年別アーカイブ: 2023年

2023年5月2日 12:13 CAT :

広い宇宙の上を遠い遠い自分に合うために歩き続ける変態

どうも。

アラフォーになって典型的な重度のADHDと診断されたものです。

ここ最近嫁とお話してて思ったんだけど、オレの周りにいる奴で、ADHDとは言わないけど、この手の障害に一つも当てはまらない人間が実はいない事に気が付いてしまった。

オレ自身がキチガイ過ぎて、オレの周りにキチガイしか残らなかったと言う話なら、まぁ、それはそれでしょうがないと思う。

思うんだけど、意外とそうでもなさそうな臭いがしている。

そもそもじゃあ、完全な人間って何なんだよ。

一般的に「美男」「美女」と言われる顔って、実はその人が認識する顔の平均値に如何に近いかと言う事らしい。

ちなみに、日本人女性数十人とかの顔を重ねて作った平均顔。

お世辞抜きでも美人だと思う人多いよね。

絵を描いている人なら理解してもらえると思うけれども、不細工な顔ってめっちゃ色んなバリエーションで描けるけど、色んな可愛い顔って意外と描けない。

人間は、一般的に特徴のない顔を「美形」と捉える習性があるらしい。美人は3日で飽きるってとは、よく言ったものだ。

そして、その平均値から外れている部分のことを「個性」と呼んでいる。

要するに個性的な人間とは、平均値から外れていると言う事でしかない。

個性的な顔。

個性的な性格。

個性的な声。

個性的な服装。

などこの辺りは、全て平均値から外れているね。と言う事。

集団心理の強い人間は、この平均から外れると言う事を極端に嫌い、自分も平均であろうとする。

逆に、集団心理が低い人間は、この平均から外れることを評価し、自分も平均から外れようとする。

それだけの話なんだよね。

結局のところ、冒頭のADHDだの、過集中だの、多動だのと言う分類も、平均と比べてどうかと言う話でしかないんだよ。

それを集団心理の強い人間が、平均から外れたヤツに病名をつけて自分の集団から弾いているに過ぎない。

オレは、集団心理で言えば確実に低い人間だと思う。

子どもの頃から、個性的だと言われ続けてきたよ。

それは、裏を返せば「平均から著しく外れた人間だね」と言う事だったんだろう。

別にいいじゃあないか。平均から著しく外れたって。

問題は、この平均から著しく外れると言う事じゃあなくて、その外れた部分の良し悪しを判断しようとしていることだと思う。

例えば、平均から著しく外れた賢さは評価される。

例えば、平均から著しく外れた足の速さは評価される。

でも、平均から著しく外れた容姿は見下される。

平均から著しく外れた性格は弾かれる。

めっちゃ変な性格の奴も、めっちゃ不細工な奴も、めっちゃ賢いやつも、めっちゃ足の速いやつも、何だったら足のないやつも、みんな平等に「個性的だね!」って事にして、一絡げにすれば、きっと世界は平和になるような気がする。

でも、それは出来ない。

人類は集団心理によって、生存競争を生き抜いてきた過去がある。

それが強烈に本能に刻み込められている以上、集団心理から離れることはできないだろうから、結局はこの話も理想論でしかない。

オレは集団心理の低い人間なんじゃなくて、集団心理から弾かれ続けた結果低くなってしまった人間なんだよ。

平均的な立ち居振る舞いができていれば、集団の中でうまく生きて行けただろう。

そうしたら、オレだって集団心理の強い人間になって、平均から外れていることを「個性的」とみることは出来なかったと思う。

差別も侮蔑も羨望も全て、自分の所属している集団の平均から著しく外れる「個性」の存在が生み出し続けると言う事ですよ。

人類の歴史が記録に残るようになってから、数千年。

その間、本当に世界から争いがなかった全くなかった期間は1秒たりとも存在しないらしい。

世界のどこかで常に、争いは起こり続けてきた。

そして、これからも起こり続けるんだろうね。

こういう個性的な服装が世界にあふれればいいのに。

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2023年5月1日 12:38 CAT :

未来は見えない お楽しみ

ちょっとなんか色々ありまして、急ぎでコロナワクチンを接種した。

3回目のやつ。

2回目からちょっと間が空いたけど、無事と言うかなんというか、接種することはできた。

陰謀論的には、接種しちゃあもう人として終わりなんだろうけど、それはそれとして、1回目打ってからもう2年以上経つけど、まだ人として終わっていないので多分大丈夫だと思う。

元々人としてなんて終わってるんだよ。バーロー。

さてさて。

コロナさんが、「ついに!」と言うか「やっと?」と言うか5類に分類されるようになる。

日本の対応の早い遅いは置いておくとして、コロナも沈静化してきたような感じがしてる。してるのは、オレだけじゃあないはず。

3年位前だったか?

ついに日本でもコロナ患者が1人出た!みたいな話が出てきて、みんな戦々恐々していたのは。

あれから、本当に紆余曲折あったよな。オレも実際に罹患したし。

未曽有のパンデミック具合で言えば、スペイン風邪以来くらいだったんだろう。

100年ぶりのパンデミックを、リアルタイムに体験できたと言う面で見ると、凄い経験が出来たと思ってる。

人生80年と言われる昨今、生きているうちに何回か教科書に載るような事件が起こるけれども、その中で実際に自分がまきこまれるケースって意外に少ない。

ただ今回のコロナ禍は確実に、ほぼ全人類が巻き込まれたよね。

そういうパンデミックを経験できたと言うのは、良かったとは言わないけれども、本当に色々考え方が変わった。

と言うか、コロナパンデミックの結果、確実に日本中の価値観が激変した。

パラダイムシフトが起こる瞬間を目の当たりにしたんだよ。オレは。

そして、一つだけ言えることは、コロナパンデミックによって引き起こされたパラダイムシフトの結果、今の価値観の方が依然と比べてはるかにオレは過ごしやすくなった。

無駄な飲み会や集まりが消滅し、家にこもって仕事が出来て、公共の場で臭いが移ってきそうな近距離に人が寄ってこなくなった。

気を使ってどうでも良い会話をする機会も激減したし、小汚いやつでも手を消毒するようになった。

うむ。

実に過ごしやすい。

今のところは。

この過ごしやすさの弊害がこれから出てくるようになるのかどうかは分からないけれども、少なくとも今のところは良い面ばかりを享受している気がしている。

もちろん、コロナの負の面を何も受けなかったわけじゃあない。

コロナさえなければと思う事もいくつかあったことは事実。

昨年亡くなったばあちゃんの事とか、まぢでコロナさえなければと強く思ってる。

でも、人類はまた乗り越えてしまった。

大体この手のパンデミックが次に起こるのは数十年とか百年後とかだと思う。

でも、そうじゃない危機は相当遠くない未来に起こるはず。2025年とかその辺に。

2020年、コロナがはやり始めたころに描いた漫画「虐殺の恋文」で、なぜ人類が滅亡するタイミングを2026年としたのか。

それは、2025年に何かが起こるはずだからなんだよ。

2年後に何が起こるか。

なるようになる。

未来は見えない。お楽しみ。

ちなみに、その漫画はこちらです

とかさりげなく、宣伝しておしまい。

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2023年4月30日 12:44 CAT :

メンテナンスも自分でできるアンドロイド

前にちらっと書いたかもしれないけれども、インスタさんの方ではスピリチュアルな話とか龍の話とかをメインで書いてる。

当たり前と言えば当たり前だけど、そうなると、その手の話が好きな人たちで集まるようになるんだよね。

世間的に言えば「嘘くせぇ」となるような話題。もっと言えば、これまで比較的話すことを避けてきたような話でも、全然受け入れてくれる土壌になりつつあって、それはそれで「こんな世界もあるのか!」と言う感動をしてたりもする。

そんな話、twitterで書いたら「はい。嘘松。」って言われて終わりですよ。

ただどっちの方がさもしいかと言えば、twitterだよな。

(例え、それが嘘でも本当でも)人の話を素直に受け止め、それを信じてアクションすると言う事で良いじゃあないか。と思うんだけど。

それができないくらい、心に余裕がないと言う事だろうか。

まぁいいや。

そんなインスタさんの方で良く聞く単語に「高次元の存在」と言うものがある。

この「高次元の存在」ってものがすごく気になる。

今オレが存在しているのは、3次元と一応は言われている。

で、この世界の成り立ちを「ひも理論(超弦理論)」に基づいて考えると、世界は11次元あるらしい。

でも、多分この「高次元の存在」って、3次元以上の次元に存在している何かではないと思うんだよね。

では何なのか。

この「次元」って言う概念すら俯瞰的に見ることができる場所に存在している何かだと思う。

宗教的に言えば「神」であったり、「バシャール」であったりなんか色々別の呼び方もあるんだろうけど、宗教的な思想を抜きにしても、やっぱりそういう存在はあるんだろう。

オカルト界隈では、この何かのことをずっと「サムシンググレート」と言う名前で呼んできた。

「サムシンググレート」の正体に迫ること自体が人間ごときに出来るはずはないにしても、その存在を何となくでも認知することができると言う事が、人間の凄いところだと思わずにはいられない。

少し前に書いた「認知革命」ってやつですよ。

これら全てを結びつけることが暴論だと言う事は百も承知であえて書く。

人類種族において唯一の能力である「認知能力」によって、最強足りえた「ホモ=サピエンス」において、この「高次元の存在」と界隈では言われている存在に対して「はい。嘘松。」と切って捨ててるやつは、多分、「認知能力」が劣り始めてるんだ。

いずれ、その存在が淘汰される。とか、そんなことを言うつもりはないけれども「認知能力」の低下は結構問題だと言う事は、頭のどこかに置いておいた方がいいと思うんだよね。

そして、この「認知能力」の低下の一番の原因が面白い事にインターネットであり、スマホのようなデバイス機器なことは、割と確定してるらしい。

インターネット黎明期には「認知能力」がまだ人間にはしっかり備わっていたのに、ここ20年くらいで著しく低下していってる。

この結果どうなっていくか。

ハローバイバイの下種野郎。関さんの言い方をすれば、「わかる人にはわかるよね。そういう事。もう選別は始まっているの。だからオレはずっと言ってるでしょ」的な感じだろうかね。

本当の意味でのシンギュラリティは近いそうです。

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2023年4月29日 12:23 CAT :

あたし何も悪い事なんてしないわ

あれは2年くらい前の話だったのか・・・

「シミュレーション仮説」と言うものにはまって、色々調べている時期があった。

「シミュレーション仮説」について調べれば調べるほど、生きていく気力が失われていき、結果的に軽く病んでた感じ。

何を病むことがある。と思うかもしれないけれども、これがなかなか、心が折れる内容なんだよね。

めっちゃ簡単に書くと「この世界は、誰かが作り上げたVRの世界である」と言う話。

しかも、その可能性がかなり高いらしい。テスラモーターズのイーロンマスクなんて、99%この仮説は当たってるって言ってるくらいだし。

まぁ、イーロンマスクなんぼのもんじゃいな気もするけど。

今、物理学で謎とされていることのほぼ全てがこの「シミュレーション仮説」に基づけば、何となく説明できてしまうと言うのも、また怖い話。

光より早い速度がないと言う事実も、光に近づけば近づくほど時間の流れが遅くなることも、エンタングルメントの謎も、何だったら哲学の永遠の課題ともいえる「過去の証明」の話も全部、この世界がVRで作られた仮想現実だとすれば、説明がつくらしい。

ついてたまるか!

と、言いたい所ではあるんだけど、ついてしまうんだからしょうがない。

さらに言えば、VRの世界らしいバグもいっぱい存在していて、その証拠となる画像や動画も存在しているとか・・・

興味ある人は色々調べてみると言いです。

はい。

この辺りとか、いい感じなんじゃないでしょうかね。

問題・・・。問題はだ!

だとしたら、オレなんてそのVR世界における、モブの村人1でしかないと言う事なんだよ。

オレが生まれてこの方、思い悩みつつも何とかかんとか生きてきたこの人生自体がプログラムされたものであり、オレの思考自体がオレの思考じゃなかったとしたら、こんなやるせない事はない。

以前書いていた「G」の中でも書いたことある「自由意志」の話なんて、まさにこの「シミュレーション仮説」で考えれば、何でもない当然の話なんだよね。(一応、その話はこちら

そんなことをずっと考えてたら、そりゃあ病みますって!旦那!

悩みに悩んだ末。

結論として出たものは「まぁ、いいじゃないか。それでも。」と言う事だった。

まぁ、いいじゃないか。それでも。

何となく、今の生活にささやかな幸福を感じているんだから。

となると、じゃあ、「ささやかな幸福とは?」みたいな話になってくる。

無限ループに入る前に逃亡しましょうね。

さようなら。さようなら。

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2023年4月28日 11:58 CAT :

世間知らずだった少年時代から自分だけを信じてきた

ここ最近、ずっと高校生時代位の自分の気持ちに立ち戻るような事ばっかりしている。

そのせいなのかどうか分からないけど、今日、凄い久しぶりに昔の夢を見た。

夢の中では、過去のオレが今のオレに対して、物語の終焉について一生懸命説明していた。

その説明を聞きながら、昔のオレでは表現できなかったそのイメージを今のオレが絵に描いている。

そんな夢だった。

物語の終焉と言うのは、中学生の頃に妄想した世界の終わり。

今、絶賛休載中の「やみ。世界」と言う漫画の最後。

「第10章 ヤミの章」の最後に訪れる全ての終焉の風景だった。

多分、当時はそのイメージもかなりはっきりとした形で覚えていたんだと思うけど、今はもうぼんやりとした輪郭でしか捉えることができない。

そのイメージが急に明確になった感じだった。

ただ、夢から覚めて、改めて思い出して絵に描こうと思ったんだけど、うまく描けなかった・・・

「やみ。世界」の物語に着手して、その物語の最後まで描き切ることができたら、きっとそのタイミングではちゃんと描けると信じたい。

一つの物語の終焉と言えば、それまでだけど、実は、その話についてまぁまぁ恐怖することがあったりもする。

その辺の話は、またそのうちにでも・・・

さて、このイラストの意味するものは一体何だったんだろう・・・

答えは空の上。

誰か教えてくれ。

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2023年4月27日 12:04 CAT :

あの頃の話を振り返る愚行を犯し続ける別にひとときでもなかった暗がり~その3

前回までのあらすじ!

毎週1回これ書くのもなかなかどうなんだろうと言う気がしてきた・・・

いや、別にネタ切れで、これで回数稼ごうとかそういう事じゃないんだよ。

むしろ、これの方が手間なんだよ。ただ、少しでも「ひとときの暗がり」を読んでくれた方に対して、サービスしたいと言うか、もっと読んでもらえるようになりたいと言うか、長編の小説なんて絶対読まれなくなるだろうし少しでも繋ぎ止めたいと言うか・・・

まぁ、いいか。無駄な打算をしてるだけだ。いいじゃないか。

一応、リンク張っておこう(↑)。

こちらでございます。

頑張って書いてるので読んでください。平に!平に!

さてさて。

そんなこんなで、第8話「思いあぐねる」の話。

思春期と言うか、青春なんて逡巡の塊。

思いあぐねて当然なので、今回の話とかも、そりゃあ当たり前だろうと言うだけ。

じゃあ終わり!ともいかないので、チョッとだけ「寄生獣」と言う漫画についてかきます。ハイ。

まぁこの「寄生獣ショック」については、この後も「ひとときの暗がり」の至る所で書こうと思ってるから、置いておくとして、実際に、今でも日本漫画の最高峰と言うか、最高傑作だと思ってる。

個人的に漫画を評価する上で、勝手に考えている項目がある。

●物語が面白い
●テーマ性がある
●絵が素晴らしい
●キレイに完結している

物語が面白いと言うのは、当たり前と言えば当たり前なんだけど、1本筋が通ってて、尚且つ伏線がきれいにちりばめられていて、何度読んでも新しい発見があるとかが理想的だと勝手に思ってる。

テーマ性は、まぁ、あるに越したことはないけど、最近はあまり気にしなくなったな。劇団主催してた頃とかは、他の人が描いてきた台本見て「テーマ性が薄いよぉ~!!」とダメ出ししてたけど。あの頃はほんと粋がっててすみませんでした。

絵が素晴らしいと言うは、漫画的画力が高いと言う事で、写実的な絵が描けるとかそういう話じゃあない。ある程度デフォルメしつつも、リアル感があって、ページ単位で見た時の読みやすさと演出の良さもここに入ってる。

最後が一番大切なんだけど、キレイに完結していること。漫画と言うか物語なんて、最後まできれいにまとまってなんぼだと思ってる。どれだけ設定が面白くても、部分的に面白くても、漫画作品としてはどうなのよ。と言う話ですよ。お前、「火の鳥 未来編」とかあの密度で単行本1巻だぞ。「デビルマン」とかあれだけ風呂敷広げまくって5巻で畳みきってるんだぞ。

いや別に国民的海賊漫画を非難するわけじゃあないけど、少年誌で20年以上も少年向けの漫画を描き続けるってどうなのよ。ちゃんと海賊して、宝物見つけて帰ってきて13巻でまとまってる「万祝」の方が漫画作品としての完成度は高くね?

いや、「ワンピース」大好きなんだけどね。特に、グランドライン以前は死ぬほど泣いたし。新世界までは単行本待ちわびてたし。まぁいいか。

取り合えず、この4つ全てにおいて完璧なのが、どう考えても「寄生獣」だと、高校生自分には確信していた。

今も、若干ぶれてはいるものの、それでもやっぱり最高峰だと思ってる。

チョッとネタバレするけど、今更この話題に興味持ってて「寄生獣」未読な奴なんかいないだろうから、気にしないで書く。

9巻辺りで、ミギーが後藤に取り込まれた時、当時オレは「おおお!?これどうなっていくんだ?!」と胸を躍らせた。

でも結局は、10巻であっさり後藤は、人間の垂れ流した毒によって倒される。所詮、寄生生物ごときが人間様には勝てないのだ。と言う、強烈なメッセージをもって物語は終わり。

この展開に痺れたんだよ。

これ、ジャンプ漫画だったら、新一vsミギーの構図になって第2部が始まる奴ですよ。

でも、それをやり始めると、途轍もなく強い存在のようでありつつも、実は矮小な存在だった寄生生物と人間様の対比がおざなりになってしまい、寄生獣と言う作品自体のテーマ性もぶれまくる。

だからこそ、10巻でミギーさえいない人間の新一が、寄生生物最強と言われた後藤を倒し、そして、最後自分の手で内臓を引き裂いて殺すと言う展開以上の終わり方はなかったんだと思う。

高校生の頃、死ぬほど見倒していた「BS漫画夜話」の「寄生獣」の回で、オタキング岡田斗司夫が、この話を取り上げていた。

曰く、実は作者(あるいは編集部)的には、人間vs寄生生物(ミギー含む)の展開を絶対考えていた。

作中でミギーが後藤を見て「素晴らしい」とつぶやくコマとか至る所で、その伏線がちりばめられている。

でも、作者はそれをやってしまうとデビルマンになる。しかも、自分の力量ではデビルマンになった時キレイに風呂敷をたためないと判断して、この展開にしたんだと言う話をしていた。

この話にも感動したもんだ。

おそらく岩明先生的にもそうだったんだと思う。

力量云々は置いておいても、これをやっちゃうと作品としての完成度が落ちるとは考えたはず。当時、掲載誌アフタヌーンでぶっちぎりの看板漫画だったわけで、続けていても絶対人気はあったし、単行本も売れただろう。でも、そんな目の前のお金よりも作品の完成度を優先した岩明先生に、キラキラが止まらなかった。

ほんと下手したら、「寄生獣」が「彼岸島」になってたところだよ。

よく分からなくなってきたけど、取り合えず「寄生獣」は面白いと言う事で。

今日はここまでだ!

それでは。

また次回。

3回で立ち消えになりませんように。

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2023年4月26日 11:05 CAT :

母のいない子どもの様に虚ろな眼差しで詩集を売る少女

「選択肢があるから生きていく意味がある」と誰かが言ったらしい。

誰だったか忘れてしまったけれども・・・。

性善説と性悪説があるとして、果たして人間の本性はどちらなのかと言う話があったりするんだけど、その話って物凄く意味がない事だと思う。

取り合えず、一括りにしてはいけないと言う話なんだよ。

オレと嫁の子どもで、同じ環境で同じように育ててるはずの2人の子どもが、まず性格的にも全然違うわけで、じゃあもう環境も人種も文化も違う人間を一絡げに生まれ持って悪だとか善だとか論ずるのは愚の骨頂。

ただ、人には選択肢がある。

無数にある道の中から選ぶことだけは出来る。

その選んだ道の先にだけ答えがある。

「多元宇宙論」と言う考え方がある。

全ての選択肢の先の未来が無数に、しかもかなり近い場所で存在していると言う。まぁ、パラレルワールドの存在を肯定する理論。

ここ最近どちらかと言えばこの「多元宇宙論」の方が多数になってきてたのに、実は未来は決まっていて宇宙はひとつしかないと言う考え方が、ここ最近発表されたらしい。

宇宙はひとつしかないことが常識だった中で、「そんな事はない。結末は無数にあるんだ」と言う説が発表されて、それが多数派になってくると、今度は「宇宙はひとつしかない」と言う新設が発表される。

イタチごっことはまさにこの事。

面白い話だなとは思うけれども・・・。

ただ冒頭の通り「選択肢があるから生きていく意味がある」と考えないと、人生やってられないよな。とも思う。

思い悩んで選択して生きているように思いこまされてるけど、実は未来は決まっていて、そこに至る決まった道をただ歩いてるだけだったとしたら、オレが今ここで考えている思考とは何なんだ。と言う話になってくる。

「哲学的ゾンビ」の話にも近いかも知れない。

考え始めると、何となく怖くて頭が痛くなってしまうので考えないようにしよう。

物理学的に考えると、未来は決まっているらしい。

そして、観測する方向と距離によって、見えるものが未来なのか過去なのかが変わってくる。

例えば、130億光年離れた場所の星の光は、130億年前の光な訳で見えているのは遥か過去の情景になっている。

過去から未来まで一つの決まった流れがあるからこそ起こる現象らしい。

でも自分の選んだ選択によって未来がその瞬間、別の世界線が存在し始めるとすると、オレが選択した瞬間その未来のある世界に移動していると言う考え方もできるかもしれない。

それでも今生きている現状に関して、自分で選び歩いてきた道の結果だと信じたいよなぁ。

実は、この考え方をもっと発展させた先の話もあったりする。

その話は、人にしてはいけないらしい。

以前、不意にこの話をしてしまった時、部屋の隅にエンダーマンのような無機質な何かが現れたことがあった。

これまでに色々心霊体験とかしてきたけど、あれほど怖いものは見たことがないと言うほど怖いものだった。

あの正体についても何となく分かるけどそれすらも、書くことを謀れてしまうよなぁ。

イルミナティとか、ロスチャイルド家とか、そっち系の陰謀論なんて可愛く見えるほどの陰謀がこの世には存在すると言う事ですよ。

「ファイトクラブ」って映画で、主人公が言ってはいけないことをマーラ・シンガーに話そうとした瞬間、タイラー・ダーデンが地下から声をかけた。

「この話はここまでだ」

今、そんな感じです。

さようなら。

「ファイトクラブ」って本当に面白いよね。

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2023年4月25日 10:17 CAT :

目を潰そうか 生きていく為に

漫画を描く時、まず物語自体が頭の中で色々イメージ化する。

で、それをネームに起こして、それをもとに、下書きして、最後に原稿にしていく。

当たり前と言えば当たり前で、ほぼ全ての人が通るであろう工程だと思う。

これはオレの場合だけなのかもしれないけれども、やっぱり一番良いイメージって、最初に頭に浮かんできたもので、そこから原稿にしていくに従ってどんどん最初のイメージから離れていってしまうような気がしている。

ネームで書きなぐった時が一番いい感じの絵になると言う漫画あるあるですよ。多分。

先日公開した「BirthDay Kill-RE」でも一番いい絵だったのはやっぱりネームだった。

例えばこれ(↓)。

10ページのネーム。

で、これを元に描いた下書き。

そして、時間かけて丁寧にペン入れして仕上げた実際の原稿。

お判りいただけただろうか。

どんどんイマイチな感じになっていると言う事に。

今回の話の場合、ヨシ坊の深層心理にある願望の具現化キャラは、ヨシ坊と鏡写しになっている。と言う、設定がこの物語の一番根幹の部分に存在している。

この設定を少しでも分かりやすく表現するために、片目だけ丸く見開くと言う表現を採用した訳で、10ページの段階で両目とも丸く見開いた表情にすると、その辺りがどうしても分かりにくくなってしまうよな。と言うそんな事情もあるにはあるんだけども・・・

にしても、泣く泣くネーム段階で描いた表情は捨てて、別の表情に変えた訳ですよ。

どう考えてもネーム段階の表情の方がよかったよな。

本当に自分の画力と言うか表現力の低さに嫌気がさす。

ただそれは置いておいても、時間をかけて絵を描いていく過程でどんどん最初のイメージからかけ離れていくのは、やっぱりしょうがない事なんでしょうかねぇ。

ネームとか一切書かずに、いきなり本番の原稿に下書きなしで書いていけば、チョッとは良い絵になるものなのだろうか。

高校生くらいまではネームを書いたことなかった。

と言うか、ネームが完成原稿だった。

あの頃の方が、頭の中にあるイメージをストレートに絵にできていたんだろうか。

表現とか追及し始めると楽しいけど、終わりがないもんだよな。

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2023年4月24日 14:54 CAT :

どうか衝動よ あの子の暗闇を突き破れ

「野球と政治と宗教の話はするな」って認識が、「野球と政治と宗教の話ができない奴とは付き合うな」になれば、何か色々変わったりしないかなとか、ぼんやり考えてた。

と言うか、今の世代で言うと野球に限定するのもどうなのかと思うので、そこは例えば「スポーツ」にするとか「趣味」にするとかしても良いんじゃないかとも思うけども。

あと、これ初対面ではと言う話に限定するのであれば、ものすごく理解できるよね。

ある程度付き合いが長くなってきたときに、それでも「野球と政治と宗教の話」ができない人ととは、きっと深いお付き合いは出来ない。

いや、仕事上の付き合いだから深くお付き合いする必要はないんだよ。とか、そう言う時代でもなくなってきてるような気がしてる今日この頃。

さてさて。

ちょっと前に、「サピエンス全史」と言うビジネス本を読んだ。

これがまたなかなか面白かった。一応、大学では文化人類学を勉強もしたんだけど、目から鱗のような感じで、視点がぐるっと回る感じだった。

その中の一つに、なぜ「ホモ=サピエンス」がそれ以外の人類種族を全て殲滅することができたのかと言う話があった。

「ホモ=サピエンス」は、他の人類種族と比べて別段脳容量が大きかったわけでも、肉体的に優れていたわけでもなかったらしい。

コミュニケーション能力とかでも、全然普通。

でも歴史を鑑みるに、現生人類種「ホモ=サピエンス」がそれ以外のすべての人類種族を殲滅させたと言う事は、歴然たる事実として存在している。

一体何が他の人類と違っていたと言うのか。

この本の中では、その現象のことを「認知革命」と書いていた。

認知革命とは、めっちゃ単純に言えば「虚構を共有することができるようになった」と言う事らしい。

もっと嚙み砕くと、「現実として認識できないものをお互いで共有することができた」唯一の人類種族だったらしい。

まぁ、要するに「神様」であったりとか、「霊」であったりとか、「悪魔」であったりとかう言った類のものの存在を共通認識的に共有できた。

それが飛躍すると「神のために戦う」と言う価値観、もっと言えば「例えこの戦いで死んだとしても、魂は天国に行く」と言う思想をもって戦う事が出来た。

この優位性だけで、肉体的に遥かに優れていた他の人類種別さえも殲滅させてしまったと言う事が、歴史的に分かってきたらしい。

宗教こそが、「ホモ=サピエンス」が最強の人類種族として唯一生き残ることができた最大の要因だったと言う事ですよ。

そんな最強の宗教が、現在日本社会でタブー視されていて、触れることができないと言うのは何ともやるせない話だよね。

政治の話もか。

野球の話はよく分からんけど。

チョッとだけ飛躍した話をする。

日本には元来絶対的な宗教があったとしよう。と言うか、あると思うんだ。

おそらく生粋の日本人なら無条件に納得することができると思うんだけど皇室を崇高すると言う気持ち。

これだけは、戦後日本で自虐史観を植え付ける洗脳教育を受け続けても消えることはなかった。

本当に、体の奥の奥の奥にまで刻み込められたものだと思う。

だから、日本人は宗教がなくても生きていけるんだとしたらどうだろうか。

ただ、その考え方を子どものころからなぜか否定されて、洗脳的に自虐史観を植え付けられてしまった結果、本来必要でなかった宗教を信仰させられるようになった。

だから、宗教の話になると険悪になる。とかね。

戦前は別に宗教の話も、政治の話も別にタブーじゃなかったんだから。

そして、戦後しばらくもタブーじゃなかったんだから。

チョッと語りすぎた気がする・・・・

この辺の話はもうやめておこう。結局、こう言う事を公の場でしゃべる事が出来ないと言う事にも原因があったりもするんだけね。

興味ある人は「3S政策」とか「愚民政策」とかその辺でググってみたらいいと思う。

あくまでも自己責任で。

おっと、誰か来たようだ。

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2023年4月23日 15:21 CAT :

薬漬けにされて治るあてをなくし痩せた体合わせどんな恋をしているの

昨日の話などもあったので、チョッとブログのテンプレートを修正してみた。

なんか、イマイチな感じになっていたフッター部分を全面的に削除して、代わりに、ツイッターとインスタのタイムラインを埋め込み、まんがまとめサイトの方のフッターをそのまんま移植して持ってきた感じ。

あと、実はまんがまとめのサイトの方も、チョッと更新履歴一覧とかのコンテンツを追加しようかなとか、色々画策はしております。

今のところは全部PCの話で、このスマホ全盛期のご時世にスマホ対応は後回しと言う有り得ない感じで。

お仕事忙しいのに、忙しくなるとなぜか他のことをやりたくなってしまうと言う変な病気にかかってるんだよ。

ほんとどうしようもねえな。

まぁ、オレの事なんだけどな。

全てを網羅した本来の「しもたろうに」が存在しているのはこのブログだけ!を実践していく形でございます。

さてさて。

なんだかんだ言いつつ、昨日の記事で毎日更新を開始してから50記事だったらしい。

チョッとした達成感がある。と同時に、もう50日以上経ったのかと言う焦る気持ちもある。

時間が経つスピードに狼狽えている。

ただ、これだけ文章書いてるとチョッと文章の書き方も思い出しつつある気も同時にしてる。

もっと。もっと。色んな文章を書きたくてしょうがないと言う衝動がすごい。

漫画を描き始めると、もっと色んな絵を描きたくなるのと同じ感じだろうか。

昔から、何かを続けると言う事だけが唯一の取り柄だったと思う。

ずっと続けているとは言えない。断続的にはなっている。でも、断続的とはいえ、止めることなく続けている。

ピアノは幼稚園のころからやっているので、もう30年になるか。

ギターでも高校生のころからやっているので、20年以上になる。

漫画を初めて描き始めたのは小学1年生の頃なので、こちらももう30年以上になる。

小説は中学生のころだから、20年くらいか。

いずれも断続的なので、ずっと一筋20年とかの人と比べるのはおこがましいレベル。

でも、止めない。

何か一つのことを極めると言う事は途轍もない努力と圧倒的才能がないとできないんだろう。

途轍もない努力と言うのは脇目も振らず一つのことに没頭することなんだと思う。

オレは出来なかった。

そして、どれを取ったとしても圧倒的才能はないようだ。

5年や10年やってみた程度の奴と一緒にしないでほしい。人生の半分以上を費やした結果たどり着いた結論として「才能がなかった」んだよ。

結局のところ、漫画を描くことでさえ、断続的にしか続けることはできない。

でも、止めない。

止めないと言う事が、自分のやりたい事に一つとして才能がなかったオレに唯一出来る事なんだろう。

圧倒的才能がなくても多少なりとも才能がある人は、長い時間をかければ出来るようになると思う。

長い時間をかけて出来なかった時初めて「才能がなかった」と言う結論が出ると言うのも、随分酷な話ではある。

ただ、一つ。

ちょっと前に「めくるめく世界は艶やかななまま記憶の片隅に ~後編」の話の中で書いた通り、夢は持ち続ければ叶うとも思ってる。

漫画を描く才能は一切なかったオレなのに、今、オレお仕事でイラストを描いてお金を貰う事ができるようになった。

これもある意味、夢は叶っていると言えなくもないのかな・・・。わかんないけど。

絶望的に才能がなかったとしても、持ち続ける事で何らかの形で夢は叶う・・・かも知れないと言うお話。

まぁ、そういう事は置いておいても、オレは止め方がよく分かんない。

ずっとやり続ける。

これからもやり続ける。

オレが今描いてる漫画は、中学生のころ妄想した世界なんだ。

先日何となく書いてみた「アス」。

この物語も、中学生の頃、思いついたものだよな…

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2023年4月22日 8:58 CAT :

就職しないで8年目 そろそろ限界 ロックンロール

twitterでは、バンドマンか漫画描いてるしもたろうに。

facebookでは、社長業やってるしもたろうに。

instagramでは、スピリチュアル生活をおくってるしもたろうに。

3つを統合した本来のしもたろうになのは、このブログだけ!

とか、昔のジャンプみたいな感じの事書いたりしたら、多少はこのブログのアクセス数も増えるんでしょうかね。

さてさて。

「ひとときの暗がり」のアクセス数見てたら、丁度、1年前に描いてた「本当にあった不動産売買の怖い話」の10分の1くらいだった。

小説ってそんなもんなんだな。

まぁ、かく言うオレも小説と言うか文章読まなくなったよ。

そして質が悪いのは、世の中に「文章を読まなくてもぼ~っと眺める(聞く)だけで内容をざっくり説明します」と言うコンテンツが溢れてる。

今の社会において、何より罪深いのは時間を奪う事と言われている。

そんな中で時間を短縮できるこのコンテンツはそりゃあ重宝されるだろうて。

ただ、冷静に考えてみると、このコンテンツに何の意味があるのかと言う事にも気が付いてしまう。

例えば、ちょっと前に問題になった映画のあらすじを10分で解説する動画。

これってもう映画の内容は分かったとしても、その映画で感動すると言う経験を放棄してるよね。完全に。

会社とかでの会話に困らないように、映画を見たことにして話を合わすために見る。的な意味合いでなら多少は意味があるかも知れない。

でも、そんなことのためにこの動画を見るくらいなら、「オレまだ見てないんすよ。どう言う映画なんですか?」って聞いて、色々話してもらう方がよっぽど会話も盛り上がるような気がする。

「ズンドコベロンチョ」的な感じで、知ったかぶりたい人ばっかりだと言うのだろうか。

大好きな江戸川乱歩の「蟲」って作品がある。

断言していいけど、原文をちゃんと読んだ人以外にあの作品のラストの深い感動は味わえない。

絶対に味わえない。

チョッと会話についていきたいとかいう理由だけで、初見だけの特権である「あの深い感動を味わう体験」を放棄するとか、正気の沙汰とは思えないですよ。

本なんか読むの面倒くせぇ。

時間がもったいねぇ。

ってやつには、そこまでケチって作った時間をどれだけ価値ある過ごし方で来たんだ?と問い詰めてみたい感じ。

それで、スマホゲーでもしてるんなら、鼻で笑ってやる。

素敵な映画を見ること。

面白い本を読むこと。

興味深い文章を読むこと。

この辺りは全て無駄ではなくて、内容をつまんでおけばOKなものではない。

展開や内容だけ知っていたとしても何の意味もない。

なんか、めっちゃ話がそれてしまった気がするけど、今日一番オレが言いたいことは、一つだけ。

このブログを書く直前、オレは(↓)の動画をYOUTUBEで見ていた。

そして、オレは「ズンドコベロンチョ」を未視聴だ。

そういう事ですよ。

ほら、よく若いバンドマンが引用したがるでしょ。

「Don’t trust over thirty.」

「30過ぎを信じるな!」

ってね。

そういう奴は、カート・コバーンみたいに27歳で死ぬつもりらしい。

多分死ねないけどな。

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2023年4月21日 11:44 CAT :

明日死ぬとしてもやり直しちゃいけないって誰が決めたんですか

先日、チョッと「極ニュースチョクホー」の方でも触れたけど嫁にオススメされてインスタを初めてみた。

この話(↑)。

せっかくだから、色々使い分けた方がいいだろうなと思ったので、インスタの方ではオカルトと言うか、龍ちゃんの話とかその辺をメインにしていこうとかぼんやり考えてる。イラストとか、写真とかそんな感じだろうか。

実は、ブログでも前にちょっと書いてみたんだけど、これがまぁ、このブログでここ最近更新した記事の中でぶっちぎりで人気がなかった。

ただ、インスタの方では同じような内容で、すごい反響がある感じなんだよね。

あぁそうか。

層が違うのか。

とか、そんな感じですよ。

ただ、twitterとブログとインスタやりながら、漫画描いて、小説書いてはさすがに、やりすぎじゃねえのかと言う気もしないでもない。

とりあえず、ブログの毎日更新と、小説はやり始めたのでちゃんとやるとして、それ以外も全部ハイペースでやったら多分死ぬ。

生き急いでもそんな良い事ないのはもう重々ご存じなので、まぁ、楽しめる程度にマイペースでのんびりやっていこうかなと思っております。

ただ、やりたい事が本当に無限と言うか、無尽蔵にあるんだよ。

時間と体力が無尽蔵じゃないだけで。

そんな中だけど、「ランナ」の再開に向けて「レビ」を描いてみた。

うむむむ・・・

あぁ。もう完全に同じ感じじゃ描けないですな。

3年ぶりだしな。

ほんとに3年ぶりになる6月から再開したいなと思ってて、それまでに短編「出来すぎた準備」を完成・・・って・・考えてたんだけど・・・

うん。ごめん。マイペースがハイペースだったわ。

そして、多分無理だろうな。

さて、どうしたものかね。

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2023年4月20日 17:20 CAT :

あの頃の話を振り返る愚行を犯し続ける別にひとときでもなかった暗がり~その2

前回までのあらすじ!

二日連続での前回までのあらすじ!

と言う事で、今週も何とか「ひとときの暗がり」更新できました。

なんか昼夜逆転とか色々やってたせいで、曜日の感覚が分からなくなってて、アップが木曜日になってしまったけれども・・・

まぁ、ご愛嬌と言う事で。

一応、リンク張っておこう(↑)。

こちらでございます。

頑張って書いてるので読んでください。平に!平に!

さてさて。

そんなこんなで、第7話「評決」の話。

今回の話は、とにかく強烈に覚えている。

本文でも書いた通り、まぢで正真正銘自分で作った物語を、初めて何らかの形で発表しようとした試みだから。

小学生のころからずっと物語を描いてきた。

でも、ちょっと前に少し触れた通り、家族から否定され、学校では嘲笑された結果、誰にも見せずに黙々と描くようになった。

それから10年くらい。

そんな状態で、人に審査してもらって、あまつさえ演劇にすると言う事は、人に演じてもらうって言うんだからそれはそれは緊張したよ。そりゃあそうだって。

結果については、お話の方で書いた通り。

ただ、チョッとこの前後で小説には書かなったんだけど、「水野先輩(のモデルになった人)」と「黒崎先輩(のモデルになった人)」が二人で漫画を描いてるって話をしてて、その輪に入りたくて「オレも漫画描いてるんですよ」と話しかけたことがあった。

その際、「すごい!せっかくだから、どんな絵を描いてるか見せて」と言われて、当時、絶賛執筆中だった「ランナウェイデイズ」の主人公「レビ」と「ライト」を渾身の力で書いた。

でも、そのあまりにもへっぽっこな画力に両先輩から「あぁ・・・・」と言うどうしたらいいのか分からない溜息のようなものが漏れ、そのあと「なるほどね・・・」と言われた。

それ以降、オレに漫画を描いてる的な話は一切振られなかった。

漫画好きで、単行本をたくさん持ってたので、そっち関係で「あの漫画知ってる?」的な話はされたけども・・・

絵には昔から絶望的にコンプレックスを抱えていたから、この件についてはそれでも諦めはついた。

「オレは絵は描けないけど物語は掛け値なしにおもしれえんだ!」と言い聞かせることで、崩れかけていた自尊心を保とうとしてたんだよ。

その上での「マリオネット」だった。

ただ、ここでオレは少しだけ逃げを選んだ。

当たり前と言えば当たり前だけど、大体いつであっても今、自分が描いている物語が自分の最新の感性であって、一番面白いと思ってる。

昔描いた漫画面白かったのに、今描いてるのクッソ詰まんねえな。と思いながら漫画描いてる人なんて多分いない。いても少ないと思う。少なくともオレは違う。

オレが高校1年生のころ描いてたのは「ランナウェイデイズ」って漫画で、もちろん、これが当時一番最新の自分の感性で、当たり前に一番面白いと思ってた。

なのに、なぜ、この一世一代の台本執筆にすでに数年前に完結した「マリオネット」を持ってきたか。

多分、否定された時に「まぁ、昔描いた物語だしな」と言う逃げ場所を用意するためだったんだと思ってる。

この当時、オレはそうやって「全力を出していない」と言う言い訳ができるような状況を常に作ることで、実は自分は何の才能もないうんこ野郎だと言う事に気づかないように努力してた。

今は、そんな言い訳はしないように心がけてる。

どんなことでも全力でぶち当たって「これが今の全力です」と素直に言えるようなった。

これが成長なのかどうかは分からない。

でも、社会に出ると、「全力出さずに、適当にやりましたので」と中途半端なものを出したとしても、「しっかり作品を作りこむことができないクソ野郎」であり「この程度の実力しかないのに言い訳ばっかりしてる鬼畜米英」と言う烙印を押されるだけなんだよね。

もちろん否定されればやっぱり一生懸命頑張った分へこみはする。

でも、何となく「全力を出してないからな」と言う逃げ道を作って雑なものを作ってた頃より、色んな事で成長は出来てるような気がしていたりもする。

漫画を描く時、適当で雑なネームではなくなった。

一生懸命原稿描いてる。

小説書く時も、何度も読み直して推敲して、納得した上で更新してる。

ブログでさえ、書く殴りはしてない。描き終わった後、チョッと時間を空けて読み直して、文章のつながりとか直してる。

誤字脱字は、どれだけ注意しても見落としてしまう星のもとに生まれてしまったので諦めているけども、それでも出来るだけ減らせるように努力してる。

あと、一生懸命やると多分、人生楽しくなるような気がする。

そう信じてる。

まぁいいや。

危うくまた3000文字とか書きそうになってたので、この辺でやめておこう。

1回で立ち消えにならなかったし。

それでは。

また次回。

2回で立ち消えになりませんように。

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2023年4月19日 13:16 CAT :

どっちを向いても地獄ならいっそ狂ってロックンロール

前回までのあらすじ

と言う事で、今度こそ脱毛サロンに行ってきた。

前回のカウンセリングしてくれたお姉ちゃんとは違う若いお姉ちゃんが対応してくれた。

まぁ、2人ともたまにいるアホ丸出しの美容師みたいな感じじゃなかったので良かった。特に嫌な感じでもなく、和やかにお話ができたですよ。

いくつか説明を受けてから、実際に施術。

施術台に寝っ転がると、目のところにタオルを当ててゴーグルみたいなものを付けられる。

もう何も見えない。

「まずは首周りから始めますねぇ~」と言って、ヌルヌルした ローション ジェルを塗って変な機械を当てられる。

ちょっと痛いですよ。と言われつつパチン!となんか光って、チョッとだけ刺すような痛みが。

あとはこの繰り返し。

首回りし、顎下、頬、口回りと順次処置してもらう。

特に、鼻下の部分は皮膚が薄く敏感なので、なかなかの衝撃だった。

ただ、帰ってきて冷静になった今だから正直に言ってしまおう。

気持ちよかった。

実は前述の「はぐメタ狩り」。もう随分前から、毛穴からヌルっと毛が抜ける感じが快感になってた。

つまり、毛穴に攻撃される感じの今回の処置自体が「はぐメタ狩り」をもう少し高度にした感じになってしまい、その衝撃と痛みが快感になったわけである!

むしろ、「あぁ~もっとピカってやってください!お姉さまぁ~」な感じすらある感じで。

ついでに言うと、この処置って毛とか毛穴にライト(と言うか光線?)みたいなやつを照射して焼いてしまうので、そういうなんか焼ける臭いがする。

ほとんどわからない程度なんだけど、鼻下とかする時にはさすがにその香りが臭ってくる。

それが、なんか美味しそうなんだよ。

自分の毛と毛穴(と言うか、一部の肉?)を焼いている臭いなんだろうけど、それが美味しそうで、時間帯も丁度昼時だったので、お腹が鳴り始める始末。

「お昼時だから、お腹すきますよねぇ~」とフォローしてもらったけど、ごめんなさい。そうじゃないんです。

自分の肉体が焼ける臭いに食欲が刺激されているんです。

赤足のゼフが自分の足を食べて生き延びたと言う話で、出血とか酷くて余計衰弱するのでは?とか邪推なこと考えてたくせに、本当にごめんなさい。

そんなこんなで、快感と食欲にまみれたまま、一回目の処置は終わった。

冷たいタオルで冷やしてくれている間「あぁ~気持ちよかったなぁ~」とか、ボ~ッと考えてた。

帰ってからこの話を嫁にしたら「とんだド変態だね」と褒めてもらえました。

でも、この話は絶対に人に話しちゃあダメ。特に、サロンの人に話したらブラックリスト入りして、返金出禁だよ。

と言われたので、誰にも話さないで、ブログに書いておくことにする。

1年後には、一切の「はぐメタ狩り」から解放されると信じて。

ヒゲの後は、他のムダ毛処理もお願いするやも知れぬです。

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2023年4月18日 10:38 CAT :

今日くらいは新作短編描けました!って声高に宣言したい

詳しいお話はこちらから確認してくださいませ

まぁ、そんなこんなで唐突に降りてきた物語を描いた短編漫画が完成した。

ネーム出来上がってから、1ヶ月・・・色々忙しかったとはいえ、これはこれでかかりすぎな気がしないでもない。

それでも完成するもんだと。やり続けると。

こちら(↓)から読めるので、ぜひぜひ!

さぁクリックするんだ!

こんなへっぽこ漫画でも一生懸命書いてるんですよ。

ええ。ええ。

チョッとその辺りの話を。

もともと短編漫画として描きたいものって2パターンある。

ひとつはちゃんと展開が存在してる漫画としての短編漫画。「おもちゃはおもちゃ箱へ」「虐殺の恋文」「2人マイナス14年」辺りの感じ。

もうひとつはアングラ演劇な台本を元に漫画化した短編漫画。「夜誘う麦わら帽子」「君の死ぬ時間」「口頭無形」辺りの感じ。

読んでもらえると言うか、「良いね」って言ってもらえるは圧倒的に前者の方。

当たり前と言えば当たり前なんだけども。

それは分かってる。

でもどうしても、後者のような漫画が描きたくてしょうがなくなることがあるんだよ。

お仕事として漫画を描いてるんじゃない。オレは、気持ちいいオナニーとして漫画を描いてるんだ。しょうがないじゃないか。

そして、今回の「BirthDay Kill-RE」も完全に後者のパターンの漫画。

こんなに一生懸命描いても、きっとあんまりいい評価はもらえないんだろうな。と思いつつ、書いてた。

それでも描きたくてしょうがないので、ノリノリで描いてたし、別に後悔も何もないんだけど。

新都社様様やまんがおきば様様のお陰で、人に読んでもらえるという喜びも知ってしまったので、そっちの欲求もしっかり持ってるんですよ。特にここ最近。

でもなぁ、頭の中に浮かんできたイメージをどうしても形にしたいと言う欲求が勝ってしまう。

今回は、この承認欲求的なものは全部ぶん投げて、オナニーに全振り没頭したと思う。

さっきの2パターンのうち後者の方には、このどうしても形にしたいイメージが強烈にある場合が多い。

例えば、「口頭無形」のこのシーンとか・・・

例えば、「君の死ぬ時間」のこのシーンとか・・・

例えば、「夜誘う麦わら帽子」のこのシーンとか・・・

そして、今回の「BirthDay Kill-RE」で言えば、このシーンとか・・・

物語自体が、このシーンに引っ張られてしまって、破綻しかかってしまう事もよくあって、それを何とか保とうとすることに必死。

そのくらい、この辺りのシーンは強烈な力があると思う。

「口頭無形」ではこのシーンを描くために、地表に上がる方法が階段を上ると言う行為に変わった。

「君の死ぬ時間」ではこのシーンを描くために、近未来の世界だったものが超絶未来の世界に変わってしまった。

「夜誘う麦わら帽子」ではこのシーンを描くために、性欲と言う楽しみもない世界と言う設定を追加してしまった。

要はそう言う事なんだよ。

一応、短編の場合特に、全体の整合性を持たせることには気を配っていて、シーンとか展開についてもちゃんと意味があったりする。

でも、こういう強烈に描きたいシーンの場合、物語よりもそっちのシーンの方が強いから、そのせいで物語自体が破綻しそうになるんだよな。

とかなんとか、偉そうに語ってるけど、要は、頭の中にメッチャ描きたいイメージがあるってだけの話ですよ。

オレが超絶的に絵の才能があって、画家として絵を描いていたら、この1シーンだけを1年くらいかけて描いたりしたのかなぁ。

1枚の絵だけで、前後の壮大なストーリが見えてくるタイプの絵画を見るのも大好きで、確かにそういう事にも憧れたりもするんだけど、そんな画力はない。

そして、やっぱりオレは漫画を描きたい。

「BirthDay Kill-RE」が描き終わったので、ストップしてた「出来すぎた準備」の方の執筆を再開したいな。

こっちは、2パターンで言うと前者の方に入るものになるので、ちゃんと面白いはず。

また、そちらはそちらでよろしくお願いします。

あと、この前少し「ぬとらじ」でお話してた、過去の演劇台本を形にしたいと言う案も「モラトリアムよ永遠なれ」と言うタイトルでちょっとずつ準備してる。

もうひとつ、過去の楽曲をまとめた「場末の紙芝居屋さん」の方もちょっとずつ準備してる。

ただ、これ全部まんがおきばさんの方でアップしてしまうと、「サナダムシより細く長く」「漆黒の青空」「モラトリアムよ永遠なれ」「場末の紙芝居屋さん」で4つも更新になって、ほかの作家さんのご迷惑にならないかな。と、その辺気にはなってたりもする。

どこか別の場所でのアップも検討した方がいいのか・・・・

悩みは尽きないものですな。

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2023年4月17日 12:00 CAT :

裸の少女に迫る惨劇

あごひげを生やしております。

昔っから、何となく2重顎みたいな顎下のたるみがコンプレックスでそれを隠す的な意味合いもあって、あごひげを生やしている感じ。

ただ、それ以外の部分は全て剃るのではなく、毛抜きで抜いて処理していた。

その本来生えてはならない部分に生えている毛を「はぐれメタル」と呼び、その毛を処理することを「はぐメタ狩り」を名付けている。

人と会う時には基本的に、エチケット的にこの「はぐメタ狩り」を行っているんだけど、これがまぁ何と言うか、毎回1~2時間くらいかかるんだよ。

オレは人と会う前に、女のお化粧か、それ以上の時間をかけて自分のヒゲの手入れをしている。

これ無駄なんだよね。

社員さんとは毎日顔合わすわけだし、それでなくても、ここ最近なんか外に出ることも結構ある。

その度に1~2時間ほどの「はぐメタ狩り」をやってるのはどうなのか。

と言う事で、たまたま社員さんの旦那さんが通っているという脱毛サロンを教えてもらい行ってきた。

はぐれメタルを根絶やしにしてもらえば、毎日1~2時間ほどの時間が浮くわけで、そうすれば漫画もいっぱいかけるじゃねえか。と言う、捕らぬ狸の皮算用的算段だ。

お店に行くと施術の前に、若い可愛いお姉ちゃんにカウンセリングしてもらう感じになる。

その時に「毛の処理は基本的に毛抜きで抜いてます」と言うと、「脱毛のライトは、毛根に残っている毛に反応するので、毛を抜いてしまうとライトの効果がない」と。

はぐメタ狩りのために、永久脱毛ができないとは・・・

でも、毛抜きで毛を抜いていくはぐメタ狩りでは、永久脱毛にはならないらしく、しばらくして毛が生えてきたら、処理しましょうね。と言う話に落ち着いた。

結局、変な感じでお預けを食らってしまった感じだけど、まぁ、しょうがないので出直しますか。

と、ここまでは良かった。

問題はここからなんだよ。

なんでオレが「はぐメタ狩り」をやってたかと言う話。

髭を剃るって、出てきた毛を落としてるだけで、結局のところ毛穴に毛は残ってる。

そのちょっとしたざらざら感がどうしても我慢できなくて、完全につるつるになるまで抜いて抜いて抜き倒してたんだよ。

でも、それができなくなった。

ライトの効果を得るためには、このチョッとぶつぶつザラザラな毛穴に毛がある状態で我慢しないといけない。

前述のお姉ちゃんにも、「処理が完了するまで毛抜きは封印してください」って言われた。

これがね。相当ストレスなんですよ。あたくしにとっては・・・

果たして、このストレスに耐えて、永久脱毛に成功することができるのか!

このブログで、追って報告する!

とか、特命リサーチ200X風な感じで。

どうでも良いけど、メンズサロンってなんで若いお姉ちゃんが施術してくれるんだろうね。

顔だからいいけど、陰毛の処理とかしてもらうってなると、流石にドキドキするので、お願いできる気がしない。

いや、そういうプレイだと割り切れば、楽しめるのか。

でも勃起してしまったら怒られそうだし・・・

とりあえず、陰毛の処理はやめておこう。

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2023年4月16日 11:43 CAT :

パノラマ島へぶち帰る

これを順調と言っていいのかどうかはわからない。

けれども、何とかまぁ、毎日更新できてるのは出来てる。

となると、次の問題はクオリティーのような気がするんだよね。

遥か大昔。

しょこたんがブログの女王と呼ばれていた時代。

1日に300回更新とかやってた。確かに数はすごいけど、内容が一言だけだったり、写真だけだったりして、それはどうなのよと思ったんだよな。

そういえば、あの頃はまだtwitterなかった時代か・・・

極端な話、一日に一言だけ勝手に考えた格言みたいなことを言ってお茶を濁していけば、多分余裕で365日更新とかできるだろうて。

でも、そうじゃねえんだよな。

日々思う事や、(例え誰も読んでなかったとしても)世界に向けて発信したくてうずうずしていた内容をちゃんと書き続けて、365日毎日だ!をしたいわけですよ。おっちゃんは。

ちなみに、先日ちょっと触れた、文章長すぎじゃね問題を踏まえて、今日は400文字くらいでやめてみようと思ったんだけど、もう400文字超えてる。

短い気がするけど、今日はここまでだ!

なんだかんだ言っても、この人はすごいよね。

ほんとに。

そしてどれだけ頑張っても隠しきれない陰キャ独特のオーラに親しみを覚えてならない…

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2023年4月15日 20:00 CAT :

月明かりに照らされた白骨の死体が笑う

昨日のネタの続きと言えば続き。

「ひとときの暗がり」って小説書いてるよ。って話。

新都社で小説ってどうなのよ。と、チョッと思ったりもしたんだけど、アクセス数とか見てる分には、思ってたよりたくさんの方に読んでいただけているみたいで、ただただ感謝しております。

オレごときが書くアホみたいなお話を読んでいただいてありがとうございます。

こうやって卑屈なふりをする言い方をしてる奴見かけるとムカつくんだけど、自分でも思わずやってしまうので、まぁそんなもんなんだろう。

ただ、オレはメチャクソ面白いと思って書いてる。作者が面白い。メチャクソ面白いと思わないで良いものが書けるかってんだ!

自分の子どもは世界一可愛いんだよ。

さてさて。

唯物論者でございます。

SDGs?なにそれおいしいの?的に、モノに執着していると思う。

執着しすぎて過去に「モノはモノだけど忘れません」と言う曲を書いたことがあるくらい執着してる。

世の中には、ミニマリストと言う人たちが存在するらしいけど、なぁ~にを考えとるんだ!馬鹿者が!と声高に言いたい。

物欲にまみれてこそ人生よ。

スティーブ・ジョブズは、毎日同じ服を着て、毎日同じモーニングを食べていたらしい。

自分の貴重な思考と時間を無駄に使わないようにするための配慮だったとか。

あくまでもオレは。と言う建前の上で言わせてもらう。

んなこたぁない!モノをたくさん持って、色々悩んだ方が絶対に人生面白い。

「ウシジマくん」って漫画の中で「楽園くん」と言うかなり好きなエピソードがある。

その中に出てくる、人の使用済みコンドームを舐めながら「あの子をクンニしてる~」と喜ぶ素敵なラブホバイトのおっさんが「吉野家で牛丼に味噌汁をつけるかどうかで悩むときが幸せ」と語ってた。

これが物凄く共感できる。いや、コンドームで疑似クンニする方じゃなくて、飯のことで悩むことの幸せよ。

毎日「牛丼並盛、味噌汁セット、卵付きに紅しょうがはトングで一回分」とか決め打ちして、吉野家に入ってどうするって話だ。

たまには、牛皿定食食べてみてもいいでしょうが。

この考え方が形成された一番の元凶は、多分、幼少のころに預けられていた母親の実家で一緒に育った年の離れた従兄だと思ってる。

このブログによく出てくる大好きな従兄ですよ。

従兄がとにかくモノをいっぱい持ってた。それも、ジャンルが結構多岐にわたる感じで。

メッチャたくさんのスニーカーの箱が積みあがってる横で、スニーカーのカタログ見て「これ見て。めっちゃいいやろ?ほしいけど金がないんだよな。」とニヤニヤ言っていたのをオレはカッコいいと思いながら見ていた。

従兄は結婚したタイミングかその辺りで、これまでのコレクションをかなり処分したらしい。

しばらくして、従兄が家を建てた折に新築祝いで遊びに行った。その時に、家の中を案内してくれたんだけど、二階の部屋の奥にこれまで集めたコレクションの箱が山積みになってたのを見たんだよ。

いや。減ってはいたけど、結局処分しきれなかったんだと思う。と言うか、全然捨ててねえ。

なんかね。そこにシビれる!あこがれるぅぅ!んだよ。

参考画像(↑)

この世の中
今現実となっていることだけが
信じられることです

一瞬であろうとも昔になった限り
それが現実だとはいえません

過去のあなたは本当にあなたですか?

過去に逢ったことのある誰かではないのですか?

本当にあなたはあなたとして生きてきましたか?

昨日までのあなたは本当にあなたですか?

唯一事実なのは
今僕として存在していること

所詮モノです
でもモノは過去の僕の証明です

前述の「モノはモノだけど忘れません」と言う曲の一説。

時代に逆行するするのではない。

自分を変えないだけだ。

とか、かっこよく言ってみる。

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2023年4月14日 12:01 CAT :

あの頃の話を振り返る愚行を犯し続ける別にひとときでもなかった暗がり~その1

ここ最近。

「ひとときの暗がり」という小説を書いております。

正確には、昨年から書き続けて、今年に入ってアップし始めました。

一応、リンク張っておこう(↑)。

こちらでございます。

頑張って書いてるので読んでください。平に!平に!

もう5年くらい前になるということに対して、なかなかの恐怖を覚えるんだけど、このブログで「志茂田さん漫画堂更新」と銘打って、更新した漫画とか小説の裏話を書いてた時期がある。

この辺りの一連の話

まぁ、せっかく新連載始めたんだし、ブログも毎日書いてるんだから、これも復活させても良いかなと思った次第でございます。

小説を読んでくれている方で、このブログを読んでいるという人なんてこの世に存在してるのかとは思うけど、そういう都合の悪い部分は目を瞑っておく。

基本的に、思い付きをメインにして生きているので。

そんなこんなで、唐突に思いついたから、いつまでやるか分からないし、本来なら1話からするべきなんだろうけど、今更そこまで戻るのも面倒なので、今回更新の6話から。(一応、これ書いてるのは火曜日4/11で、多分更新までに更に数日のタイムラグはありそうだけども・・・)

高田純次は、芸風で適当にやってる風を装っているけど、本当な物凄くまじめで心優しい良いおじいちゃんなんですよ。

さてさて。

そんなこんなで、第6話「シータ」前夜の話。

実はこの小説を書く上で、高校生のころ毎日書いていた、黒歴史という言葉がぴったりの誰に見せたことのない日記を引っ張り出してきて参考にしている。

ただ、この日記が高校2年生からしかなくて、それより以前のものはもう紛失してしまってるみたい。

今は、まだ高校1年生の話なので、かなり記憶に頼っている部分が大きい。

ノンフィクションをうたってるくせにその分が、非常に心苦しい気がしないでもない。本当はしていない。

そんな前置きの上で、今回の6話はほぼほぼ事実を羅列しているだけの回なので自信をもってノンフィクションだと言えるだろう。

ただし、練習してた離れを「犬小屋」と呼び始めたのは、かなり後になってからで、この当時はまだそんな名称はつけてなかったです。まぁ、その辺くらいは大目に見てくださいな。ケセラセラ。

高校生がバンドを組む理由の120%くらいは「女にもてたい」という思春期の抗いがたい強烈な性衝動だと思う。

最も、その性衝動を表に出すのはなんだか恥ずかしくて「別にオレは女にもてたくて、バンドをやってるわけじゃねえよ。音楽が好きなんだよ」と嘯くやつもままいる。

オレもその一人。

ただこれは完全に嘘なので騙されないように。高校生バンドマンの170%は、バンド活動の遥か先の方でうっすらと浮かんでいるまんこと言うか、セックスを物凄く目を細めてギラギラ見ているはずだ。断言できる。

そして、実際にバンドを始めてみると、結局バンドやってようがやってなかろうがモテる奴はモテるし、さえない奴はさえないという事実に直面する。

要は、個人としての魅力がなければ誰も相手にしてくれないんだよ。

多分、超絶イケメンなら漫画とか描いててもモテモテだろう。自分の暗い青春時代を漫画のせいにしてはダメですよ。

まんこのためだけにバンドをやってる9割の高校生バンドマンは、その現実を知って、バンドをやめていく。

「昔バンドをやってたんだよ」と言って、急にギター取り出して「Jumpin’ Jack Flash」とか弾き始める奴は、セックスしたくてバンド結成したけどモテなかったから音楽をやめたおまんこ野郎で間違いないと思う。

所が、1割くらいはやめないで、そのままバンドを続ける奴がいるんだよ。

本当に音楽が楽しかったというパターンのヤツだ。

当時のオレの事を振り返ると、音楽自体が楽しかったという記憶はあまりない。

ただ、自分の世界観を表現することができる手段がもう一つ増えたという事に対しては、すごく嬉しかったような記憶がある。そういう意味では音楽が強烈に楽しかった。

小説に出てくるベースのタクヤ(のモデルになったやつ)は完全に、音楽が楽しかったパターンだったと思う。

こいつは、音楽を楽しみたい。

オレは、音楽を作りたい。

とそれぞれに目的が違ったので、その事で、この後もずっと相容れることはなく、事あるごとにぶつかる。

もちろん今も相容れない感じ。

ただそれはそれとして、変な腐れ縁みたいなものがあって、今になっても家族ぐるみで一緒に遊んでる。子ども同士も仲がいい。

そして何の因果か、色々あってこいつは今、オレの会社の社員さんだったりもする。

あの頃のことで花を咲かせながら、げらげら笑いあってる。幼稚園からの付き合いだから、まぢで30年以上の付き合いなんだよね。

ほんと腐れ縁とはこのことですよ。

それでも、この部分は相容れない。もう一生相容れることはないだろう。

まぁ、この年になるとお互いのそう言う所を許容して楽しめるようにはなったんだけど。

この頃はそうはいかなかった。本当にしょっ中言い争いばっかりしてたと思う。

ちなみに、作中に出てくる「お前にわかるか」という曲については、当時録音したデモテープも存在している。文字通りカセットテープで。

AmとEmを繰り返しつつ、たまにFコードが入ってくる感じで、このあとオレが組んだバンド「馬忠・DA・ムドー」の楽曲でメッチャ多用するようになるDm→Am→F→Am(「馬忠コード」を勝手にオレが命名したやつ)の原型がこの曲。

多分、馬忠の曲を聞いたことある奴がもしいたら、ピンとくるかもしれない。まぁ、そんな奴いないだろうけど。

あと、作中に出てくる「マリオネット」という台本の元ネタとなった漫画は、この「marionette」って話(↓)。

最近やってないけど、またスキャナーで取り込んで、コツコツアップしていきます。多分。

「Gの世界」にもちょろっと出てきた「ラーム=アイ」が失踪した「マリオネット事件」自体を描いたお話でございます。

そして、この話をリブートさせようと目論んでいるのが、「風を切る日々」完結後に描こうと思ってる「after “M”」と言う物語だったりもする。

そんなこんなで、この時代から今までずっと創作活動は全部つながってるよと言うお話で、このシリーズの第1回目は終わりにしておこう。

しかし、この手の話書き出すと長くなってしまうな・・・今日の文字数2500文字でした。やってしまった…

まぁいいや。

なんしか、1回で立ち消えになりませんように。

それでは。

また次回。

1回で立ち消えになりませんように。

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2023年4月13日 20:00 CAT :

友人知人に三親等までそれ以外は全員敵とみなす

もしもしゲーを投げ捨ててから1ヶ月。

特に、これと言った不都合もなく過ごしております。

ただオレの場合、お仕事で1日中PCとにらめっこしてる訳で、休憩で漫画描いたり、小説書いたり結局PCとにらめっこして、あと、スマホでちょこちょこ情報収集して、時間があれば「帰ってきた魔界村」やってと、よく考えたら一日中何らかの電子的なものに囲まれて、目を使い続けている。

挙句、最近ちょっとお風呂でもスマホいじったりしてた。

これはあかんですよ。

という事で、少しスマホから距離を置いて、少しでも電子の海から離れようかと画策してる。

お仕事とか、漫画描くのとかはやめられないんだよ。あと、オレから魔界村を取り上げるんじゃあない。

せめて減らせるのは、スマホを触る時間かな。と。

昔からとにかくお勉強が好きだった。

学校の勉強は嫌いだったけど、自分が興味のあることに関してはとにかく色んな所で調べまくって勉強しまくってた。

小学2年生のころ、たまたまテレビで「東洲斎写楽」の存在を知って興味を持ち、そこからいろんな本とかを読んで勉強した。当時ネットなんてなかったから、もっぱら図書館の本だった。

あの当時。1990年代初頭で、「東洲斎写楽」の正体が阿波藩お抱えの能役者「斎藤十郎兵衛」だと知っていた小学生が日本にどれだけ居たことか。

まぁ、そんなこんなで色んな情報を収集することが好きでしょうがないんだけど、最近、知識とかを集めてどうするんだろうとか、そんな根源的なことを考えるようになってしまった。

ぶっちゃけ、これ無駄じゃね?と。

まぁ、どう考えてもこの集め続けた知識が漫画を描くときにかなり有益なことは間違いないので、その意味では無駄ではないと信じたい。

けれども。

けれどもだ。

結局のところ、誰かと共有するわけでもないし、誰かに話すわけでもない情報が結構膨大に頭の中にたまっていってる。

これね。知識の貯金のような気がしている。

お金をためることを目的にしてしまった人間は、必ず不幸になると思ってる。

お金は使ってなんぼ。

もしものために貯めるという発想はまぁいいとしても、お金を稼ぐ目的が貯めることになってしまうと、もうそれは人生が不幸になる始まりのような気がする。

知識も多分同じ。

知識を集めて、情報を集めたところで、それを頭の中に置いていたらきっと意味がない。

知識を知ることが目的になってしまうと、それもある意味不幸な気がしてならない。

でも、知識を使うタイミングとは果たしていつなのだろうか。

急激に文明が崩壊した暁には、ベア・グリルスが教えてくれたサバイバル術で生き残れるかというと、多分無理だと思う。

地球が崩壊する瞬間に、アラン・グースのインフレーション理論を知っていたとて、役に立たないと思う。

かといって、無駄なので、今日から一切新しい情報を得ることも、知識を深めることもしません。

ただ何も考えず無為に日々を過ごすことにします。なんて、できる気がしない。

今日も、無駄と知りつつ知識を深め続けていくんだろう。

小難しいことを考え始めたときは、おっぱいを見ればいいんだよ。

おっぱいを見れば、大体の悩みは忘れることができる。

おっぱいに色々したい。

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2023年4月12日 20:00 CAT :

やがて散る運命なら咲き乱れて死にたい

このブログの記事。毎回結局、1500文字くらいは書いてる。

短くても、やっぱり1000文字くらいは書いてしまってる。

大体400字詰め原稿用紙にして、3~4枚。それを一週間毎日やってるので、まぁそれで30枚くらい。

あと、小説「ひとときの暗がり」の1話が大体3000文字くらいあるので、原稿用紙8~10枚くらい。

という事で、1週間に多く見積もると40枚くらいの原稿用紙を書いていることになる。

16000文字くらいか。どこの作家だよ。というくらいの量を書いているという事で、悦に浸るくらいの自由はあってもいいじゃないですか。

昨日から急なお仕事が入った関係で、もう24時間以上寝ていない。

さすがに体が悲鳴を上げてきたので、このブログを書いて、「ひとときの暗がり」の6話の扉絵を書いたら、今日は寝よう。

マンガの方まで手が回らなかったか・・・うむむむ・・・

ただ、今年のオレはちょっと違うですよ。

去年までのオレなら、確実に、このブログも書いてないし、今からイラスト1枚描こうとも思わなかっただろうて。

やろうと思えば、頑張ればできる。

無理をしないでおこうと思えば、できない。

そんな絶妙な感じのところを綱渡りしております。

それが心地いいような気がするし、無理やり頭をクリエイティブな方に切り替えると、色々やりたいことも増えてくる。

ここ最近、「風を切る日々」再開のために、ひとまずこれまで描いた分を読み直してるんだけど、まぁ、最初のころは絵が酷いな。まぁ、今も画力自体は大して変わらないんだけど、板タブ買って、使い方を模索しながら書いてる初期のころは酷いもんだ。

全部書き直したい気持ちもあるんだけど、それをやり始めると「バスタード」になってしまうので、我慢して続きを書くことに専念しよう。

前の1話書いてからもうじき3年もたってしまうので、その前にまず「これまでのあらすじ」も作ろうかなと思っています。

今年は、桜をいっぱい見に行った。

昼お弁当持ってお花見行ったし、夜桜も見てきた。

「へうげもの」の中で「人生であと何回桜が見られるかわからんのだ。しっかり見ておけ。」と言ってたのは、誰だったけ?

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2023年4月11日 20:10 CAT :

シュラバ★ラ★ランバ

選挙に行ってきた。

投票所の何とも言えないあの空気感が、いつもと違う感じで、何かちょっとドキドキする経験ができたような気がする。

実際に、政治に参加してきたんだと思うしね。

どうでも良いけど、日本では政治家になっている女性の人数が世界的に見ても物凄く少ないらしい。

これを、ジェンダー後進国だと断罪するのはたやすい事なんだろうけど、ふと思うことがある。

いやね。

立候補者見てたら、割と女性の立候補者多いんだよ。

男が男の候補者にしか入れなかったとしても、女が女の候補者に入れたら実際はもう少し当選する人増えるような気がする。

投票権については、平等に与えられている。ちなみにちょっと調べてみたら、投票数というか、投票率は女性の方が多いらしい。

ってことは、単純に男も女も男の候補者に入れてるってことにならないのだろうか。

例えば、男にだけ投票権が与えられて、女性が立候補してもフル無視されるというなら、日本はジェンダー後進国だ!って言われてもしょうがないと思う。

でも現実には、立候補者数は男女でそんなに差がなくて、投票数は女性の方が多いらしい。

何となくモヤモヤするのはオレだけなんだろうか。

無駄に声がでかいだけの自称フェミニストさん達がSNSでは元気だけど投票に行ったりはしないという事なのか。

「女の敵は女」という言葉で、マイメロちゃんが大炎上したらしい。フェミニストの皆さんがそれはそれはギャーギャー言ったとか。

でも、この言葉を考えてキャンペーンを展開したのも女らしい。

実に皮肉な形形で、「女の敵は女」という言葉の正しさが実証されている。

男は女の敵ではないですよ。

多分・・・

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2023年4月10日 20:00 CAT :

じゃあまだまだ もう少しだけ夢を見るよ

これまで作ってきた音源の中で、一番評価されたのは「脛毛王女と巨乳爺や」という作品だと思う。

個人的に一番完成度が高いのは「ぬるま湯ガリクソン」か「王道軽傷」のどちらかだと思っている。

とはいえ、もうここ数年これと言った音楽活動をしていないので、その辺のことも過去の泡沫。

たまに、自分で聴いて、やっぱりオレは天才だな。と思う程度になってしまった。

で、最近、チョッと色々あって、CDをくださいと言われることがあった。

いいですよ。と言いたい所なんだけど、結局プレゼントすることができなかった。

渡すとすれば、上記の3作品のどれかなんだろうけど「脛毛王女と巨乳爺や」と「ぬるま湯ガリクソン」はもう刷った分は手元になくて、渡せるのは「王道軽傷」だけなんだよね。

まぁ、「王道軽傷」もあと数枚しかないんだけど。

渡す前に久々に自分で、通して聴いてみた。

うむ。

相変わらず素晴らしい出来だ。

と思ったんだけど、これを人に「オレの作った音楽作品です」と渡すのはこっ恥ずかしい・・・いや、これは渡せねえな。となった次第でございます。

このアルバムの収録曲は下記の通り。

M1.本当の横溝正史のラブレター
M2.1/f揺らぎにあわせて奏でる発狂者のメロディー
M3.虐殺の恋文
M4.死合わせとシャボン玉の唄
M5.惑星独りぼっち
M6.今宵、「ただいま」はゼロになる
M7.黒魔術ラヴィンユー
M8.糧となるモノたち~true of the world
M9.思い出のアルバム
M10.おもちゃはおもちゃ箱へ
M11.お耳汚しを召し上がれ~と言う、演出
M12.犬神一座の大サーカス
M13.哀飢え悪の唄
M14.パラフィリア=グロッサリー その1
M15.パラフィリア=グロッサリー その2
M16.白痴にも書けるラブソング

この中の1曲「今宵、「ただいま」はゼロになる」が問題なんだよ。

アルバムの構成上、この曲自体は絶対必要なんだけど、この曲の歌詞がもうそれはそれは世に出してはいけない感じなんだよ。

このアルバムを作ったころ、オレは、サラリーマンをしていた。

合間を縫って、土日に少しずつ時間をかけてレコーディングをしていた。

そして、娘が生まれたタイミングで、その愛すべき娘に向けて捧げた「白痴にも書けるラブソング」が出来上がり、このアルバムは完成した。

まぁ言ってみれば、高校時代「生涯童貞」」を信じて疑わなかったオレ自身にとって、奇跡ともいえる自分の家庭を持ったことで頭の中お花畑状態で作った曲が数曲あるんですよ。

それでも「白痴にも書けるラブソング」はいいと思うんだ。

こういう感じに浮かれてる曲は人生でそう何度も書けないだろうし、今聞いても別に何とも思わない。娘かわいいなぁとしか思わない。

問題は、前述の「今宵、「ただいま」はゼロになる」だよ。

この曲こそ、そのお花畑脳全開なんだよ。

あまりにも恥ずかしすぎて、どうしようもない。

この1曲を闇に葬るために、この自信作のアルバムを丸々なかった事にしたい位恥ずかしい。

いつか、この曲だけ作り直したとき、本当にこの「王道軽傷」というアルバムが完成するような気さえしている。

それと同じ感じで、「ぬるま湯ガリクソン」にも「脛毛王女と巨乳爺や」にも制作当時の若気の至り的な恥ずかしい部分が散見されてた。

この辺りを再構成して、どこに出しても恥ずかしくない音楽作品を作ってみたいもんですな。

こちらが「王道軽傷」のジャケットになります。

はい。

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2023年4月9日 10:38 CAT :

めくるめく世界は艶やかななまま記憶の片隅に ~後編

チョッと回復してきたので、後編サクッと書いてしまおう。

なんで、オレは、こんな苦しみながらブログ更新やってるんだ?よくわからなくなってきた。

これは何となく違う気がするんだけど、まぁ、何しか、一応書き始めたので、最後まで書いておきましょうかね。

さてさて。

心バキバキのまま、時間は過ぎていく

そんなこんなで、30歳も超えていた。

家族を養っていくことに責任だけはしっかり背負ってるつもりだった。

体のボロボロ具合は全く回復していない。

どう考えても、ハローワークに通い詰めて、応募して、面接を受けて就職というステップを踏めるはずはない。

傷病手当もらえる期間も終了。貯金もない。

今月あと2,000円で家族4人食いつないでいけるのか?!みたいな状況だった。

と言う事で、少しでもお金を稼ぐために、家でできることはないかなと考え始めた。内職的な何かとか?かなと。

非常に良い感じに、ちょうどネット上で仕事をマッチングするサービスが色々充実し始めていたので、とりあえずクラウドワークスやらランサーズやら、その辺りに登録して、前職でやっていたデザインとかプラグラムとかのお仕事を探し始める。

あれだけボロボロになった前職での経験は非常に効果的だったらしく、初月から、前職のお給料分くらいの稼ぎにはなった。

もちろん、時代的なタイミングとか、運が良かったとかの部分もかなり大きいけれども、それでもクライアントさんから評価はオール5で、あっという間になんか「この人はいい人ですよ!」的な認定も貰えた。

本当にありがたかったですよ。

ネットでお仕事を取り始めて2か月目にたまたま電話がかかってきた。

前職の時にコンサルティングとして職場に来ていた人からで、オレが仕事を退職したことを聞いて、個人的に仕事を頼めないかという話だった。

ありがたいこと限りなかったので、もちろん即快諾させてもらった。

その次の月には、たまたま知り合いの紹介で、前職の時のライバル会社の人が独立して、外部デザイナーを探しているからやらないかと言うお話をもらった。

ありがたいこと限りなかったので、もちろん即快諾させてもらった。

その結果、ネット上のお仕事サービスに頼らなくても生活できるだけのお金をもらえるようになり、その辺りは2~3ヶ月くらいで卒業。晴れてフリーランスのデザイナーになる事ができた。

それから数年。

口コミなどを中心に気が付けば、一人では抱えきれないほどの依頼をもらえるようになっていた。

ついでに確定申告をするたびに、引くほど税金を取られるようになる。

で、その事を知り合いの社長さんに相談したら「個人事業でやってたら、そりゃあそうなるよ。そのために法人ってものがあるんだから」とアドバイスをもらう。

その年、たまたま別の知り合いの社長さんの娘さんが行政書士のお仕事をしていたので、相談して、法人化した。

「会社名はどうしますか?」と聞かれたとき、オレは迷いもなくひとつの名前を告げた。

もちろん、結婚前、嫁と二人で決めたあの名前。

学生時代に、先の見えないまま、2人で少しでも真っ暗な将来に光を照らそうと決めた名前。

その名前の会社が誕生したのは、結婚して10年目の出来事だった。

お陰様で、会社の方は何とか今年も1年続けることができた。

社員さんも増え取引先さんも増えて、今年から新しい事業を始めようとしている。

会社の方は、もうオレの手を離れて、自分の意志を持ってるかのように成長し始めている。

人生って何が起こるか分からない。

ただ、現実として、学生時代、周りの人にさんざん嘲笑された「夢みたいなこと」が、今実現している。

ずっとその辺の安っぽいミュージシャンの歌う「夢はいつかかなう」みたいな歌は反吐が出ると思ってたし、今も思ってる。

あんな事は本当に夢がたまたま叶った人の絵空事で、万人に当てはまるものではない。

そんなことはわかっている。

それでもオレは夢をもってしまった。

無理やり作った夢ではない。

小学生のころから、どこにも居場所がなかったおっさんが、自分の居場所を社会に作るために絶望しながら絞り出した、生きていくことに縋るためのカスのような夢。

そんな夢だから生きていくために捨てることができず、結果ずっと持ち続けていた。

捨てきれずに持ち続けた夢は、いつか叶うのかも知れない。

人生の出来事は全て持ち続けた夢が叶うための伏線で、いつかその伏線はすべて回収されて夢は叶うようになっている。

ただ途中でその夢を諦めたら、それまでの伏線が一度ゼロに戻ってしまう。

そういうシステムで世の中は出来ているのかもしれない。

諦めた回数が多ければ夢の叶わない人生になるんだろう。

オレの場合、この夢が叶うまでにかかった時間は多分20年以上。

逆に20年以上持ち続けることのできるくらいじゃないと、夢なんて叶うわけないんだろう。5年や10年で叶うわけない。

あと、最後に、これだけははっきり言いたい。

「会社務めもできない奴が自営なんかできるわけない」って当時の大人たちに散々言われたけど、現実は「会社務めできる奴に自営なんかできるわけない」だと思う。

実際に社長になって色んな社長さんと話をしていて確信した。

会社に勤めることと、自営をすることに必要な能力は全く別なんだよ。

長く同じ会社に勤めることはそんな凄い事だと評価されなくなってきている今の時代は本当に良い時代だと思う。オレにはあってるという意味で。

1970年代とかだったら、オレ確実に自殺してたよ。

絶対に。

時代に生き永らえさせてもらっている感満載で今日も生きていくデス。

時代と環境全てに感謝してもしきれない。

ありがたやありがたや。

という事で、主題ブレブレ(主に中編の時期のせいで)。

結局何が言いたかったのかもよくわからないお話はこれでいったん終わりにいたします。

さようなら。

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2023年4月8日 20:06 CAT :

みんなで木魚を叩けばまぶしい光が差し込むだろう

昨日のブログを書いていると、絶望的に頭が痛くなってきた。

んで、ずっと吐き気と腹痛が止まらなかった。・・・体も心も何にも回復していないらしい。

逃げることで、知らないふりをしているだけなんだと思う。

これで良いのかと問われれば「まぁまぁだ」と答えざるを得ないのが大いに不本意だ。

ガストロンジャーですよね。

と言う事で、ちょっとだけ今日は後編はお休みして関係のないお話でも・・・

会社の方で、今度、新しい人を迎えるかもしれないと言うことで、その人の働く場所を作ってた。

本当はやらないといけないお仕事もあったんだけど、場所作りはやっておかないといけないので、朝から買ってきた棚を組み立てたり、オレの部屋の模様替えしたり、事務所の模様替えしたりと、普段やらない肉体労働に勤しんでおりました。

昔から、部屋の模様替えがすごく好き。

意味もなく部屋の模様替えをよくやってきた。

実家にいたころ、自分の部屋の模様替えをした夜、見たことのない景色の中で眠りにつくとき、なんだか少しだけ、これから新しいことが始まる気がしてワクワクしていたような気がする。

実際には何も変わることない日々の延長でしかなかったんだけれども。

自分の向かい合う方向が変わるだけで、気持ちが変わる。

もっと言えば、自分の周囲にあるものが少し変わるだけでも、気持ちは変わる。

楽しい気持ちを持ち続けているならそれでいいんだろうけど、オレの場合、ずっと心は落ち込んだままでいることの方が多かった。

あまりにも心が落ち込んでしまったまま浮かび上がる兆しすら見えなくなると、部屋の模様替えをして、見たことない景色の中で眠りにつくことで、気持ちを少しでも上昇させようとしていたんだろう。

今もその名残があるんだと思ってる。

久々に、家具の配置とかをいろいろ変えたので、今日は少しだけ、ワクワクしている。

何となく、前より使いにくくなったような気がしないでもないけど、それはそれ。

そもそも合理的なことだけを考えて生き続けることができるのであれば、もっと人生楽に生きてこられたと思うんだ。

今日くらいはチョッと癒されたいので、猫の写真でも載せておこう。

さようなら。

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2023年4月7日 20:00 CAT :

めくるめく世界は艶やかななまま記憶の片隅に ~中編

ということがあった。その続きでございます。

このままではどうしようもない。

絶望の中で、いつまで経っても何も見えない日々は続く。

オレも精神的に一番疲弊していた時期だったように思う。

例え似非であっても、未来に向けて何かを行動しているという状況を作らなければ心が壊れてしまう。

そんな後ろ向きな理由で、毎日ハローワークに足を運ぶようになる。

毎日見たところで、そんなコロコロ求人の内容が変わることなんてないわけで、それは結局のところ徒労にしかならない。

それでも、公園で野良猫と眠るだけの日々よりは少しでも心が軽くなるような気がしないでもない。

実際には何も変わらなかった。

心の疲弊も限界が来ていた。

嫁はこの頃、植物が大好きだったことから、お花屋さんでバイトをするようになっていた。

仕事終わるといつも嫁から電話があった。その電話に対してオレは何も変わり映えしないハローワークでの出来事を話すだけの日々。

そんな日々に耐えかねて、一つの仕事に応募してみることにした。

変わり映えのしない求人の中で、いつでも出ている求人というのは、その職場が絶えず人材不足であるということで、それはそのまま超絶ブラック企業だという事の証明でもある。

それでも、何か動かなければ心が壊れてしまう。

応募した会社の面接の日、面接は地方の中小企業よろしくいきなり社長面接だった。

その時におもむろに一枚のDMを出して「これをどう思う?」と聞かれた。

受からなければそれはそれで良いかな。また、夜、嫁に話すことが増えるか。程度にしか考えず、そのDMを自分ならどうデザインするかを懇々と語り倒した。

その話を静かに聞いていたその社長さんは「よっしゃ!」と言い立ち上がり、オレを一つのPCの前に連れて行った。

そして「今から、お前が言ったDMを作ってみろ。このDMの入稿は今日が締め切りだから、今日中にできるな?」と言い放った。時刻は、夕方の6時ころだったと思う。

面接の日。

まだ入社するかどうかも決まっていないのに、いきなり、実際に出すDMのデザインをやらせる。

しかも、その日が締め切り。夕方の6時から?

頭の中には「?」が無限にわき続ける。

それでも、取り合えず今持てる技術で何とかしようと、イラストレーターでDMを作り始めた。

面接で偉そうに話した内容を一通り網羅したDMが出来上がったのは、日付の変わった深夜2時ころだった。

出来上がったことを告げに行くと、その社長ともう一人のおっさんがオレのことを待っていた。

DMを見て「よし。今回はこれで行こうか。で、お前は、来週から来れるか?」と。

どうやら採用されたらしい。

尋常じゃなく疲弊していたので、この会社に勤めるべきかを考える頭なんて残されてなかったように思う。

結果として、オレはその会社で過去最長の7年間務めることになる。

入社面接に行っていきなり深夜2時まで無償で働かせてくれる素敵な職場。

ただ、面接時に深夜まで残って意地でもDMを完成させたこと、その出来上がったものの出来も思ってたより悪くなかった事で、この会社では有り得ないほどの好待遇、好条件で雇ってもらえた(らしい)。

入社から半年後、オレは嫁にプロポーズをして、さらに半年後結婚した。2年後には娘も生まれた。

ただ、こんな漆黒の素敵な職場なので、最後は結局パワハラやらなんやらで、再び精神をやられ、就業不可能になって退職することになる。

今でも、この頃のことを思い出すと動悸が止まらなくなるくらいにはトラウマになっている。

それであってもこの7年の間に得た技術、ノウハウ、経験、そして人脈はこの後の人生に大きく関わってくるんだから、人生って本当にファンタスティックだと思うんだ。

それとは別で、退職したものの、ものすごい鬱病で仕事なんてできる状態ではないくらい体はボロボロになっていた。

一応、長期間仕事をしていた関係で、傷病手当という救済措置を受けることができ、1年半ほどは月10万円ほどのお金をもらうことはできた。

それでも、この時のオレは結婚していて、ついでに子どもも2人いた。

以前のようなニート生活など到底送れる状態ではない。

体がボロボロ。本当の廃人で、子どもの顔すらまともに見られない。正直、この頃のことは記憶がほとんどなく、息子が赤ちゃんの頃のことはビックリする位何も覚えてない。

月10万円のお金は家族4人で生活するには少なすぎて、あっという間に当時あった貯金も底をついた。

人生で最も極貧の時代。

息子のスタイを買うことができなくて、お姉ちゃんが赤ちゃんの時の服を切って嫁がスタイを作るくらいお金がなかった。

と言う感じで、後編へ続く

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2023年4月6日 20:00 CAT :

めくるめく世界は艶やかななまま記憶の片隅に ~前編

大学卒業のチョッと前くらい。

一応、地元の零細企業に内定をもらっていたオレは、結婚前の嫁と将来について色々話をしていた。

その中のひとつに、「会社務めじゃなくて、二人で何かやりたいね」と言うものがあった。

別に会社務めが悪いとは思わない。

でも、お互い自分のやりたいことが色々あって、それは到底会社務めと言う形で達成できるようなものだとは思えなかった。

その少し前、オレは漫画家を目指して上京するか、地元に残って就職するかの決断に迫られ、地元に残って就職する事を選んだ。

ただ最後に、一度だけ本気で漫画を描いて、それをアフタヌーンって雑誌の四季賞と言う賞に応募した。

結果は落選。佳作にも引っかからなかった。

その結果も踏まえての決断だった。

当時通っていた地方のFラン大学は、卒業した先輩の就職率90%を売りにはしていたけど1年後の離職率は70%と言う話も聞いていた。

結局、就職率を売りにして新入生を獲得するために多少無理してでも、どこかの企業に内定させる。その後の事は知った事ではない。と言うのが大学の方針だったんだろう。

それもあって、オレ自身も先輩諸兄同様このまま普通の会社務めを続けることが出来る気がしなかった。そうでなくても、長く会社務めは出来ないような気がしていた。漠然とではあったけれども。

会社務めをしないのであれば、フリーターのような生き方をするのか、ニートになるのか、自営になるかの3択くらいしかなく、ただ、2人で結婚して生活したいと言う希望はすでに(少なくともオレには)あったので、ゆくゆくは自営できればいいなと思っていた。

もちろんそれは、どんな職種でどんな形で独立するのかと言う具体的なプランは全くない、ふんわりとした妄想でしかない。

嫁と二人で独立した時の屋号を決めて、その屋号のハンコを作ったりして、ささやかながら二人で薄暗い未来に少しでも光を当てようともがいていた。

まだネット環境すら、今と比べると全然普及していないような時代。

このふんわりとした妄想を話した全ての人から、「何を夢みたいなことを・・・」と鼻で笑われた。

「会社務めもできない奴が自営なんかできるわけない」と説教もされた。

唯一、このブログでもちょいちょい出てくる年の離れた従兄だけが「せっかく色んなやりたいことがあるんだから、やりたいことをやった方が良いよ」と言ってくれた。

そして、大学卒業して、職場での日々が始まる。

ただその日々はわずか1ヶ月チョッとで破綻してしまう。

2週間くらい過ぎたあたりから、毎日夕方になると高熱が出るようになり、朝になると熱が下がるようになる。

ゴールデンウィークを過ぎて数日したころ、車運転中に急に左半身が動かなくなり、そのまま緊急入院。

脳外科に入院して1週間ほどかけて全身を精密検査したけれども、異常は何も見つからなく、精神的なものから来る症状で、体が活動を拒否していると言う診断が下された。

オレの会社務めは想像よりも早く体の方が拒否すると言う形で終わりを告げる。

新卒と言う既定のレールをいきなり、しかもストレスで体調を崩したと言う理由で外れてしまったわけだ。

それからの日々は、記憶も曖昧。

フリーターをしていた期間もあれば、仕事もしないで親からもらった月3万円のお小遣いで遊ぶニート生活をすることもあった。一念発起して就職したけど結局1ヶ月ほどで退職と言う事も繰り返した。

受けた面接は多分10や20ではきかないし、務めた職場はパート・正社員併せて10以上を数えた。

訪問販売の営業、ネットショップ店長、ホテルの受付、工場での内職、塾講師、弁当宅配の受付、事務職、SEさんのマネージャーみたいな変な仕事もあったな。

今振り返ってみれば、その期間はわずか2年ほど。

どこ行く当てものなく嫁と二人、公園の野良猫と一緒に昼寝ばっかりしていた期間もある。

当時は、いつまでこんな生活なんだろうと、不安でしょうがなかったのに。

そんな中で、一つの転機が起こったのは、27歳の時だった。

中編へ続く

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2023年4月5日 20:00 CAT :

もう一度会えると思ってとっておいた手紙は車の窓から捨てた

女の子のパンツにリボンが付いているのは、ちんちんを出す穴がなくて前後が分からないからだと言う話を聞いたことがある。

参考画像。

最近、男のパンツも穴あいてない奴結構あって、オレも最近買った奴結構な確率でついてないんだけど・・・

ここはひとつ男物のパンツにも前にリボン付けてくれませんかね。これもある意味で、ジェンダーレスじゃないでしょうかねぇ。

さてさて。

今年に入って思い切ってやってやった断捨離がある。

何を隠そう、それはスマホゲー。

課金とかはしてなかったんだけど、わざわざTVの前に座らなくてもお手軽にできるので、チョッと時間があったりしたら、ポチポチやってた。

んだけど、気が付けば1時間とか2時間とかやってしまってて、そのうちの一つのスマホゲーなんか全プレイヤーの上位1%にまで上り詰めてた。この%はどこまで信憑性があるか知らんけど。

でも、今年に入ってから「何やってんだよ。このビチクソが!」と思い立ったわけですよ。

その1時間があれば、ブログ書いて、小説でも、マンガでも書けるだろうが。このビチクソ野郎が!

時間がないとか嘆きながら、スマホゲーをダラダラやってると言うこの状況はダメに決まってるだろうが!このビチクソ野郎が!

ってなもんですわ。

ただスマホゲーって、あんなクソみたいなゲーム性の癖にやたら禁断症状がありやがる。

スマホチョッと触ってたら、そのままアプリ起動できてしまうから、ついついやってしまいそうになるんだよね。

と言う事で、スマホ内に入っているスマホゲーを全部、データごと削除してやった。

まぁ、別に課金してたわけじゃあないからそこまで後ろ髪をひかれなかったよ。

ってわけでも無くて、金かけてなくても、その分時間はかけてる訳で、その時間だって有限。貴重な資産だ。

それをかなり費やしたものを全部捨てるんだから、そりゃあ逡巡もしますって。

だが!ここで捨てなければ、無駄うち精子人生はまだ続く。

オレはちゃんとまんこの中に射精して受精させるんだ!

排水溝の中に無駄うちばっかりしてる暇はない!

と、心を鬼にして、全部消し去りました。

結果として、今年は、過去類を見ないほどクリエイティブな日々を送れている。

めでたしめでたし。で終わるはずだった・・・

だったのにぃいいいいい!!

息子とひとつの約束をしていた。

『switchのスーファミアプリで「超魔界村」1週目クリア出来たら、「帰ってきた魔界村」を買ってあげよう。』

いやね。小1の息子に「超魔界村」の1週目クリアは無理だと思ってたんだよ。オレだって、クリアできたの小3くらいだったし。

でも、あいつはやり遂げやがった。どころか2週目の4面まで進めやがった。

子どもたちとの約束だけは絶対に守る主義なので、買ってあげましたよ。

これ。

じゃあ、チョッとオレにもやらせてみてよ。ってなるのは、自然の摂理でして・・・

そしたら、クッソ面白いんだよ。これ。

このゲーム作った人は、心の底から魔界村の事分かってるわ。

「やっぱつれえわ」の人とは全然違うわ。

せっかく、スマホゲーを捨て去ったのに、こんなおもしろゲーム持ってこられたら、どうすればいいんだよ。

そんなこんなで、4月以降創作活動は「帰ってきた魔界村」によって滞ってしまうのか!

次回を待て!!

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2023年4月4日 20:00 CAT :

リストカットの傷痕レーザーで消して卒アルの嫌いな顔マジックで消して

坂本龍一さんが亡くなった。

YMOのメンバーのうち2人が相次いで亡くなるとは、何とも時代の流れを感じてしまう。

坂本龍一さんと言う人の人となりはまぁ置いておいたとしても、政治的な活動(と言うか思想)についてはどうしても好きになれなかった。

好きになれなかったけど、それはそれとして、やっぱりこの人の残した楽曲は素晴らしいし、YMOの曲は全て名曲だよね。

人となりと曲の価値は関係ないと思うのだよ。あたくしは。

さてさて。

男プリキュアが誕生した。と言う話が、色んな界隈で持ちきりになってから久しいけど、ついにその御姿を見ることが出来た。

おおおおおおおおおお・・・

何とも言えない!

どういう感情でこれを見たらいいんだろうか。

そもそもいい年下おっさんがプリキュアを見てんじゃねえと言われるなら、その通りです。

そのままの言葉を、大好きなFUJIWARAの原西さんにもお伝えください。

オレが一番はまってたのは、「プリンセスプリキュア」な訳で、娘が卒業してからはめっきりご無沙汰になってしまったよ。

ジェンダーレスと言う事が世の中に浸透してきてから久しい。

この男プリキュアもジェンダーレス社会のひとつの形なのだろうか。

おっちゃんはセーラームーン世代でして、今回のキュアウイングに近い感じで、セーラーウラヌスと言うキャラクターが存在していた。

こんな顔してたか?

まぁいいや。

ただ、このキャラクターは男っぽい女だった。今度のキュアウイングは完全に男らしいので、そういう意味では完全に別物だよな。

しかも、「おとこの娘」でもない、普通の男らしい。

これも時代か。

と、一言で終わらせていいものかどうかは、何とも微妙な気がする。

ジェンダーレスってそう言う事なのか?それは、ジェンダーレスなのか?

昔から男女差別は行けないけど、男女区別はあるべきだと思ってる。

ちなみに、ジェンダーレスについて(ウィキペディアより)

ジェンダーレスとは、従来の女性観(レディース)にも男性観(メンズ)というジェンダー(社会性別)にとらわれない衣類・商品・表現を意味する言葉である。

男がスカートはこうとも、女がおっぱい丸出しで海で泳ごうとも別にOKだよ!って事で良いんだろうか?

まぁ、別にこのジェンダーレスについてはどうでも良いんだよ。

ただね。この問題って、「プリキュア」の定義が「女の子だってドラゴンボールしたい(暴れたい)」と言うどう考えてもジェンダーレスではないコンセプトのもと、言葉自体がまったく浸透してなかった20年前に誕生したものだと言う事なんだよ。

その問題を放置したまま、無理やりその中にジェンダーレスを当て込んだもんだから、「本来女の子しかなれないプリキュアに男がなった」と言う、それはジェンダーレスなのか?と言うややこしい話になってるだけで。

そもそも、「プリキュア」自体の設定がもう時代についていけないので、プリキュアをやめて、男でも女でもなれる新ヒーローを作って、それで展開していけば、誰も何も思わなかったでしょうに。

そこでプリキュアを捨てられないのは、プリキュアと言うブランドがもたらしてくれるお金の方が、社会的なジェンダーレスよりも重要だったと言う事なんだろう。

だったら、中途半端に日和って男プリキュアなんて出さなければいいのにとしか思えないけれども。

ジェンダーレスについても、色々書きたい事はあるんだけど、それはそれとして。

時代の流れに頭の固いおっさんおばさんが付いていけない一つの例だなと思った今日この頃でございます。

まぁ、オレも完全にその中の一人なんだけどな。

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2023年4月3日 20:30 CAT :

桃栗三年柿八年 柚子の大馬鹿十八年 竹の気違い百二十年

最近、自分が小説を書いていると言うのもあるかもしれないけれども、何となく人の小説が気になってる。

そんな感じで、最近なんだから新都社で更新されている漫画より、どっちかと言うと小説の方を優先的に読んでるような気がしないでもない。

で、先日完結した「SNS全盛時代のストラグラー」と言う小説を読んでおりました。

一応紹介。

【SNS全盛時代のストラグラー】

こちらの作品ですね。

ノンフィクションなのか、設定なのかは定かではないけど、リアルな描写からかなりノンフィクション寄りの作品なんだろうとは思う。

内容についての批評はまぁ、ここでするべきでもないと思うので、割愛するけど、この話を書いた経緯的な部分だけちょっと気になった。

この小説。のちに自費出版して、多分本屋さんに並ぶらしい。

「自費出版なのに、本屋さんに並ぶ」と言うこの話に途轍もない既視感を覚えたんだよ。

自費出版を流通に載せると言う事は、普通に考えると自分で各店舗もしくは卸業者さんに営業をかけて本を置いてもらうと言う手間が必要だと思う。(小説の内容の感じだと、営業回りされているとはあまり思えないし)

それをやらない場合と考えた時、チョッとだけ思うところがあった。

別に、この小説の作者さんに対してどうこう言いたいとかは一切ないし、自費出版されることに対しても、ただただ「すげぇ事するな!」としか思わない。

それはそれとして置いておいて、オレも過去に同じような形で自費出版で本を出しかけたことがある。

10年以上前の話。

当時、マンガではなく、小説を書いて色んな出版社さんに応募していたんだけど、その中のひとつの出版社から連絡があった。

内容としては「応募いただいた小説が、新人賞に当選したので、ぜひ書籍化についてお話しさせてください」と言う事だった。

そんな話が来たら、そりゃあ浮かれ倒しますって。特に、当時はまだチョッと「小説家になりたい」と言う希望も持ってたりしたんだから。

所が、実際に話を聞いてみると、「書籍化する」と言うのは「自費出版で本にしませんか」と言う意味で、しかも、そのための費用として100万円くらいかかると言われた。

その代わり、書籍化した本は、その会社から出版し、書籍コード「ISBN」も取得して、全国流通に載せて日本全国の本屋さんに並びます。と。

それはそれは悩んだよ。

でも、最終的には断った。

理由はいくつかある。

ひとつは、その時の担当のおっさんが言った「こんな素晴らしい小説は是非私も書籍化して、全国の方に読んでもらいたいです」と言う言葉。

もうひとつは、費用を取っておいて、その会社から出版すると言う方法。

前者について。実は、この出版社はこの自費出版事業以外にも、自社でも出版している。

もし本当に「全国の方に読んでもらいたい素晴らしい小説」なんだったら、何で自社出版ではなくて、オレが金を出す自費出版だったのか。と思った瞬間、急激に冷めていったんだよ。ただ、金とるために持ち上げてるだけだったのか。その為の賞だったのか。って分かってしまったから。

後者については、この出版の為の費用を出させると言う方法には圧倒的欠陥があった為。

会社がお金を出して出版した場合、その本が売れなければ会社が赤字になってしまう。その為、営業の人は少しでも本が売れるように各書店に話を持っていくし、少しでも売れる場所に本を置いてもらえるように交渉する。

そうじゃない今回のようなケースでは、会社は出版の為のお金を作者からもらってる(それも経費だけではなく、会社の利益を乗せた金額で)わけで、別に売れなくても赤字にはならない。

だから、一応本屋さんに並ぶように最低限の事はやるけど、それ以上は何もしない。売れるように営業をかけるような行為は一切しない。

実際、100万円かけたとしても、作者に入る印税はほとんどの場合数千円らしい。

その事について文句を言ったとしても「売れませんでしたね。今度は売れる話書いてくださいね」と言われて終わり。

詐欺だとは言わない。実際、本になって書店に並ぶんだから。

でもこれは限りなく詐欺に近いと思ってるんだ。

大体、ただの営業なのに「素晴らしい作品で新人賞に受賞しました!ぜひ、書籍化させてください!先生!」と連絡してくること自体がホント悪質甚だしい。

そもそも今の時代、わざわざこんな詐欺まがいの出版社に頼まなくたって、全国の方に作品を読んでもらえる機会は山ほどある。

オレも実際に、この時出版しませんかと言われた小説を、「新都社」に公開してそれこそ全国の方に読んでもらってるわけですよ。

「本屋さんに自分の描いた本が並んだことがある」と言う体験を100万円で買ったと思える人はそれで良いんだよ。ただ、例えば近所の本屋さんに自分の本を並べて貰うだけなら、自費出版して、その本をもって自分で営業すればいい。多分、10分の1くらいの費用でできるだろうて。

あとは、アマゾンとかでの販売も数千円でできる。

そんな時代に、敢えてこの出版会社から自費出版するメリットなんて皆無なんだよね。

どうせ、この会社に頼んだとて、全然売れなくてそのほとんどは作者さんの手元に返本されるんだから。その後の、営業は自分でやらないといけないんだから。

まぁ、今回のこの作者さんが、オレが騙されかけた出版社さんから本を出そうとしてるのかとか知りもしないし、仮に上記の内容を把握した上でそれでも本を出したいと思ってるかもしれない。

別に、その件に対してとやかく言うつもりはない。

ただ、オレはこんな経験をしましたよ。

と言うだけの話。

最後の良心として、会社名だけは伏せておきます。

伏せたところで、同じようなビジネスモデルで、作家になりたい人の夢に寄生してる会社いっぱいあるだろうから、どうでも良いんだろうけどね。

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2023年4月2日 20:00 CAT :

昔から蒲鉾職人はな、腕によって日給なんぼと決まっとるんじゃ、このぼけ

北朝鮮の金正恩に対する絶対に言ってはいけない言葉を盛り込んだ、放送禁止になっている歌がある。

その歌が、問題になる以前に収録されていたCDをたまたま1万円で購入することが出来た。

ただ、そのCDを所持していることが朝鮮労働党にばれた日から、常に誰かに付きまとわれ始める。

せっかく1万円も出して購入したCDをみすみす手放すのは惜しいので無視していたんだけど、とうとうそうもいかなくなった。

朝鮮労働党の幹部から、「命とCDどちらを捨てる?」と聞かれ、しぶしぶCDを手渡した。

その男は、CDにガソリンをかけ、なぜか一緒にハマグリも入れて焼き始めた。

そして最後に「お前も運がなかったな。まぁ、気を落とさずにこれを喰え」と、そのCDと一緒に焼いたハマグリのガソリン焼きをオレにくれた。

ハマグリのガソリン焼きは、ガソリンの臭いだけじゃなく、CDを焼いたための科学的な変な臭いがこびり付いて、とんでもなく臭かった。

オレはその場で、吐瀉物をぶちまけた。

・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と言う、夢を見ました。

書き出してみると、随分変な夢だったんだけど、結構怖い夢だったんだよな。

今日は、「血と骨」を見て、気持ちを落ち着かせることにしましょうか。

この映画でどう気持ちが落ち着くのかはわからないけど。

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2023年4月1日 20:00 CAT :

21デノナルーフルリプイエ

2021年春。

新型感染症のせいで会社が倒産してしまい、収入減を失ったオレは、その日の食事にも事欠くほど金がなかった。

ここは四国の片田舎。

少し町の喧騒から離れたところにぽつんと一軒家を見つけた。

どうやら、自営で会社をやっているようだった。

家には誰もいない。しかも、ドアにカギはかかっていなかった。

流石、田舎独特の不用心だ。

中には会社の事務所のような場所が併設されていた。

その奥に小さな金庫がある。驚くことに金庫にもかぎはかかっていない。不用心にもほどがある。

中には数百万の金が入っていた。

渡りに船とはこのことだ。

急ぎその金をバッグに詰めて家を出ようとしたとき、タイミング悪く家族が戻ってきた。母親と父親、それに子どもが2人もいやがる。

オレの存在に驚いたこの家族は、母親が子どもを避難させ、父親はどこかに電話を始めた。

パニックになったオレは、バッグの中に隠し持っていたバタフライナイフを一心不乱にこの父親を突き刺した。

何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。

動かなくなるまで突き刺した。

電話を見ると「110」と表示されていた。危なかった。だがまだ、通話になっていなかったようだ。

こうなったら仕方がない。

どこかに逃げた母親と子どもも殺すしかない。

すぐに見つけることが出来た。

家の中に隠れていた。こいつらは、頭空っぽなのだろうか。外に逃げ出せば、まだ助かる可能性もあっただろうに。

そのまま、母親と子どもも動かなくなるまで突き刺した。

これで一息つける。

考えてみれば、ここは町から離れたところのぽつんとある一軒家だ。しかも自営と言う事は、どこかに出勤することもないはず。

だとしたら、この家族が今、姿を消したとしても、大事にならない可能性があるかもしれない。

そう思いつくと居ても立っても居られず、オレは取り急ぎその会社の事務所らしい場所を漁ってみた。

社員はいない。家族だけでやっているような零細企業。

しかも、都合のいい事に、仕事は全てオンライン上でのやり取りだけらしい。クライアントは都会にいて合う事はない。

これなら、ばれずにやり通せるかもしれない。光が見えてきた。

PCをつけてみると、こいつはブログどころか、どうも「新都社」とか言う訳の分からない変なサイトに漫画やら小説やらを投稿して、悦に浸っていた変態野郎だった。こんな奴は死んで当然だ。

それよりはオレだ。オレが生きていくことの方が重要だ。

あれから2年。

オレは、「志茂田」と言う人間として生きてきた。

だた昨年中ごろに入ってから、新型感染症も落ち着いてきて、こいつの家族が会いに来るとか言い出した。

何とかごまかしてはいるが、ブログの投稿頻度や、漫画を描いていない事でも怪しまれている。

ペンネームをひらがな変えて路線変更を図っているように見せたりしたがあまり効果はなかった。

漫画を描くとばれるだろうから、小説を書いてみたが、どうも文体が違うような気がする。

今年に入ってからはブログの投稿頻度の事も言われ始めたので、面倒くさいが毎日更新してみた。この志茂田ってやつは、昔は日に何度も更新していたこともあるらしい。どれだけ暇人だったんだ。クソ。

ただ、もうダメだ。

バレるのも時間の問題だ。

最後に、ここに真実を書いてオレは、姿を消すことにしよう。

金庫にはまだ100万ほど残ってる。

この金があれば、少しは生き永らえられるだろう。

明日以降、ブログの更新が滞れば、そう言う事だ。

じゃあな。

短い時間だが、楽しかったよ。

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2023年3月31日 20:14 CAT :

龍が見える話

アメリカでは、今度のコロナ禍とトランプ大統領がやった健康保険の破壊による格差社会の結果、かなり多く人が命を落とした。

んだけど、その結果、人口分布図が少子高齢化の状態から、正常な状態に戻り、社会としての機能を回復しつつあるらしい。と聞いたんだけど、これまぢか?

一応、ソースと言うか、資料(↑)

無慈悲すぎるけど、まさに異次元の少子化対策だよな。

絶対賛同は出来ないけれども。

さてさて。

先日「ぬとらじ」ではちょっとお話ししたんだけど、昨年あたりからチョッとだけ霊能力的なものが目覚めつつある。

なんでそんな事になったかと言う詳細は、あんまり公に残しておかない方が良いような気がするから、割愛しておく。(ラジオの方ではベラベラしゃべったけど)

しばらくしてから、霊とは別で、もうひとつ見えるようになったものがある。

見える。と言う言い方は語弊があるな。

分かるようになったと言った方が正確かも知れない。

龍。

何か、オレにずっと付いてくれていた黒い龍とコンタクトを取れるようになってしまったんだよ。

この話については、どうせ誰も信じてくれないだろうから、ブログで書かなくても良いかなと思ってたんだけど、今の横にいるこの黒い龍「くろべぇ」が書け書けと言うんだよ。自分の存在を、伝えてほしいらしい。

ただ、一つだけはっきり言えることがある。

この「くろべぇ」とコンタクトを取れるようになってから、ビックリするくらい人生の何もかもがうまく回り始めた。

嫁と出会ってから確実にオレの人生は好転し始めたと思ってる。なので、このブログでも度々「あげまん」(揚げたまんこ)については書いてきた。

でも、その比じゃないんだよ。

って言うか、コンタクトとれるんだから、困ってること話したら大体そのことがめっちゃいい形で実現するんだよね。

例えば、引くほど大ダメージを受けた土地売買についても「安全で良い土地が欲しい」って言ったら、それからすぐに色んな人伝えに、まぢでポンポンと何か所かめっちゃ良い所が見つかって、今はその中のひとつを恐ろしくいい条件で交渉している。

例えば、昨年新しく社員さんが入ってきた時「チョッとキャッシュ面が心配で・・・」って言ったら、その日のうちにその新入社員さんにぴったりで、且つある程度長期的に安定した収入になる案件の依頼をいただくことが出来た。

などなど、枚挙に暇がない。

お願い事無制限の神龍がずっと横にいてくれるような感じ。ドラゴンボール集めの冒険してないのに。

嫁に教えてもらったんだけど、この「龍が付く」と言うのは、結構色んな人が体験していて、体験した人は悉く人生が好転しているらしい。

ついでに言えば、この龍をつけてもらうための学校があったり、お金を払えば龍をつけることが出来る龍マスターなる人が居たりもするらしい。

これを商売にすると言うのはどうなんだろうと思いつつ、逆に言えば商売になる位の事なんだろう。

実際、オレが今、それを実体験してる訳だしね。

ただ、オレは「くろべぇ」とはただ仲良ししてるだけで良いので、強欲にあれこれお願いするのは違うと思ってる。

そもそもお願いとかしてないし。

散歩とかしながら「くろべぇ」と話してる中で、勝手にその辺りをくみ取って良い方向に導いてくれている感じ。

あと、別に上記の龍マスターさんに派遣してもらわなくても、結構その辺に野良龍はたくさんいるので、やり方さえ見つけられたら、誰でも仲良くなれると思うんだけどなぁ。

実際オレがそんな感じだったし。

と言う事を、書くと喜んでいるので、それで良しとしよう。

絵に描いてあげても喜ぶので、ちょくちょくイラストにもしてる。

流石にそれはねえだろ。と思うあなた。それが正解。

世の中は、信じた通りになるので、そう思うならそれが正解。

まぁ、そう言う事だ。

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2023年3月30日 20:10 CAT :

夢より疎らな寂しい熱

男がおしっこと精子を同じ穴から出すと言う事は、女もおしっこと子ども産む穴は同じだと思ってる奴がいるなら正直に言っておこう。

それは正解だよ。

だからセックスの時には、女の人のおしっこする穴に勃起したちんちんを入れようね。

さてさて。

先日から、マンガの原稿をちびちび書いております。

「おともだち」以来実に1年ぶりの原稿執筆。

いや、「不動産売買であった怖い話」は描いていたけれども、あれはエッセイ漫画と言いますか・・・本来の原稿書く感じとは全然違ってたんだよね。

具体的に言うと、あの漫画はネームこそ書いてたけど、下書きなし、トーンとかベタもなし。

4コマと同じノリでサクッと書いてた。ホント1話1~2時間くらい。

本来の(と言うか、「G」とか「ランナ」とか)原稿を書いてる時は、1ページ1時間くらいかけて、へっぽこ画力なりに心込めて描いてるんですよ。

で。だ。

1年ぶりに原稿書いてると、違和感がある。

あれ?全然うまく描けねえ。

これはブランクがあったからか?なんでなんだろう?うむむむむ・・・

と、悩み倒しつつ、そのうち描けるようになるかなと描き進めたんだけど一向に描けない。

5ページくらい書いた段階で気が付いた。

下書きしてなかったわ。

そう言えばオレ、まず青色の鉛筆でざっくりとした下書きしてからペン入れしてたんだ。いきなりペン入れしてたから、何かうまく描けなかったんだ。

気が付いたのは良いけど、この下書きなしで描いてしまった5ページはどうしよう。。。

悶々悩んだけど、まぁ、それはそれで良いかと言う事になった。それなりに頑張っては描いたわけで、これ全部捨てるのはさすがにカロリーが高すぎる。

そんなこんなで、今回の新作「BirthDay Kill-RE」は、前半5ページは下書きなしで、いきなりペン入れと言う無謀な感じで描いております。

それでなくても1年ぶりなので、それなりに色々低下しているだろうから、先に言い訳しておく。

ただ、それはそれとして、久々に描くと湯水のようにシーンが浮かんできて止まらない。

ネームと全然違う構図とかばっかりだけど、なかなか良いのが描けてるような気がしております。

惜しむらくは、ずっとお絵描きしてると言う事が出来ない事。

お仕事も大切なので、それはしょうがないけど、あな口惜しや。

画力の著しい低下に恐怖して、手元にあった紙に「おともだち」の時のキャラクターを書きなぐってみたヤツ。

そしたらいつも通り描けたので、ホッとして、原因を探っていった結果、下書きしてなかったことに気が付きました。

老化だけは著しいかも知れない。

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2023年3月29日 20:36 CAT :

マスクが顔パンツならマスクしてる奴は全員パンイチで街を練り歩く露出狂

気が付いたら、記事数25件超えてた。と言う事で、近年では2番目に少なかった2018年の記事数を完全に超えました。はい。

うむ。

まま順調と言う事にしておこうか。

さてさて。

子どもの通ってる小学校から通達(と言うか、メール)が来てた。

4月からマスクはしなくても良いらしい。

ただ、外すか外さないかは生徒に任せるとか。

うむむむ・・・

やっと、コロナが色んな意味で収束に向かってると言う点では非常に喜ばしいんだけど、このマスク外すか外さないかを任せると言うのはどうなんだろう。

顔パンツと揶揄されるように、マスクを外すことに対して抵抗ある人多いらしいね。

オレなんか、やっとこのくそ息苦しい地獄から解放される喜びの方が強くて、すぐにでも外して外出したいんだけども。

先日若いお姉ちゃんがマスクせずに歩いてるのを見て、チョッとドキッとしてしまった。

これまでは別にどうも思ってなかったけど、3年も口隠された生活をしてると、口元が軽い乳首くらいの感覚になってきてるのかもしれない。

そう言えば、平安時代くらいは口も性器のひとつで、女の口見たら男は興奮してたとか言う話を聞いたことがあったな。

平安時代から、皆、口にちんこ突っ込んでたんだね。尺八と言ってたかは知らんけど。

この3年くらい、子どもたちが本当に可哀そうだった。

遠足でも、夏の体育でも汗かきながらマスクをつけてた。

運動会ですらマスク付けてた。

息子なんて、口の周りから首元までひどい肌荒れになってたりもしてる。

クラスのお友達の顔もちゃんと知らないとか。

そんな状態からやっと解放されるんだから、皆マスクなんてやめちまえばいいのに。

でも、多分4月以降もマスクしてる子多いんだろうな。

夏くらいまでには、マスクしない子の方が増えてくれることを切に願っております。

SNSとかで「私、マスク外すとブスなんです~」とか言って、周りの「外してみなよ~」リプからの、外して「全然、かわいいじゃん」待ちしてる女は、顔は別としても心はくそブスだと思います。

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2023年3月28日 20:10 CAT :

オナニー後の夜はいつも以上に頭が回る。もしくは眠くなる

この年になると、さすがにAVも普通に買いますよ。

と言いたいんだけれども、どれ買おうかなぁ~とサイトをうろうろしながら、サンプル動画見てるうちに限界突破してサンプル動画で抜いてしまう。

賢者タイムになった後は、その山盛りになっているタブごとブラウザを閉じてしまう。

あるあるですよね。

福山雅治さんが、ラジオでAVはサンプル動画で十分抜けると豪語してたのを心の支えにしていた20代から変わってないみたい。

福山雅治ラジオを心の支えにしてた男は結構いると信じている。

さてさて。

ここ最近AVの始まりに「内容については出演者に事前に説明し、納得承諾してもらった上で撮影しています」みたいな注意書きが出るようになったことをご存知じだろうか。

「アニメを見る時は明るくしてね!」ってテロップを、絶対子どもが見てない深夜アニメでも流してる愚行に匹敵するくらいアホな事が起き始めている。

知ってる。

そんな事は知ってる。

ソフトオンデマンドで新入社員を先輩社員がレイプしてない事くらい知ってる。

マジックミラー号の出演者がサクラだと言う事くらい知ってる。

でも、ムラムラして「よ~し。オナニーするぞぉ」ってなってる時に、そのテロップを見ると萎えるんだよ。

ムラムラしてる時くらい、夢見させてほしい。

この女の子は本当にレイプされて、泣き叫んでいるんだと思いながらオナニーしたいんです。

無理やり口をこじ開けられてイラマチオさせられてると信じたいんです。あんなに苦しそうでも絶対歯を立てたりしない優しい女の子なんですよ。

あと、上記の探してる間に抜いてしまった話にも通じるんだけど、最近、AVの世界にもコンプライアンスの波が来てる気がする。オレが見たい内容が見つからねえんだよ。と言うか、ねえんだよ。

一昔前にはあった、無茶苦茶する系のAVは一体どこに行ってしまったんだろう・・・

昨年、AV新法なる正気の沙汰とは思えない法律が成立してしまった。

「適正AV」と言う良く分からないものの為に、色々ルールを作ったこの法律の為に、それこそちゃんと「適正AV」を作ってるメーカーさんが被害を被っている。

そして、本当に撲滅すべき悪徳なメーカーは特に問題なく、これまでと同じように営業している。

結果として、ちゃんとしてたメーカーさんの仕事が減った女優さんがこれまでなら出演しなかったようなヤバ目なメーカーにも出演しなければいけなくなり、その為のトラブルが増えているらしい。

もしくは、仕事がなくなって困窮しているらしい。

誰に向けた政策だったのやら。

この法律の立案に当たって中心になった皆大好き民主党の議員さん(あの良く問題起こしてるあの人。敢えて名指しはしないけども。)は、実際の現場に行くでもなく、女優さんやメーカーへの聞き取りも一切しなかったとか。

その結果、出来上がった法律は、こじらせた勘違いフェミニストおばさんがAV業界もろとも潰そうとしているか、途轍もない無知だったかでなければ「そうはならないだろう」って言う内容になっている。

実際に救われた人もいるとは思う。

具体的には、この「適正AV」に引っかかって、強制出演が取りやめになったケースが今のところ1件あったらしい。一人の女性の人生を救う事が出来ただけでも、意味があったのかもしれない。

まぁその間に倒産したスタジオやメーカー、引退した女優さんや、仕事がなくなって路頭に迷う事になったスタッフさんの数の方が圧倒的に多いけどな。

何でも規制すればいいってもんじゃないって。まぢで。

大体オレの場合、AVに頼ってるのは、嫁には出来ないプレイの部分なんだよ。

普通にセックスしてるだけのAV見るくらいなら、嫁を襲いに行くっつ~の。

バッキービジュアルみたいなメーカーはなくなるべきだと思うんだけど、内容についてはコンプライアンスに縛られ過ぎないで貰いたい。と、切に願っております。

無茶なプレイしてるAVと現実の区別がつかなくて犯罪犯す奴より、そういうAV見て発散してた欲が発散できなくなって犯罪に手を染める奴の方が母数で見たら多そうな気がする今日この頃。

AV女優さんとか心の底から尊敬してるし、ついでにお世話にもなってるので、その人たちが不遇になる事だけは何としても避けたい。

あと、悪いこと何もしてないメーカーさんが被害を被るようなことも。

まぁ、一番悪いのはどう考えても、騙して撮影してそれで金を稼ごうと考えてる悪徳メーカー気取りに集団なんだけどね。

なかなか難しい問題ですな。

嫁ニーも結構好きです。

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2023年3月27日 20:10 CAT :

あの頃、ここに来れば夢が見つかると思っていた

娘が先日、学校で書いていた将来の夢の作文で「将来の夢は漫画家になる事」だと書いていた。

お父さんとしては、その道はなかなか茨の道ですぞと言う想いもあるんだけど、その夢が叶うように最大限の応援はしたいと思っております。

取り急ぎ、会社のPCで使ってない奴に、液タブ繋げて、クリスタインストールして、娘がいつでも使えるようにはしてあげようかと。

ただ、デジタルで胡麻化してばかりいてもしょうがないので、そもそもの画力を上げるためにいっぱい絵を描くんだよと言う話はした。オレに言えることはそんな事くらいか。

娘は今10歳。

オレも同じ10歳、小学4年生の頃、2分の1成人として、将来の夢を書くと言う学校の宿題があった事を思い出した。

その時、母親から「将来どんなことしたいの?」と聞かれた時、すでに漫画を描き倒してたオレは「漫画家になりたい」と話した。

母親はその時、「えぇ~・・・」と随分と渋い顔をしてしばらく時間を空けて「もう少しなんかないの?漫画家なんて、仕事じゃないよ」とつぶやいた。

その後しばらく「いかに漫画家と言う虚像のような職業に現実味がなく、目指す価値がないものか」を説明され、「将来の夢」として当時オレが学校で飼育係やってたからと言う事で「ペット屋さん」と書かされた。

漫画家と言う職業がペット屋さんと比べて、はるかに立派で価値がある職業だ、とかそういう話じゃあない。

と言うか、職業の貴賤とか考えるなんて、心底どうかと思ってる。

ただ、この時「ペット屋さん」と書かされたことで、これ以降オレは絶対に自分の夢を人に語るまいと心に誓った。

あと、オレの描く漫画をこの親に見せることはないとも。

実に苦々しい記憶のひとつ。

多分、母親としては漫画を描く事自体は別に良しとしても、将来の職業としては「公務員」とか「サラリーマン」とか「警察官」とかそんな感じの事を期待していたんだろう。

結局、オレは母親の思っていたような職業にはつかなかった。と言うか、つけなかった。

社会からはみ出して、公務員どころかサラリーマンにもなれずに、フリーランスのデザイナーとなり、仕事を一人でこなし切れなくなった結果、今はデザイン会社を立ち上げ、社長さんをやっている。

フリーランスのデザイナーと漫画家を比べるとあんまり大差ないよね。

あの時、将来の夢として「フリーのデザイナー」と言っても「いかにデザイナーと言う職業に現実味がなく、目指す価値のないものか」を懇々と諭されたと思う。

確かに、まだ「ネット?なにそれ?」な、あの時代。

漫画家もデザイナーも虚像でしかなったのかもしれない。

今ならあの当時の母親の言動についても受け入れられるし、気持ちが分からなくもない。

今は本当に良い時代になった。

ネットと言う最強のツールのお陰で、こんなオレが好き勝手に書いた漫画を発表する場所があるんだから。

出版社に持ち込むか、賞に投稿する以外に漫画家になる道がなかったあの時代とは違う。

娘にもぜひ、いっぱいマンガを描いてもらって、ネットで色んな人に見てもらってほしい。

娘に(オレにはなかったけど)漫画家としての才能が有れば、昔よりはるかに漫画家になれる可能性は高いと思う。

歴史に「たられば」はないけれども、オレが小学4年生だった当時、ネットが普及してて「新都社」で漫画が簡単に発表できていれば、オレは何をやっていただろうか。

でも、結局漫画家にはならなかったような気がしてる。

何でか、分からないけど。なんとなく。

イヤ、描いた漫画をマロンでボロクソに酷評されたからとかそんな理由じゃなくて。

そんなこんなで、オレは絶対に子どもの将来の夢について否定しないで全力で応援しようと思ってる。

良いんだよ。それで、人生苦労することになっても。

どうせ、苦労する奴はどうしたって苦労するんだから。

あと、娘が今後描いた漫画をどの媒体で発表していくかは分からないけど、取り合えず、「新都社」は辞めときなってアドバイスするかな。

「メチャコミ」辺りの投稿サイトとか薦めようか。

何しか親子で漫画描いてお互いの作品を読んで色々話しできるようになる日はそう遠くないかもしれない。

全然関係ないけど、液タブ買う前、最後に板タブで書いたイラスト載せて終わりにしよう。

「ひとときの暗がり」のメインイメージですね。

最初に書いたラフ案(↓)

チャンとペン入れして、着色したやつ(↓)

いつもながら、ラフ案の方が雰囲気出てていい感じ。

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2023年3月26日 20:17 CAT :

ばれるぜバンビーナ

先日、取引先の担当者さんから「しもたさん、飯でも行きませんか?」とお誘い受けてご飯食べに行ってきた。

仲良しな担当さんではあるんだけど、一緒にご飯とかあんまり行かないので、どうしたのかなと思ってたんだけど「ちょっと聞いてくださいよ」と言う事だった。

まぁ、そう言うのってよくあるよね。あると思います。

内容としては、最近入った新人が・・・と言う話。

〇自分からは動かない。

〇自分で動けと指示したら「勝手にやって怒られるのが嫌だから指示してください」と。

〇指示しても「それは教えてもらってないから無理です」

〇何で給料上がらないんですか?(入社2か月目)

などなど・・・

ああ・・・大変ですね。

でも、最近の若い子って凄く真面目で一生懸命色んな事に取り組むし、あんまり給料の交渉とかしないような気がしてる。

つい先日までうちの会社に研修に来てた若い子も、めっちゃ一生懸命勉強して、すごい頑張ってたし。

みたいな話をしてたら、「いや、この人中途採用で年齢私より上なんです。・・・55歳なんです」と。

ああ・・・それは尋常じゃなく大変ですね。

なぜそんな人を中途採用で入れたのかとか、そういう理由については、まぁ、会社さんの都合があるから触れるまいと思うけれども。

思うんだけど、確かにこう言う年上いるんだよ。まぢで。

年長者を敬えと言う儒教的な考え方も大切だと思うし、オレもある程度年長者と言う事には尊敬の念は持ってる。

ただ、圧倒的に2パターンに分かれる。

ひとつは、本当にその年まで頑張ってこられた年長者の方。

この場合、多少性格に難があったとしても、話してて色々刺激貰えるし、楽しい。

そもそも経験値が違うので。

もうひとつは「その考え方でどうやってその年まで生き永らえてきたんだ?」と言うおっさん、おばさん。

しかもこういう奴に限って「オレの方が年上だ」とか「オレの方が色んな経験をしてるんだ」とかそう言う事でマウントとってこようとする。「年取ってる」と言う事くらいしか自慢できることがないんだろうけど。

この後者のパターンの人とは極力かかわらないように生きている。

オレとしては、会社で雇う事はまずないし、取引先の担当者さんになった場合でも、生暖かい目で見つつ距離を置いて、少しずつその会社さんとは縁を切るようにしてる。

今回の場合、そう言う訳にもいかない話で、会社が雇って部下に配属されたのがこのおっさんと言う、逃げ道がない最悪のケースですよ。

本当に心底大変ですね。

オレに出来ることは、そのおっさんの愚痴を聞いて差し上げる事くらい。お気の毒様でございます。

オレより一回り上の皆さんって、いわゆるバブルを経験してる人が多い。

それが良い方向に作用してる人もいっぱいいる。

そういう人の経験を聞くのは凄く面白くて勉強になります。はい。

ただもちろん悪い方に作用してる人もいる訳で・・・

そういう人は、バブルの時に何の能力もないくせに何の努力もしないまま人材不足だったために優遇されてしまい、「自分は特別だから社会から優遇された」と言う成功体験をしてしまった結果、その唯一の成功体験だけを胸にこの令和日本でまだ「自分が特別」だと思い込んでるから、本当に性が悪い。

50過ぎて、「教えてくれない」とか「怒られるから自分から動かない」とか、平気で年下に対して言ってしまうとか、そう考えないとオレの頭では許容できない。

まぁある意味、時代の犠牲者と言えなくもないけど。それを言ってしまえば、オレ含む「キレる世代」も、「ゆとり世代」も「Z世代」も全部時代の犠牲者だっつ~の。

会社で求人出すときに、ハローワークの人に「もしできるようでしたら、年齢制限は付けないで出してもらえますか」って言われた。

別に、若い子が欲しいと言う訳でもなかったから、実際オレは年齢制限設けないで求人出したけど、考えてみれば、そうすると40~50代の(↑)みたいな人が来る可能性って高まるのかな。

だから、他の社長さんは「35歳まで」とか年齢制限を出すのか。と、改めてお勉強になりましたよ。

オレも、あと10年か20年して、50代のおっさんは世紀末を体験してるから、ネガティブで質が悪い。と、令和生まれの子に愚痴られないように、頑張って生きていきます。

世紀末と言う事で、聖飢魔Ⅱの「end of the century」でも張り付けて今日は終わり。

ゲロ吐くほどかっこいい。

これがダミアン浜田殿下でございます。

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2023年3月25日 20:00 CAT :

これで悪魔も健康体 寿命が延びるぜ10万歳

趣味を仕事にしてはいけない。と、いつからか思い始めた。

それこそ学生時代には、音楽で食べられたらとか、漫画家になれたらとか、小説家ってどうだろうとか、思ってたよ。

そう言うのワナビって言うらしいね。やかましいわ。人の人生にあれこれ言ってんじゃねえよ。

まぁ、そんなワナビ野郎と、実際にそれをお仕事に出来た人の違いって、やっぱり圧倒的才能の差だと思う。

熱量では、そうそう負けてないと信じてる。

オレだって、だてに30年以上も漫画描き続けてない。

この段階になってくると、もうそれはそれは努力でどうにかならない圧倒的な壁が感じられるんだよ。

やりたい事と需要を一致させることが出来ると言う能力が致命的に足りない。

あと、根本的な才能が完全に欠如してる。

こんな状態で、それでも前述のワナビよろしく無理やり漫画家を夢だと言い始めると、多分そいつは、先日書いてた「漫画を描くのが好きだから描いてるんだ」と事あるごとに呟く漫画家さん。になってしまうような気がしている。

めっちゃ子どもの頃を思い返してみる。

何でマンガを書き始めたのか。

書きたいものがあって、どうしようもなかったから書いてたんだと思う。

大人になるにつれて、自分でお金を稼いで生活していかなければいけないと言う現実的な話が見えてきて、その結果、その二つをくっつけてみようと言う安易な考えは誰もがやる事だって。

でも無理だった。

それで良いじゃないか。

やりたいことを捻じ曲げて、疑問符を持ちながら叶わない夢を追い続ける。いつからか物凄く息苦しくなって、「漫画描くのってたのしいなぁ」と聞かれてもないのにSNSとかで連呼し始める。

だったら、もう無理で良いじゃないか。

お金を稼いで生活をする。と言う、実はとんでもなく大変な現実的な問題だけは絶対に避けることはできない訳で、その問題をまず対処しつつ、残った時間とお金でやりたい事をやる。

そう思ってから、随分と人生が楽になった。

気が付いたら、家族が増えて、子どもが出来て、今なんて会社やってて、社員さんの人生まで肩にのしかかってる。

それなのになぜか責任に押しつぶされそうな感じは今のところない。

漫画家に、ミュージシャンに、小説家になれないかと足掻いてたあの頃の方が、何にも背負ってなかったのに、よっぽど息苦しかったし、人生が暗かった。

負け犬の遠吠えと思ってくれても良い。

オレの事をたいして知らない誰かにどう見られているかとかも、この年になるとどうでもよくなるもんなんだよ。

少なくともオレの事をよく知ってくれてる嫁とか子どもがニコニコしながら、いつも一緒にてくれてるんだから。

今週色々遊びすぎてお仕事が滞り気味なので、今日のところはこんな感じさようならしてお仕事頑張ります。

お仕事くれている感謝しかないクライアントさんを多大にお待たせしているので!

おっちゃんはまだまだ頑張るぜええええええええええええええ

 

 

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2023年3月24日 20:00 CAT :

闇夜が妖しくお前を隠す

先日、実に1年ぶりくらいに「ぬとらじ」なるネットラジオで色々お話しさせてもらってきた。

お誘いいただいた甘納豆先生。ありがとうございました。

うだうだ管をまくおっさんと言う、この世で最も醜悪な存在のひとつに対して、いろいろお気遣いいただいてしまった感があって非常に申し訳なくも思いつつ・・・まぁ、そりゃあそうだよな。あんなの楽しいに決まってるよなという思いもありつつ。

複雑な気持ちだよ。あたしは。

でも、まぢでもっと色々お話ししたい欲求は滾ってしまった。

下手したら、一人でもずっと話しちまえるぞ。これ。

とりあえず、今回のラジオでの話も含めて、今年一年でやっていきたい創作活動をおまとめだけしておこう。

忘れないうちにね!(今年3度目)

 

 

〇短編漫画「birthday Kill-RE」を書く
〇短編漫画「出来すぎた準備」を書く
〇短編漫画「瓶詰の幼女」を書く
〇ブログの毎日更新を続ける
〇4コマ「極ニュースチョクホー」を週1更新する
〇新作小説「ひとときの暗がり」を週1更新する
〇「風を切る日々」の連載を再開させる
〇「マイ・チャイルド・レーベンスボルン」ってゲームをやる
〇新都社漫画の中で気に入った作品に対して、FA+感想書く企画をスタートさせる
〇過去に制作した楽曲を公開してく「場末の紙芝居」をスタートさせる
〇過去に上演した演劇の台本を更新していく(多分、マンガ置き場の方で)
〇「不動産売買であった怖い話 第2部」を再開させる(裁判終わったら)
〇ちょくちょくぬとらじやりたい
〇キャンディキャンディの単行本を買いたい

 

 

こんな感じかな。

何か書くたびに増えていってる気がするが、まぁ、それはそれとして置いておこう。

これ全部やったら、今年は近年で最もクリエイティブな一年になる気がするな。

というか、すでにブログの更新という形でのアウトプットは近年で一番なんだけども。

やりたいことが多すぎてどうするんだろう。これ。

人生なんて、死ぬまでの暇つぶしだという人がいるけど、これだけやりたい事あったら当分は暇にならないですよ。

年末に、どれだけ出来たか答え合わせするする時が見もの。

口だけ男から口裂け男にランクアップしたい話

という記事も書いたしね。

とりあえず、水着の女でも載せてお茶を濁して、スマッシュでさようなら。

 

 

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2023年3月23日 20:34 CAT :

独りでいたから巡り合えたね

会社設立と結婚10年を機に、左耳にピアスをあけたのは、2020年の事。

元々ピアスを開けると言う行為にには、以下のような意味があるらしい。

「あなたのことをお守りします」という理由でピアスを左側につける男性に対して、左側にいる女性は「その愛をお受します」という意味で右耳に贈られたピアスつけたということから、女性の右耳へのピアスは「優しさ、守られる人」を意味するとされています。

その時のドキドキについては、過去に4コマで書いた(↓)


で、実は男の場合、左耳に偶数個のピアスをつけるのが良いらしく、この時は試しに一つあけてみて、良い感じならもう一つあけようと言う事にしてた。

あれから約3年。

ついに、もう一つのピアスを開ける時が来た!

上記の4コマの通り思ってたより痛くなかったので、今回は病院じゃなくて自分で開けても良いかなと思い取り急ぎピアッサーを買ってきた。

何となく目について買ってみたピアッサー(↓)。

良く知らずに買ったんだけど、これは、自分の力でピアスを開けると言うタイプの奴だったらしい。

オレはてっきり、ピアッサーってバネとかの力で発射されるものばかりだと思ったたんだけど、自分の力で開ける奴もあったとは・・・

冷静に考えてほしい。

自分の耳に穴をあけるのに、自分の力で「おらあああああああああああ!」ってやるのって、結構勇気いりませんか?

頑張った。

頑張ってみたよ。

でも、出来なかった・・・

もうね。ヘタレとなじられてもしょうがないけど、出来ないものは出来なかった。

もう一度、バネ発射式の奴を買って、自分で挑戦すると言う選択肢もなくはないんだけど、完全に心が折れてしまった。

今度、前の空けてもらった同じ病院行ってあけてもらってきます。

会社が3期に入って、事務所の建設が終わる位のタイミングかなぁ。

あのピアッサーで自分で開けることできた人は、凄いと思う。

勇者です。

おっぱい。

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2023年3月22日 18:00 CAT :

ひとときの暗がり

ここ最近のパイパンブームはどうなんだろう。

陰毛生えてる派と言うわけではないんだけど、基本生えてるから、たまにいるパイパンに興奮するわけで、全員パイパンになると逆に、生えてる方が興奮するような気がする。

「かわいい顔して、剛毛もじゃもじゃじゃねえか」とか言って恥ずかしがらせたいわけですよ。

あと、AVはどうせモザイクかかってるんだらか、パイパンだと楽しくないよね。毛も見えなければ、それはもう何にも見えないって事だから。

さてさて。

ブログ毎日投稿するために、チョッとだけストックをためていたりする。

その日の記事をその日書いてたら、忙しくなったタイミングで飛んでしまうかもしれないので、と言う予防策なんだけど、そのせいで、若干のタイムラグが出来てしまうのは、まぁ、仕方ない事。気にしても詮無いので、そもまま突き進みますです。

昨年1年かけてちびちびと書いていた新作小説「ひとときの暗がり」の連載を始めた。

「極ニュースチョクホー」を除けば、今年最初の創作物。

厳密には昨年書いてたものだと言う事と、そもそもが15年以上前に書いてた「超ニュースチョクホー」のリメイクだと言う事から、色々今年最初の創作物と言うのはおこがましい感じだけど・・・本当の意味で今年最初の創作物は、今原稿執筆中の「BirthDay Kill-RE」ですよね。

一応リンク張っておきます。

こちらですね。

読んでもらってる人いたらありがたい限りでございます。

まぁ、この話自体は、自伝と言ってしまえばそれまでなんだけど、自分の高校時代のお話をツラツラと書いてるだけ。

そもそもこの話を書き始めたきっかけは、オーケンこと大槻ケンヂの代表的小説「グミ・チョコレート・パイン」ですよね。

これを初めて読んだときは、まだパイン編が刊行される前だったんだけど、あまりにも面白くて、嫁に興奮してこの小説の話とあと、自分の高校時代の話をした。

そしたら嫁に「バンド活動に演劇も入ってて、そのグミ・チョコレート・パインより面白くない?」と言われたんだよ。

今考えれば、まぁ、遠い芸能人の半自伝と比べてどうなんだと言う話ではあるんだけど、それを聞いて有頂天になった当時のオレは「じゃあ、オレ版のグミチョコを書いてやるぜ!」と相成った訳であります。

リメイク前の「超ニュースチョクホー」がそれに当たる。

当時、スターウォーズが1からではなく4から作られていると言う事に憧れていて、物語を順当に書くのはダサいと言う良く分からないとがり方をしてたため「超ニュースチョクホー」は高校2年生の前半を最初に書き、高校1年生の前半を書いて、高校3年生の前半を書いて、高校1年生の後半の2話くらいを書いたところで力尽きた。

何でこの順番かと言うと、どう考えても一番の山場が高校2年生の前半に偏ってたからから。

でも、今回リメイクするにあたって、もう当時のようなとがり方をしていないので、ちゃんと順番に高校1年生から書いていきましょうね。と思ってる。

あと、一番面白いのは高校2年の前半だろうと思ってたけど、今のオレの感覚では、祭りの後の哀愁の方がよっぽど書きたくてうずうずしている。高校3年生の後半のあるイベントだ。

完全にここに焦点を当てて、今回物語を書いてる。だから、タイトルも「ひとときの暗がり」に改めた。

このタイトル自体も先日の話同様に、既に制作済みの曲のタイトルなんだけど、やっとこのタイトルをつけるに値する物語になるようなきがムンムンしております。

もう一つ、序章の部分で書いたんだけど、今回この物語を書いた理由のひとつに「とあるビデオテープ」の所在を知りたいと言う事もあったりする。

これに関してはほぼ100%諦めているけど、万が一この小説を書いてアップすることで、その詳細が少しでも分かれば、もうそれだけで満足でございます。

マンガで書こうかとも一瞬思ったんだけど、自分の話をどの面下げて絵に描けるのかと言う事もあって、今回小説にすることにした。こっ恥ずかしくて、マンガになんかできるもんじゃねえよ。

そんな羞恥の気持ちを込めて、1話目の扉絵はこんな感じにしましたよ。

これ最近お気に入りでよく使ってるエロ画像の構図を パクる 参考に書かせていただきました。

この画像ね。

と言う事で、出来るだけ週1話更新を心掛けていくので、何卒、平に平によろしくお願いいたします!

はい。

最後にもう一回だけ。

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2023年3月21日 20:06 CAT :

色褪せた現実は虚しいもの 輝く時代はとうに過ぎてしまった

1月の末頃だったかな・・・オレが漫画を投稿してる「まんがおきば」の管理人のきつねこさんからDMが届いたのは。

「まんがおきば賞にしもたさんの作品ノミネートされてまして・・・」的な感じだったと思う。

ただただビックリしたのと、あとめっちゃ嬉しくて嬉しくて。

子どもの頃から「オレは誰かに認められたくて漫画描いてるんじゃねえよ」と思ってたけど、それはそれとして、やっぱり誰かに認めてもらうと言う事はこんなにも嬉しいものかと心底思い知らされた。

今回、賞をもらえたのは、昨年(2022年)1月に描いた「2人マイナス14年」と言うタイトルのマンガ

こちらのお話ですね。

今回選んでいただき、且つめっちゃありがたい総評頂いた八重先生、改めてありがとうございました。

どうでも良いけど、「ごぶ」の続き、未だにしつこく期待して待ってますので。

で、だ。

実は、この話3部作の最初の物語で、この後「今宵ただいまはゼロになる」と「約束の場所で」と言う2つの物語を用意してた。

用意してたと言うか、実際にネームもできてて、全部で60ページくらいになる予定だった。

(↑)一応そのネーム。

ただ、この短編を描いたあと確か「ぬとらじ」でお話ししてた時に何か「あ、この先の2編はいらねえな」と思ってしまい、結局続きの原稿は描かないまま、別の短編とかあと、不動産の話の連載を始めてしまった。

今回受賞させてもらったのに合わせて、この2つの話を原稿にしないまでも、写植だけしてネームで公開しようかなとも思ったけど、それもやめた。この2編についてはもう表に出すことはないや。

この2編の詳細については、その時の「ぬとらじ」で大筋のお話は全部したような気もするけど、内容についても今後は表には出さなくていいかなと。闇に葬ってしまおう。そうしましょう。

そんなこんなで、また近い内に「ぬとらじ」やります。

何話そうかなぁ~とか、ぼんやり考えたりはしてるんだけど、そもそも昨年後半は新都社から離れてしまってたんだよな。

チョッと予習でもしておこうかな。

丁度ここ最近、色んなマンガを読みたくてうずうずしてたし。

後、少しずつだけど漫画の原稿も描き進めております。

久々に4コマ以外のマンガを描いてるので、やっぱり楽しくてしょうがねえや。

昨年はお仕事で結構な数のイラストを描いたりはしたけど、やっぱりオレはイラストレーターではない。漫画家だったわ。

昔、敬愛する手塚治虫大先生が「どうすれば漫画家になれますか?」と言う質問に対して、こう答えていた。

「自分の名刺を作るんですよ。で、そこに漫画家と書いた瞬間から漫画家です。あとは、今はチョッと載せてくれる雑誌ないんですけどね。と言えばいいんです」とな。

あたくし漫画家でした。

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2023年3月20日 20:34 CAT :

ツンドラの 色がキレイを イワン言い

ここ最近読んだマンガで、心をえぐられたのは、山野一先生の「四丁目の夕日」、ふみふみこ先生の「愛と呪い」、そして、まだ読んだことなかったのかよと言われそうだけど丸尾先生の「少女椿」の3作品。

一つ一つについて、長々と書き連ねようかとも思ったんだけど、今のところは、読書感想文を書かなくても、書きたい事がたくさんあるので、止めておく。

感想文書き出したら、「そろそろネタ切れか」と思ってください。

さてさて。

とか言いながらも、その中のひとつ「愛と呪い」について少しだけ。

この作品、一応ノンフィクションと言う位置づけで、実際に起こった事件と自分の人生をリンクさせて物語が展開していく。

何より、このふみふみこ先生、同世代なんだよね。

だから、マンガの中で実際の事件が起こったタイミングとそれを受け止める年齢がほぼほぼ同じだったもので、ただ心をえぐられる漫画とはまた違った、自分の過去を顧みるような不思議な気持ちになる作品だった。

アラフォーの皆さんは是非読んでみてほしい。

ただ、これ世間で言われてるほど鬱漫画ではないと思う。

人一人が人生を歩むと言う事はそう言う事なんだよ。

それを鬱漫画とか、鬼畜漫画とか表現するのはどうなんだろう。と。もし、著者のふみふみこ先生がそれを良しとして受け取るのなら、やはり作中の「田中」が言う通り「自分が特別な人間だと思いたいだけの人」なんだろう。

同世代の人って、結構多感な時期に色々な事件を見てきてると思う。

物心つくかどうかの頃に、宮崎勤の事件が起こり、小学生くらいの頃に阪神大震災とオウム真理教の事件を経験して、中学生くらいの頃に同年代が起こした酒鬼薔薇事件を経験したんだよ。

90年代後半の世紀末に向かっていく閉塞感は何だったんだろう。

どう考えても、今の世界の方がやばい事が起きまくってるのに、記憶の中にある95年~99年くらいの方が生きていくことが息苦しくてしょうがなかった。

「酒鬼薔薇事件」が起こった当時、超中二病の権化、酒鬼薔薇こと林君が信仰していたバモイドオキ神なる架空の神様が如何にして生まれたのかをワイドショーはこぞって取り上げた。

林君が愛読していたマンガがテレビで取り上げられて、「こういう漫画を読んでいたことが、バモイドオキ神につながっていった」と言う論調をするワイドショーがあったように記憶している。

その時テレビに映し出された漫画は「バスタード」「寄生獣」「ドラゴンヘッド」「ディスコミュニケーション」「地雷震」辺り。

今思えば、宮崎勤の頃からマスコミが良くやる手法だったとしか思えないんだけど、当時はまだ、そういう目線があまりなく、テレビでは真実が報道されていると思われていた。

そして、オレはその辺のマンガを全部愛読してたんだよ。

オレも、あの当時言われていた「キレる子ども」予備軍の一人だったわけで、それからしばらくの間、オレの読むマンガは母親の検閲が時々入るようになった。それで人格が歪んでしまったとは思わないけれども、まさに中二病真っ盛りの時期だったわけで、この体験はやっぱり今でもチョッと尾を引いてる感じがある。

結局、あの当時、多感な思春期起こったいくつかの事件は、結局多少なりとも同世代ほぼ全員に何らかの暗い影を落としているんだろう。

そんなことを思いながら、「愛と呪い」を読んでいました。

もっと色んなマンガを読みたいな・・・誰の検閲もなしで。

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2023年3月19日 20:00 CAT :

踊らないダメ人間と踊るダメ人間と代わりの男

以前、チョッとだけ話したことのある「働きアリの法則」と言うお話。(詳しくはこちらを読んでくださいな。

発達障害を持つ者にとって奮い立つことのできるお話しかも知れない。

まぁ、それはそれとして、ふと思い立った。

2割の怠け者が絶対に存在する。

その2割の怠け者を覗くと、残りの集団の中から2割は怠け者になる。

面白いのは、2割の怠け者たちをまとめて集団にすると、その中の8割は働きだし、2割は怠けると言う事。

これをひたすら繰り返し続けると、究極の怠け者と究極の働き者が誕生するんじゃないだろうか。

そして、その究極の怠け者と究極の働き者を一緒にすると、とんでもないことが起きるような気がする。

何となく、20年前なら「トリビアの種」に応募したいような話ではある。

どんなことが起こるかはよく分からないけど、何か一つの物語になりそうな気がしないでもない。

どうせなら、宇宙の存続さえかかるような重大な局面と絡めてみたい。

実にいいお話になると思うんだけどなぁ。

まぁ、今は目先の描きたいお話で手一杯なので、これはこれとしてストックしておきましょうね。

アリコさん。

意外とつぶらな瞳してる。

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2023年3月18日 20:00 CAT :

自殺の唄

子どもの頃から、頭の中では際限なくどす黒い世界が広がり続けていた。

一番古い記憶では、それを当時持っていたぬいぐるみと指人形を使ったお人形遊びと言う形で表現していた。

ぬいぐるみを紐で縛り付けて解体し、それを指人形たちが腑分けして食べると言う遊び。

それを見た母親から「ゲームばっかりやってるから、そう言う事を考えるようになるんだ」とか良く分からない理由で、ゲームをやることをしばらく禁止された。

別にゲームやってたとかは全然関係なくて、思いついたことをただやってただけだった。

その頃から、表に出さないで表現する方法を模索するようになって、結果的にその方法として選んだのは、一番お手軽で続けられたのが漫画を描くと言う事だった。

それ以上でもそれ以下でもない。

頭の中で際限なく広がる世界を掬い取っては、マンガを描いていく。

誰にも魅せることなく、数万ページのマンガが出来上がった。

マンガにならなかった妄想は、音楽の形にした。結局、制作した音源は数百曲になった。

それでも余った妄想は小説にしたり、演劇の台本にしたりした。

今も、続いている。

マンガを描く時間が取れなくなったとしても、頭の中には相変わらずどす黒い世界が広がり続けている。

今年になって、改めてそれを出していけるようにしたいなと思った。

その為にまず、文章を書いてみよう。と。

そうしたら、溜まりに溜まっていたイメージとか妄想とか考えとかが、まぢでいくらでも溢れ出てくるようになった。

10代とか20代の頃は凄い発想がいっぱい出てたけど、年取ったら枯渇するもんだと勝手に思ってた。

実際はそうじゃなかったらしい。

ただ、スイッチを入れてなかっただけだったらしい。

クオリティは分からない。

けど、今は描きたいものがビックリするほどたくさんある。

死ぬまで暇はしなさそう。

いつ死ぬかは神のみぞ知る。

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2023年3月17日 20:12 CAT :

赤黒い血を流す少女の顔は老婆の様に変り果てる

昨日(と言うか、もう今日か…)チョッと急ぎ目納期のお仕事が入ったので、徹夜して仕上げたりした。

若いころは「2徹するとさすがにきついな」とか言ってたけど、今はもう完徹すると、あと後に支障が出てしまうようなお年頃になってしまった。

昔、ルパン3世のバイバイリバティーって作品で、ルースターが呟いた「年は取りたくねえもんだな」と言うセリフをなぜか今嚙み締めております。

さてさて。

「美魔女」と言う謎の言葉が存在している。

あと、「大人女子」と言う謎の言葉も存在している。

大人なのに女子とはこれ如何に?とは思うんだけど、まぁ、「女子」と言う言葉は「女の子ども」ではなく「女性」と言う意味もあるんだろう。知らんけど。

年の取り方について、色々と考えたりする。

先日、友達社員さんとお話ししてる時に、「The Birthdayの新曲(映画スラムダンクとタイアップしてたやつ)のPVドチャクソカッコいいな。でも、チバユウスケってもうあんな老ける年だったっけ?」と聞いたら「チバユウスケは渋く見せるためにわざとやってるらしいよ」と教えてくれた。

そのMVはちなみにこれ(↓)

イヤ、掛け値なしにかっこいいですよね。

何かここ最近、「若く見られる」事が良いような風潮があったりする。

個人的には、「若く見られる」と言うのは「経験が浅い」とか「頼りない」とかそう言うチョッと蔑んだニュアンスだと思ってる。

仕事の打ち合わせとか言った時に「お若いですね~」と言われると、それは「こんな頼りない若造で大丈夫なのか?」と言うニュアンスが多少はあるんだろうなと。

以前、船井総研と言うコンサル会社のおっちゃんと話したことあるんだけど、その人は「若く見られないようにするのに努力してるんですよ」と言ってた。そして、おっちゃんだと思ってたけど、オレより年下だった。

まぁ、男の感覚ではまま若い方が良いと思ってる人も意外と少ないのかも知れない。

無駄に老け込むのはどうかと思うけど、良い年の取り方をしたいなと思ってるんだよ。

ただ、昔から良く分からなかったのは「20代に見える50代」と言う表現。冒頭で言ってた「美魔女」と呼ばれる(もしくは呼ばれたい)人達についてなんだよね。

「若く見られたい」のはなぜなんだろう。

オレみたいな萎れかけのおっさんからしたら、良い年の取り方したナイスミドルな40~50代の女性はすごく魅力的に見える反面、10代とか20代とかはもう子ども的な可愛さすら感じる訳で、年上なのに見た目は子どもみたいな女に興味なんてない。

では、10~20代の男から見れば、それはもう10~20代の女が良い訳で、見た目20代だけど実は自分のお母さんより年上かもしれない女に興味はないと思う。

と言うと、「自分の為に頑張ってるんだから、とやかく言うな」と言われるんだろうけど、本当に自分のためにやっているのなら、その価値観を人に推し付けないでほしい。

「若く見える」と言う事に対して、少なくともオレは1ミクロンも魅力を感じていないんだよ。

美しい女性はたくさんいるし、尊敬すべき女性はたくさんいる。

もちろんその中には、年齢より遥かに若く見えるような女性もいる。ただ、少なくともその人たちは「若く見える」と言う事にアイデンティティは置いていないんだよ。

素敵な年の取り方をしている人は、本当に輝いて見える。

そして、その輝きと魅力は10~20代にはどうひっくり返っても出せるもんじゃあない。

そんな事がこの年になってオレも分かってきた。

男とか女とか関係なく、最も人間的に魅力があるのは40代以上なんだよ。

ただそれは、「若く見える」事とは何の関係もない。50代になって「20代に見える」と言う事にしかアイデンティティを持てない奴がいたとしたら、そんな奴には輝きなんてないと思うんだ。

荒木飛呂彦先生が、クリエイターとしてのキャリアを含めた超魅力的な年の取り方をしてなくて、ただ、石仮面を被ったから年を取らないと言う事だけをアイデンティティにしてたら、どうだろうかって話ですよ。

「どうせ男は若い女が良いんでしょ」と言うのは、「子どもが欲しい男」に限る話だと言う事も忘れないでほしい。

それ以外のほぼ全ての男にとっては、若い事より魅力的な事の方が重要だと言う事。

そしてその意味だった場合、「若く見える」と言う事に意味はないと言う事も。

流石に、ルネサンス期から年を取ってないのは、サンジェルマン伯爵もびっくりだと思うけれども。

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2023年3月16日 20:30 CAT :

所詮はいたずら 神様の人生ゲームなんだもの簡単にゴールしちゃってもおもしろくない

マンデラ効果と言うものをご存じだろうか。

自分が絶対間違いないと思っている記憶が現実と剥離している現象の事を指す言葉で、何で「マンデラ効果」と言うのかと言う話は、めんどくさいから割愛するけど、まぁ、そんな話がある。

これを見てもらいたい。

どう考えても、ピカチュウのしっぽは黒かったよ。と言う奴は、マンデラ効果を実体験できると思う。

他にも、オーストラリアの位置とか、ミッキーマウスがサスペンダーしてたとか、現実と違う記憶を持ってる場合にはこのマンデラ効果に当てはまる。・・・らしい。

つい最近もあった。

「北欧暮らしの雑貨店」と言うオレが前から気になっているネットショップがあるんだけど、先日、そのお店の話を嫁がしてた。

で、「あぁ、あのお店はオレも良くチェックしてるわ。北欧暮らしの雑貨店でしょ」と言うと、嫁が「道具店ね」と。

????????????????

何を言ってんだよ。

と思ってネットで調べたら「北欧暮らしの道具店」だった。

いやいやいやいや・・・そんな訳ねぇだろ。じゃあ、オレがこれまで見てたのは、別の店だったのか?と思って調べたけど、「北欧暮らしの雑貨店」なんてお店は存在しなかった。

ただの読み間違いとか記憶違いじゃあない。

だってオレは「北欧暮らしの雑貨店」って名前で検索してたし、その名前で、他の人とも話してた。

マンデラ効果ですよ。これは間違いなく。

まぁ、この話はこれで終わりなんだけど、問題はそんな単純ではない。

むしろ、ここから問題提起したいんだけど、ではなぜこのマンデラ効果が起こるのか。

これを単なる記憶違いと思いこみのせいにするのはあまりにも浅はかな行為だと思ってる。

記憶違いじゃないとした場合はどうだろうか。

つまりは、間違ってるの現実の方。いや、正確に言うなら、現実が記憶と違う世界だと。

多次元宇宙論は、今や常識となりつつある。この話もし始めるとそれはそれは長い話になるんだけれども、めっちゃ簡単に言えば、今自分が存在している空間のすぐ横に、チョッとだけ違うパラレルワールドが存在している。しかも、そのパラレルワールドはちょっとずつ違う現実の中で無数に存在している。と言う話。

チョッとだけ違うんだよ。

例えば、「北欧暮らしの雑貨店」の名前が「北欧暮らしの道具店」になる位。

オレは昔サラリーマンしてた頃から、ベンチマークして調べてた「北欧暮らしの雑貨店」の名前を記憶違いし、あまつさえ当時いた同じ職場の人全員が名前を間違って読んでいたなんてことはありえないと思ってる。

まだ、めっちゃ近くにあったパラレルワールドに移動してしまったと言う話の方が可能性あるんじゃないか。

しかも、ちょっと怖い話だけど、多分これってかなり頻繁に起こってる減少なんだと思うんだ。

ただ、ホントにちょっとした違いしかないから、ほとんどの人が気が付いてないだけで、たまたま気が付いた人が「マンデラ効果」とその現象に名前を付けて、納得しようとしたとかね。

不思議な現象が起こった時、その現象に名前を付けるとなぜか人間は安心するらしい。その現象の原因が分からないのに、名前があるだけで「じゃあしょうがないか」となる。

この世界にはいくつかのバグが存在していて、そのバグ事態を是正する事が困難なため、名前を付けることで安心すると言う性能を人間に付与することで、バグが起こった場合の回避策にしているんだ。きっとそうだ。知らんけど。

とか、まぁ、そんなことを悶々と妄想しつつ、「北欧暮らしの雑貨店」だよなぁ~と今日も悶々しております。

もしかしたら、明日には「北欧暮らしの日用品店」なっている世界にまた移動しているかもしれない。

この話、じゃあ移動する前にこの世界にいたオレはどうなるんだとか、移動する前の世界にいたオレはどうなるんだとか、まだまだ話を膨らませることはできるんだけど、今日のところはこの辺で。

事実は小説より奇なり。

マンガに描くネタより、現実で起こってる事の方がよっぽどマンガっぽいと言う事を知る人はどのくらいいるんだろうね。

宇宙は広い。

世界は広い。

次元は広い。

見識も広くしたいものですよ。

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