- 2018年8月14日 2:25 CAT :
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さらば、生かねばならぬ
先月の終わりころに、弟と口論になった。
結婚前、実家にいたころはそれこそ週に1回くらいは口論してた。
なのに、久々だった為か、お互いに耐性がなくなってしまってたのか、オレは言い過ぎてしまったし、弟は凹み過ぎてしまったような変な感じでぶつ切りに終了した。
多分、環境的な要因とか、疲れとか、単純な寝不足とか・・・色々原因はあったんだと思うんだけども、それにしても、「こんな感じで終わるのか~」と意外に思ったものまた事実。
まぁ、それは良いんだ。
もう終わった事だしな。
人にはそれぞれ考え方と言うものがある。オレだって30歳過ぎてさすがに今更、自分の考えを押し付けて、相手を泣かすようなことはしないです。
ただ、その内容について少しだけ・・・別に、このブログを弟が見てる訳じゃあないし、補足するとかそんなつもりもないんだけども、何となく、その時、凄い不十分な内容のまま終わってしまって、自分の中で不完全燃焼なので、ある程度キレイに吐き出せたら・・・とか、そんな動機でございます。
その内容と言うものが、そもそも「人の好意」とは存在するかと言う話が発展したものだった。
オレも確かに中二病全盛期には「人は全て悪意でできている」とか「オレは人からの愛情を受けることなく孤独に生きてきて、これからも生きていく」とか思ってた。「ぬくぬくと生きやがって」と、見下したような目で他人を見ていた。
でも、社会に出て10年以上・・・結婚もして、自分の家族を持った今、「人の好意」は絶対的に存在すると言う事がわかってきた。
家族・親族のような近しい人は当然として、それ以外にもありとあらゆる所でオレに関係する色んな人からの好意を受けに受けて、今日も、オレ(もしくはオレの家族)は、生きていけている。
そんな事をヒシヒシと感じてるからこそ、「この世に好意なんてない」と主張する弟に対して、いつになく声を荒げてしまったんだと思うんだ。
ここ最近弟とは、なんか「そうか。そうか。それで良いと思う。」で、別に口論するようなこともなかったのに・・・何となく許せなかったんだと思うんだ。
オレも色々ありましたよ。
社会に出てから10年以上、ホントに絶望することの方が圧倒的に多かった。
恨んでる・・・とは言わないけど、もう2度と会いたくない人もたくさんいるし、前職なんか、未だに会社への通勤路を車で走るだけで正気で居られなくなるくらい追い詰められた。
それでも、今の状況までやってこれたのは、色んな人に助けられたからとしか言いようがない。
人生においても、自分の思うように好き勝手出来る事なんてほとんどないと思う。
でも、それは、取り巻く人の数だけ考え方があり、そして、それぞれに意思があるからであり、全ての人が悪意的なものをもって、攻撃してくるからではないんだよね。
良かれと思ってやってくれている事が重なった結果、オレとしては、好き勝手出来なくなった。と言う事が多いのは事実だと思う。
その雁字搦め感が中二病のころは、許せなかったんだろう。
状況自体にはどうしたものかと思ったとしても、誰かに対して、敵対視するようなことはなくなった。
人は、なんで生きているのか。
哲学的にはよく出る話題。
なぜ生きているのか。と言われると、答えはすぐに出てこないかもしれないけれども、なぜ生きなければいけないのかと言われると、答えは意外と簡単だと思う。
好意と言う言葉が適切かどうかは知らないけれども、これまで好意を全身で受けて成長してきておいて、それを無為にして死ぬ事がどうしてできるか・・・。
望んで生まれてきた訳じゃあない。
好意なんて有難迷惑だと思ったり、好意なんて不要だ。死にたいと思う事もあるんだろう。
でも、それは本当に誰からも好意を向けられず、誰一人相談する人もいなくなって、死んでしまっても誰からも惜しまれず悲しまれず、かつ、遡っても「生きていて欲しい」と誰からも思われてない状況になって初めて思うべき事。
なぜか、ぱっと思い浮かんだ一場面・・・(↑)
それ以外の状況で思うようであれば、それはただの自己満足であり、むしろ、そう安易に思える環境や周りの人に感謝するべき。
オレも前職のホントに最後の方では、自殺すれば家族に迷惑がかかるから、暴走した車が突っ込んできてくれて死ぬことが出来れば、保険金が家族はしばらく食べていけるしいいよな。みたいな感じで、ずっと死ぬことばっかり考えてた。
会社なんてきつければ辞めれば良いだけだし、本当に困ったときには助けてくれる人もたくさんいたんだろうけど、追い詰められると、極端に視野が狭くなってそんな事は考えられなくなる。
周りの人の事とかも何にも考えられず、ただただ死ぬことばっかり考えてた。
今は、割と広めの視野で色んなことを見られる余裕くらいはあると思う。
望んで生まれ来たわけじゃない。誰からも疎まれている。早く死んでしまいたい。と毎日思い、カッターで自分を傷つけてたオレでも、今では、いろんな人に感謝しながら、今までもらってきた好意を今度は自分の子どもたちに向けて返していってる。
生まれてこなければ良かったとは思ってない。
幸せだとでっかい声で言うことはないけれども、本当に暗黒だった学生時代を含めても、悪くない人生だと思ってる。もちろん、今の段階での話だけれども。
取り合えず、弟に対してあの日言いたかったことは、「少なくともオレは、お前を大切な弟としてみてる」と言う話なんだよな。
そのオレに対してよく「この世には好意などない」とかよく言えたな。と。
結局、変な感じに歪曲されて伝わったみたいみたいだけども。
伝えるという行為も難しいものよ。
夜中に書いたので、凄く恥ずかしい内容になってる気がしないでもないけど、それもまた一興と言う事にしておきます。
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