書くこともできると言う事は、マンガを描くと言う1点から見ると物凄いプラスだと思う。

どのくらいかと言うと、時たま出る予定調和を超えた線が出なくなると言うマイナスを遥かに凌駕するくらい。

それはそれで重要なんだけど、それよりは、ある程度短時間でたくさん漫画を描けると言う事の方が大事。

だって、オレは絵を描くことに命を懸けてるわけじゃあないんだよ。頭の中にある物凄く膨大な世界を物語として、出来る限り出していきたいんだよ。

そして、それは確実に死ぬまでに全部は多分出し切ることが出来ない量だったりする。

そう思うようになってから、アナログとデジタルでどちらの方が上なのかみたいな事を考えることはなくなった。

それぞれに長所と短所があって、どちらを選ぶべきかはその作家さんの考え方と環境に依存して、然るべき。

ひとつだけ言えることは、最初からずっとデジタルだけで描いてしまうと、アナログで描くと言う事が出来ないだろうし、アナログでしか書いたことがないとデジタルに移行する事に対してのハードルが高くなると言う事。

デジタルでしか書いたことがない奴は、この先PCがない環境では漫画が描けないかもしれない。

アナログでしか書いたことがない奴は、この先トーンや紙が手に入らなくなったりしたら漫画が描けないかもしれない。

大事なことは何でもやってみる事なんだよ。

それぞれに楽しさはあって、どちらは上とか、どちらが下とかなんてそんなものは存在しない。多様性を認めてこそ、楽しめると言うもんですよ。

これは手書きで書いた奴だと思う・・・

めっちゃ久々にふと思い立って描いた、「US」のリズ=ストロベリー。

もう、当時の絵は当たり前の様に描けなくなってしまってた。

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2023年3月9日 20:22 CAT :

星座を巡って歩こう 海図は持たないで

女の敵は女と言う言葉があって、それを口にすると色んな所から怒られるらしい。

日本におけるフェミニストって、実はフェミニストではなく「立場至上主義」と言う方が正しいと思う。

ちなみに立場至上主義ってのは、下記のような人の事を言う。

1 自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する
2 自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する
3 都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事する
4 都合のよいことがない場合には、関係のない話をしてお茶を濁す
5 どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す
6 自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判する
7 その場で自分が立派な人だと思われることを言う
8 自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する
9 「誤解を恐れずに言えば」と言って、嘘をつく
10 スケープゴートを侮蔑することで、読者・聞き手を恫喝し、迎合的な態度を取らせる
11 相手の知識が自分より低いと見たら、なりふり構わず、自信満々で難しそうな概念を持ち出す
12 自分の議論を「公平」だと無根拠に断言する
13 自分の立場に沿って、都合のよい話を集める
14 羊頭狗肉
15 わけのわからない見せかけの自己批判によって、誠実さを演出する
16 わけのわからない理屈を使って相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する
17 ああでもない、こうでもない、と自分がいろいろ知っていることを並べて、賢いところを見せる
18 ああでもない、こうでもない、と引っ張っておいて、自分の言いたいところに突然落とす
19 全体のバランスを常に考えて発言せよ
20 「もし●●●であるとしたら、お詫びします」と言って、謝罪したフリで切り抜ける

凄く当てはまる自称フェミニストが最近うるせえよな。特にtwitter付近で。

ちなみにこの辺のお話については、(↑)の本に詳しいので読んでみても良いかも知れない。

「性的消費」って言葉が物凄く嫌い。

なぁ~んで、股間に張り付いたスカートを批判する癖に、薄い本を「尊い」って言いながら買ってるお姉さま方に対して批判しないんだろう。とかね。

消費してねえよ。

フェミニストって、性差をなくして、女性の社会的な立場を守るために活動するものだと思ってた。

なんで社会的に頑張ろうとしてる女性を批判してるんだろうか。あれだろうか。アイドル目指してる女の子は、脂ぎったおっさんが性的消費の為に無理やり洗脳でもして、彼女たちの本当の夢を無理やり捻じ曲げてるとでも思ってるんだろうか。

男と女と言う分け方をするのもどうかとは思うけど、男が男性アイドルが上半身裸で雑誌の表紙飾ってたとして「性的消費だ!」って言ってるの見たことない気がするんだけど。なんで、フェミニストと言う大義名分を振りかざして、女同士足の引っ張り合いをしてるのかよく分からない。

そう言うと「女は歴史的にどうのこうの・・・」とか言う奴いるけど、それは上に出てる「立場至上主義」ですね。あ~だこ~だ言うのは結構だけど、今後二度とフェミニストを名乗るなよ。って話になるだけなんだよ。

この辺の話しだすと、到底1000文字で収まらないので、今日はこの辺で。

ぽせいど~ん。

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2023年3月8日 22:10 CAT :

お絵描きばっかりしてるアラフォーおっさんの末路なんてこんなもの

創作活動をホントに幼いころから続けてきた。

これまでマンガはもちろんの事、小説書いてみたり、ゲーム作ってみたり、音楽やってみたり、演劇やってみたり、取り合えず節操なく色々やってきた。

今でもやってるのは、マンガと小説、あと、ぎり音楽もだろうか。

演劇は1人では出来ないから、やりたくても出来ない。でもいつか、劇団とか立ち上げられるいいなぁ~とかは思ってる。

ゲームは肌に合わなかった。

結局、何でマンガと小説だったのかと言うと、一人で完結できたからなんだよね。

友達がいないからって理由ももちろんある。

あるんだけど、自分の中にあるイメージにチョッとでも何かが混じることに凄く嫌悪感があるんだと思う。

とか何とか、偉そうにのたまったところで、結局そんな大層なイメージが自分の中にあるかと言えば、またそうでもないところが質が悪い所でもあるけれども。

日ごろから事あるごとに「●●が好き」って色んな所で言いまくってるクリエイターさんを基本的に信用してない。

「歌が好きなんだよ」と事あるごとに叫んでる歌い手さん。

「漫画を描くのが好きだから描いてるんだ」と事あるごとに呟く漫画家さん。

「文章で表現することが好きなんだ」と事あるごとに答えてる小説家さん。

全部信用してない。

なぜそれを人に発信する必要があるのか。それをやってる人なんだから、好きな事くらい周りは全員知ってるよ。

では、誰に向けて発信してるのか。

それはもちろん自分に言い聞かせてるに決まってる。

本当は心の中で「オレは本当に、音楽を続けて大丈夫なのか」「漫画を描くと言う方法はあってるのか」「文章を書くことに意味があるのか」と疑ってるから、自分を納得させるために、至る所で好き発言を連発してるんだと思ってる。

それしかできなくて、気が付いたらやっちゃってるようなひとは、「どうしてやられてるんですか」と聞かれたときに、「う~んなんでですかね・・・?」としばらく考えた後「好きなんでしょうね」ってなるんじゃないのかな。んで、このパターンの場合は、本当に好きなんだと思ってる。

じゃあ、オレは何でマンガとか小説を書いてるんだろう。とか考えてみたんだけど、分からない。

ただ、この頭の中にずっとこびり付いてて、表に出したくてしょうがないイメージとか発想を混じりっ気なしで、一人で表現する方法が他にあるなら誰か教えてほしい。

表現したくてしょうがない。

うずうずして止まらない。

そして、色んなものに手を出して数十年。この形に落ち着いただけなんだよ。

評価されたいとか、注目されたいとか、もちろんそうなれば嬉しいけれども、表現したい衝動の方がそれを遥かに凌駕するくらい強い。

誰にも見せずに黙々と30年くらい漫画を小説を書き続けてきたおっさんを舐めるんじゃないよ。

でもそれを、だれでも気軽に表に出せるようになったんだから、本当に良い時代がきたもんだとは思っております。

とか言いつつ、マンガもろくに描けてない日々はどうなんだろうね。

まずはブログを毎日書くと言う事も、実は意識変化の為にも良いのかもしれないなぁ~とポジティブに考えて生きていきます。

はい。

1年くらい前に描いたこのカット。

「ひとときの暗がり」と言う新しい小説用に書いたのに、一区切りまで1年もかかってしまった。

あと1話描けたら、アップしていく。

・・・多分・・・

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2023年3月7日 18:46 CAT :

ロマン飛行(令和の世界に飛び立てウエストランド)

テレビを見なくなった。

ホントに見なくなった。

多分、ある程度定期的に見てるのって、「水曜日のダウンタウン」と「あちこちオードリー」と「ゴッドタン」くらいなもんですよ。

なので、どんどん俗世間から離れていっている気がしてならない。

その代わりに何を見ているかと言うと、YOUTUBEやアマプラ、ネトフリでの映画鑑賞やアニメ垂れ流しになってた。

単純にコンプラが厳しくなったことと、昔で言うところのテリー伊藤みたいな人がいなくなったりした事で、テレビ番組自体がマンネリ化、詰まんない企画ばっかりになったからテレビを見なくなったんだと思ってた。

所が、昨年くらいから「TVer」と言うものを見つけたわけですよ。

知ってる人しかいないと思うけど、テレビ番組の見逃し配信をネットでやってくれてるとってもありがたいサービス。

これを見つけてから、これまでのテレビ番組に対する考え方が180度変わった。と言うか、まぢでYOUTUBE見る時間が激減した。

映画とかアニメはまだまだ普通に見るんだけど、それ以外の時間については、テレビ番組見てる方が多くなった。

正直な話、どう考えても素人がテレビの真似事しても、テレビには勝てないって事なんだと思う。

編集技術も機材も人材も全て段違いなんだから。

やっぱりね面白いんだよ。

結局YOUTUBE見てたのは、お仕事部屋にテレビがなくて、お仕事中にPCで見られるのがYOUTUBEだったからと言うのが大きかったんだろうて。

例えば、YOUTUBEだと広告が流れるとチョッとイラっとして、その動画見るのさえやめる事あるけど、テレビ番組の場合広告入っても「まぁ、無料配信だからな」って気持ちになる。

これは、ひとえにやっぱり動画のクオリティーの問題なんだろう。

YOUTUBEがダメだとは全く思わない。

逆にもうテレビではやらなくなってしまった心霊系の動画とかは大好きだし、テレビでは到底扱えないような(多分、「緊急検証」シリーズが最後の砦的な)雑学・オカルト系の動画はホントよく見てる。

あと単純に誰でも自分が面白いと思ったことを、世界中に向けて発信できると言うツールがもうこれは素晴らしい。

でもやっぱりね。テレビとか映画には勝てないんだよな。

だってそれがやりたくてプロの門を叩いた人たちの集団なんだから。

ただ、動画じゃなくてこれが漫画だと、また意味が違ってくる。

不思議な事に漫画に関して言えば、本当に様々な表現があって、商業誌が一番だとは到底思えない。

自分でも投稿してるからと言うのを除いても、新都社に投稿されてるマンガにも本当に目が覚めるような凄い作品があったりする。

このツールがない時代には、同人誌やガロ系雑誌を読み漁って「ふおおおお」ってなってたんだから、今は良い時代ですよ。

ただこれはあくまでも、漫画とか小説に関しての話。

なんで、動画だとそうならないのかなとか、チョッと思ってみたけど、多分、そうじゃないような気もしてる。

強烈な「マンガや小説(あと、音楽もか)は、商業ラインに載せられなかったけど、これがオレの良いと思った表現なんだよ!」と言う想いがあるものが面白いんだと思ってる。

YOUTUBEにそれがないとは思わないけど、大体のものが、テレビ番組の延長になってるのかもしれない。

「テレビでは放送されないけれども、強烈にやりたくてしょうがない世界観や表現したいものがあるんだよ!」って人の大多数は、多分YOUTUBEじゃなくて、同人映像作品作る方に行くんだろう。

とか、「水曜日のダウンタウン祭り」見ながら思いました。

「TVer」アワードおめでとうございます。

昨年最も見られたバラエティ番組だったそうで。

結局、オレが子どもの頃に見てた悪意に満ちたお笑い番組が、今の時代でも求められてると言う事だと思うんだけどなぁ。

そういう番組もっと増えてほしいです。

ホントテレビの番組ってクオリティは尋常じゃなく高いので。

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2023年3月6日 20:00 CAT :

暗く低く流れて 船が行くよパノラマ島へ

息子のADHD検診の時に「お父さんの方が大変そうですね」と言われて以来ずっと引っかかってた話ではある。

実は、昨年末、そっち系の病院に実際行ってみた。

その結果、当たり前と言えば当たり前だけど、ちゃんと典型的な重度のADHDと診察してもらって、お薬を処方してもらう事になった。

と言う事で、今年の初め辺りからお薬を飲みつつ日々を生活してる。

今の時代は凄く優しい。これが良い事なのか悪い事なのかは分からないけれども。

周りと同じことが出来なければ、怒られるのではなく病名を与えられて生暖かい目で見られる。

それはそれで良いんだけど、生暖かい目で見られることになれてしまうと言う事にはもう少し考えた方が良いような気がしないでもない。

前に会社の面接で来た奴が、自分が障害者手帳を持ってる事を話してた。重度のADHDなんです。と。これまでの人生もいろいろ苦労してきました。と。

その件については、チョッとこの記事で話してる

それに対して、オレは自分の過去を見るような何とも言えない気持ちになって、「一緒に頑張ろうか」と声をかけた。

ここまでは良かったんだけど、この人のこの後は相当問題がいっぱいだったんだよ。

ミスが多いとか、失礼な対応をしてしまうとか、物言いが変だとか、そう言う事に関して何も言うつもりはなかった。オレだって人の事を言える人間じゃあない。

この人の一番の問題は、「僕手帳持ってるんで」を水戸黄門の印籠のように事あるごとにひけらかして、開き直ってたことなんだよ。

結局、「そういう人とは関わりませんので」とお別れすることになった。

手帳持ってるから何なんだよ。

手帳持ってるのは免罪符にでもなるのか。

手帳持ってたら頑張らなくても良いのか?

頑張って頑張って、それでもどうしてもミスしてしまう。それはしょうがないと思うんだけど、最初から「手帳持ってるんで、ミスしますよ~」って開き直って当たり前のように同じミスを繰り返して、何の対策もしないのは違うと思うんだ。と言うか、当たり前のようにバレバレに手を抜いてて、咎められると「手帳持ってるんで」はないだろうよ。

これが、幼いころから生暖かい目で見られてきた事による弊害なのだとしたら、あまりにも罪深い気がしてならない。

だって、オレとこの人の症状もADHDの度合いも何だったら処方されてる薬だった同じなんだもん。

人と同じ事が出来なければ殴られて吊るし上げられて、クラスの笑いものにされることが正義だったとは思わない。

でも、ホントに血が滲むほど我慢して我慢して耐えたけど、それでも誰もが当たり前にできることが出来なくて、事あるごとにクラスで吊るし上げられてた。

あの頃があるから、オレは絶対にこれを言い訳にはしたくない。

ミスした時に「ADHDなので」とか「手帳持ってますから」とか絶対言わない。まぁ、言わなくても周りは皆気づいてるだろうけども。

治療方法は人それぞれだし、生き方も人それぞれ。

この人のやり方をオレは否定するつもりもないし、オレの考え方を押し付けるつもりもない。

ただ、オレの会社で一緒に頑張ってほしいとも思わない。それだけ。

オレの会社は、どこにも居場所がなかったオレが唯一の社会の居場所にするために、自分で作り上げた場所な訳で、さすがにそこにいるなら、オレの考え方には従ってもらいたい。

それが出来ないなら、生暖かい目で見てくれる環境に行くか、自分でそれを作り上げるしかないんだよ。

取り合えず、オレは薬を飲むようになってから、色々なことが変わったと思う。

この年からでも治療受けてみるもんですよ。この辺りの話もまたそのうち書きましょうね。

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2023年3月5日 18:00 CAT :

口だけ男から口裂け男にランクアップしたい話

昨日ヘロヘロだったので、何か「1週間に1回くらいの更新で」みたいなことを書いてたけど、何となくそうじゃねえだろとか思ってしまった。

まぁ、何でもいいから1日1回発信すると言う習慣にするのはどうだろうと。

題して「365日(-66日)毎日投稿」だ。

と言う事で、そんなことをやってみようかなと。

長いネタとかなら、ジョジョ風に「その1」ってつけて短い文章に細切れにするのはあり。(と言う 言い訳 救済処置)

これならできるんじゃねえの。知らんけど。

ここ数年、「これなら出来そうかな~」というスタンスで目標を作ってたけど、今年は「こんなことできるのか?」って事を目標にしてみましょう。

それ以外に、今年の目標をチョッとメモっておく。Twitterでは、先に書いてたけども。

 

 

 

○漫画短編「出来過ぎた準備」
⇒現在ネームの半分くらいまでは出来てる。

漫画短編「瓶詰の幼女」
⇒描きたいなぁ~って妄想してるだけ。

漫画中編「深淵を覗く」
⇒プロットは全部で来てる。

漫画中編「不動産売買第2部」
⇒裁判いつ終わるんだろう・・あと第4部「今度こそ土地売買でなんかミスらないぞ!」編が今年初めからスタートしてたりもする。

小説長編「ひとときの暗がり」
⇒全50話構成で考えて、今12話まで書きあがってる。13話で一区切りするので、そのタイミングでアップを開始しようかと。

漫画長編「風を切る日」再開
⇒現在止まってる「コロッサ編」の最後までのプロットは完成。「出来過ぎた準備」が書き終わったら、ネーム作業に入ろうかと。

4コマ漫画「超ニュースチョークホー」再開
⇒今朝、Twitterで再開1つ目を更新した。

 

 

 

こんな感じで、少しずつ進めてはおります。

お仕事の方でも、本当にありがたい事に無事2期目も昨年対比越えで終われそう。かつ、3期目はまた新しく面白い事を色々考えてるので、その辺りも近々書いていくよ。

書く書く詐欺常習犯だけど、今年は違うぜ!と言うところを、お見せいたしますよぉ~

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2023年3月4日 1:20 CAT :

今さら、明けましておめでとうございます~サムネで釣られろエロ男2023

気が付けば3月になってしまってたね。

おお。そうか。もう3月なのか。

これまでも「忙しい忙しい」と嘯いていたものの、なんとかかんとか「あけましておめでとうございます」くらいはやってたというのに、ついにそれさえも無くなってしまったと言うことか。

これはさすがにどうなんでしょうな。

アウトプットしないと生きていけない人間ではある。昔っから、それだけは変わらない。

インプットはあんまりしなくても大丈夫らしい。中から溢れ出るものを出してるに他ならないから。

先日、嫁が「自分の作品を作るためにチョッと余計なものを入れたくない」と言う話をしてた。

自分の世界観を表現するために、他のものを入れないと言うのは、何とも変な話だなと。

多分、物凄く感動的な映画を見て目が腫れるくらい泣き倒した後、さて漫画でも描くか。ってなった瞬間、めっちゃ可愛い少女が絶望しながら凌辱される話を嬉々として描ける自信がありますよ。私は。

影響を受けないとは言わない。

ただ、どれだけ影響を受けようとも、逆にどれだけ人の真似をしようとしても、それが出来ない人間だっているんだよ。

インプットなんてしても、創作の何の足しのもならないんだろう。

何の話をしてたんだっけ・・・

問題はだ。時間がないと言う事なんだよ。

今日だって、木曜日位からほぼ寝てなくて、記憶もあいまいな感じになってるくらいには時間がない。

でも、チョッと「時間がない」って言い訳辞めませんかと声高に言いたいんだ。時間がなくても多分ブログ位書ける。漫画位かける。小説位かける。

そもそもの話、ここ最近1記事が投げえんだよ。なんで1回更新のたびに1時間くらいかけて3000~5000文字も文章書いてんだよ。

例えばだけどさ。

チョッとしたネタを、1000文字以下くらいでカスッと出すだけなら、10分とかでもできんじゃねえのかなぁ~。昔の記事なんて、短いもんでしたよ。

たまにしか書かないから、毎回でっかいネタをぶっこんできて、5000文字近くも長々書くことになるんだよ。

しょっ中数百文字の文章書くくらいなら軽い内容でもいいじゃないか。しかも、結果的には、長い目で見ればたくさんの文章を書いたことにもなるだろうて。

まずそれを初めてみる。今年は。

本当にそんなことが出来るかは知らんけども。

そんな感じで、今年ももう結構経ってしまいましたが、よろしくお願いいたします。はい。

最低でも週に1記事くらいは・・・

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