- 2023年5月17日 12:19 CAT :
-
いまのすべては過去のすべて 必ずまた会える懐かしい場所で
先日と言っても、もう2ヶ月くらい前になるか…
「ヒステリックブルー」愛を語りつつ、人格と作品を結びつけんじゃねぇ!ダボがぁああああ!と言う記事を書いた。
一応、その話がこちら
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
【退屈でギターを手にしたあの日から変わってしまったBaby Blue】
その中で、「ピカソなんて性格最悪だし、女の扱いがめちゃくちゃ悪いけど、ゲルニカの価値は下がらねえよ」とか、そんな事を書いたんだけど・・・
こんな話を見つけてしまった・・・
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
【ピカソの絵画の“市場価値”が下落しはじめている 没後50年で注目されるはずが…】
これ、有料記事だった・・・ごめんなさい。
ざっくり要約すると、「人として終わってるピカソの描いた絵画のオークションとかでの売買価格がどんどん下落している」と言う話ですよ。
ゲルニカの価値が下がっておる!!
ネタにしてから、ネタじゃなくなるまで早かったなぁ~
そして、ついに来るとこまで来た感があるよ。これ!
現代の価値観を過去を生きた人間に当てはめて、その人間性を評価するようになってしまう。
これは価値観の押し付けの究極系だと思うんだよな。
いやまぁ。ピカソの性格は永久不変的にゴミだと思うんだけど、それにしてもだ。それが現代における価値に反映され始めると言うにはどうなんだろう。
このままいけば、信長の書簡を織田信長と言う人はいっぱい人を殺したので価値はありません。とか言い出したり、酒乱で性格悪かった中原中也には汚れちまった悲しみなんか無いです。とか言ったりする日が来るんだろうか。
人となりについて、その時代の価値観で「こんなひどい人だったんですよ」って言いだすことは、まぁしょうがないかなと思うんだけど、それまで評価されてきた作品の価値を貶める必要はないだろうて。
ピカソの絵には、女に対する雑な扱いがありありと表現されていると言うのであれば、評価されてきたこれまでは、女に対する雑な扱い自体も評価されてきたと言う事になると思う。
人類の歴史は、過去の反省に基づくべきであり、そのために人類の過去の歴史を学ぶと言う事は大切な事。
大切な事なんだけど、作品に対する評価について考えるのであれば、そこには、作品に対する評価以外のものを入れないでほしいなぁ。と。
人として最低な人は、どんな素晴らしい絵を描いても最低な評価しか得られないなんて、嫌な時代だと思う。
あくまでも、オレは。
オレ自身が最低な人間なんだもん。でも、作品とか評価してほしいんだもん。
- この記事を見てみる ⇒