2021年7月4日 2:42 CAT :
       

オボロ影の術で消えてしまいたい中二病患者の戯言

チョッと前に少しだけ触れたお話しだけど、ここ最近、実家に行く度、親父がオレに漫画とか小説とかの本を押し付けてくる。

もう先が長くなくて、どうせ死んだら読めないから、遺産整理の一環として本を貰ってほしいと。

この前、あと20年生きて娘の子どもを見るぞ。とか言ってたくせに、何を言ってるのか・・・めんどくさい性格のおっさんだけど、少なくともオレは、まだまだ長生きしてほしいと思ってるのにな。

まぁ、あの親にしてオレありな訳で、考えてみれば、オレのばあちゃんも「死ぬ死ぬ詐欺」ばっかりやってたな。

オレも含めて、3代にも渡って死ぬ死ぬ詐欺を繰り返す、メンヘラ一族でございます。

さてさて。

そんな親父がオレに渡してくれた漫画の中に、白戸三平の「ワタリ」があった。

幼い頃から、親父には「面白いから読んでみろ」といろんな本を結構無理くり読まされた。

その中で一番最初に読まされたマンガがこの「ワタリ」だったように覚えている。(ちなみに、一番最初に読まされて小説は横溝正史の「本陣殺人事件」だったと思う)

オレが小学3年生くらいだったか・・・漫画と言うものを手に取り始めたんだよ。初めて買ったマンガは、ボンボン版のスーパーマリオの「ヨッシーのたまご」で、次に買ったのは、大長編ドラえもんの「のび太の恐竜」(但しセルコミックの方)だったはず。

そんな漫画を読み始めたオレを見た親父が、「漫画読めるようになったのか。じゃあ、面白いのを貸してやる」と言って渡してきたのが、この「ワタリ」と言うマンガだった。

ちなみに、今娘が小学3年生なんだけど、娘にオレはこの「ワタリ」を読ませようとは、到底思えない。

如何に親父が頭おかしかったか。と言う話ですよ。そりゃあ、オレも頭おかしくなりますよ。

「ヨッシーのたまご」 ⇒ 「のび太の恐竜」  ⇒ 「ワタリ」

この変遷・・・本当にいかがなものか。

ボンボン系マンガやコロコロ系マンガしか読んでなかった小学生が、ガロ出身の白戸三平を読むと言う事が、どれほどの衝撃だった事か。

とは言え、それ以来読んでなかったので、今回本当に久々に読み返した。

詳細はほとんど覚えてなかったんだけど、やっぱり小さい頃強烈に記憶していたシーンについては、しっかり覚えていたよ。

そして、凄い事に気が付いてしまった。

オレはかねがね、人生において衝撃を受けた漫画は「寄生獣」「カイジ」「無限の住人」だと思ってたし、周りにもそう吹聴してた。

でも、黴臭くて、ホコリの溜まった「ワタリ」を1ページめくる度に、オレの記憶の奥底に眠ってたマンガにおける原風景が次々と呼び起こされるんだよ。

自分のマンガの原点は「寄生獣」じゃなかった。

オレのマンガの原点は「ワタリ」だった。

小学生の頃、そりゃあやっぱり「ドラゴンボール」見てましたよ。「ドラゴンボール」の悟空に子ども特有の変身願望を重ね合わせて、カタルシスを体験しましたよ。

でも、ドラゴンボールのストーリーにどこかしらの薄っぺらさを感じていた。

「違うそうじゃない。」という想いが強かった。

「寄生獣」を手にするまで、ジャンプとかマガジンのマンガばっかり読んでたけど、どれを読んでも「違う。そうじゃない」と言う想いが消えなかった。

その全ての原因がこの「ワタリ」にはあった。

簡単にだけ、この「ワタリ」と言うマンガについて説明しておくと、この漫画はまず「忍者漫画」。それも「NARUTO」みたいなただ忍者と言う言葉を使っただけの似非格闘マンガじゃなくて、ゴリゴリの歴史もの(もちろんフィクションたっぷりだけど)。

伊賀忍者たちが住む百地の里と言う所がある。

その里では、非人(要するに被差別部落で生活に困窮している人ら)から育てられなくなった子どもを格安で買ってきたり、盗んできたりする。

その子どもたちが忍者になるんだけど、子どもたちには帰る場所がないので、忍者になるか、拒否した場合は死ぬかしかない。

例え忍者となったとしても、忍者は存在してはいけないから、村に戻る事は当然、自分の名前を語る事も許されない。死ぬ時は、自分で自分の顔を切り刻んでから死ぬ。

子ども達は、急に連れてこられて泣きわめくんだけど、1週間ほどご飯も与えず放置することで瀕死状態になって泣かなくなる。そこから洗脳を初め、忍者としての心得を教え込んだりする。

と言う、この超ハードな話がまず、基本の設定。

その上で百地の里には、忍者たちを縛る絶対の「死の掟」があり、その為、忍者たちは音羽の城戸と言う上忍の命令に歯向かう事は許されない。

そんな百地の里に、伊賀でも甲賀でもない、謎の第3の忍者「ワタリ」族がやってくるところから物語は始まる。

今のオレが読む分には、これメチャクチャ面白いけど、これを果たしてまだ歴史の授業も始まっていない小学3年生が読んで、どこまで理解できるのか・・・

もちろん理解なんて出来る訳がない。

しかも、この「ワタリ」と言うマンガ、こんなゴリゴリの忍者漫画でありながら、話のメインとなる部分は、忍者の悲哀でも、戦闘でもなく、前述の「死の掟」をはじめ、謎が謎を呼ぶと言うミステリー展開だったりするんだよ。

物語の根幹に圧倒的な謎が存在していて、その謎を解き明かしていく中で、どんどん他の謎が出てきて、一つずつその謎が明らかになっていくんだけど、圧倒的な謎については、本当に最後の最後まで分からないようになっている。

何重にも張り巡らされて謎は、到底1度読んだだけで理解できるようなものではない。

しかも物凄く重厚でどんどん謎も解明されていく第1部、第2部が実は、第3部の序章でしかなかったと言う途轍もない衝撃と、絶望的な終わり方。是非未読の人は読んで欲しいもんだ。

そんな漫画。これが「ワタリ」だ。と言うより、これが白戸三平のマンガだ。

今読んでも、遜色のない圧倒的なストーリー。

そして、これこそが、オレのマンガの原風景に他ならなかっただよ。

そりゃあ、「ドラゴンボール」のストーリーでは物足りないよな。

何より凄いのが、この圧倒的なストーリーが、ちゃんと伏線を回収しつつ5巻で完結する。

読み始めた少年が自分が読み始めた年と同じ子どもを持つ親になっても、まだ完結しないワンピースとは違うのだよ。ワトソン君。

ワンピースを読むなら、望月峯太郎大先生の「万祝」を読みなさい。同じ海賊ものでも、構成力の圧倒的違いを見せつけてくれるさ。

オレはジャンプのマンガとは違う、「寄生獣」とも違うマンガを描いてるつもりだった。

ひとつの大きな謎が物語の根幹にあって、その謎を解いていく中で、どんどん謎が出てきて、それを一つ一つ解明していくことで最終的に、大きな謎が解明される。

そんな物語を描きたかった。

そしてそんな物語が何故か好きだった。

その理由がひとえに、人生で一番最初に衝撃を受けたマンガにあったと言う。まぁね。そんな話ですよ。

所詮オレなんて、「ワタリ」の幻影を追って、真似してるだけの猿真似野郎ですよ。

人生において、途轍もない影響を受けた作品はやっぱりたくさん存在する。

一番最近では多分「さくらの唄」がそうだと思うけど、一番古いものがこの「ワタリ」だったと言う事らしい。

どうでも良いけど、白戸三平と言うと「ガロ」だとばっかり思ってたけど、この「ワタリ」の掲載紙は少年マガジンだった。

時代もあるっちゃあるけど、(↑)みたいなストーリーが少年マガジンに載ってたのか・・・まぁ、あの時代は「はだしのゲン」がジャンプに載ってた時代だもんな。

そう考えると、今のマンガってこれで良いのか?とか、そんな事もチョッと考えてしまう。

もう少し知識をつけようや。

同じような顔した女に囲まれてハーレムやっててもしょうがねえぞ。

(↑)ワタリはこんなマンガ。

生前、いかりや長介(志村けんだったかも・・・)がこんな言葉を言っていた。

「コントを笑ってくれるのは常識がある人。常識的な知識がない人はコントをしても笑ってくれない」

なんか、こんな感じの事。

基本的な知識がないと面白くない昔のマンガも同じことが言えるかもしれない。

なんか偉そうな上から目線の話になってしまった。

かく言うオレも、誰よりも白痴だからなぁ。

意識的に意欲​された自分自身の目的を追うことにより結果はどうあれ、我々は歴史をつくるのだ。

ロックンロ~ル!!!!!!!!!!!!

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