2020年11月12日 22:51 CAT :
       

無題のドキュメント

少しだけ、生存報告を。

まぁ、毎週マンガ更新して、つぶやいてるので、死んでると思うやつもいないように思うけれども。

それはそれとして、ここ数日、夜になると、心がざわついてしょうがない。

吐露したら多少はマシになったりしないもんだろうかね。

そんな話です。ちょっとだけ。

これまでの人生において、本当の意味で後悔した、今も後悔していることは一つしかない。

オレは、妹がすぐ下にいた事と、両親が共働きだった事の関係で、幼稚園に入るまで、じいちゃんばあちゃんちで預けられて育てられた。

オレの子ども時代、下手したら両親よりもオレの中で割合がでかかったのは、そのじいちゃんばあちゃんだったかもしれない。

いや、それはもうホントに大事にしてもらった。今でも感謝しかない。

そんなじいちゃんが、倒れたのはオレが小学5年生の時だった。

とは言え、入院先で検査した感じでは大事はなかった。

その週末に母親の職場の旅行に兄弟で付いて行くことになっていたので、母親はその事を告げるついでにお見舞いにじいちゃんのところに行った。

母親はオレもお見舞いに連れて行こうとしたが、オレは「大したことないんでしょ?また、旅行から帰ってきたらお土産でも持って、顔見に行くわ」と、そのお見舞いに行かなかった。

その時やってたゲームが面白かったので、お見舞いがめんどうくさかった、と言うのが本音だったように思う。

そして、旅行に出かけた

2泊3日の旅行の2日目の朝、泊まっていた旅館に母親あてに電話がかかってきた。

入院していたじいちゃんが、夜に急死したと言う知らせだった。

夜、突然容体が急変したらしく、朝、巡回に来た時に死んでいるのが見つかったとか、そんな感じだったと思う。

信じられなかった。

それからしばらくは、パニックになっていて、断片的な記憶しかない。

新幹線の移動中に降りた駅のキヨスクでじいちゃんが大好物だった赤福をお土産に買った。

火葬の時、棺に一緒にいれたため、その包装紙の赤色が骨に染みて、腰のあたりの骨が赤くなってたのをぼ~っと見ていた記憶はある。

それが人生で初めて経験した葬式だった。

行ってたらどうなってたと言う話じゃあない。

行かなかったからどうだと言う話でもない。

でも、あの時ゲームなんかほっぽり出して、じいちゃんのお見舞いに行っておけば。

今でも、時々ふと思い出しては、涙が溢れてくる。

あの日の行動をオレはもう20年以上経つ今でも、ずっと後悔している。

あと一言だけでも、話したかったなぁ。と。ずっと思ってる。

なぜ、苦しんで生まれてきて、人生を頑張って生きてきたのに、最後にあんなに苦しまないといけないんだろう。

どの死に方を選んだとしても、苦しむんだよ。

楽に死ねると言う事は無いんだよ。

本当に最後の最後まで苦しいんだよ。

だから最後くらい、家族みんなに見守られて、少しでも心安らかになってほしい。少しでも感謝を伝えたい。どうせ伝えきれないだろうけれども。

ちょっとでも、苦しみが和らぐように出来ることは全てしたい。

その希望さえ奪われて、初めてコロナ禍の現状に対して、どうしようもない絶望を覚えた。

あと一年早ければ、あと一年遅ければ。

 

 

 

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