2025年12月15日 12:12 CAT :
       

あの頃の話を振り返る愚行を犯し続ける別にひとときでもなかった暗がり~その39

今年どこまで更新できるかなぁ~と思いつつ、取り合えず16話でちょっとした区切りになるので、そこまでは更新したい・・・と思っております。

取り合えず、16話までは書き終わっているし、「不動産売買であった怖い話」の方の最終話も無事完成したので、まぁ、何とかなるかなと・・・

あとは、お仕事をしつつ、今月中に「風を切る日々」第4部の2話目の作画が完了すれば・・・

何か予定通りに進んでる感じで、ディモールト気持ちいい。

お仕事でもこのくらい・・・いや・・・それは今は良いじゃないか。

と言う事で、来るべきその日まで少しでも多くの人を繋ぎ止めておきたいと言う邪な心意気で今日も今日とて書いていきますよぉ!

その前に一応、リンク張っておこう(↑)。

頑張って書いてるので読んでください。平に!平に!

さてさて。

第45話 高校2年生(14)「憧れていた没」

県民ホールと言うでっかい所での演劇公演のための台本執筆。

多分オレの人生において、もっとも創作活動で苦しんだ時期だったような気がする。

最も、これ以降から今までにおいて、ここまで大きな規模での作品発表自体をやった事がないんだけれども・・・

そして、最も苦しんだ時期であるが故にと言うか、最も沢山の作品を作り出した時期でもあるんだよね。

前回の記事でもチラッと触れたけど1ヵ月で演劇用の台本を5本ほど描いて、曲を10曲以上書いて、新聞の記事書いて、4コマ描いて、長編漫画を週に1話書きながら、短編漫画のネーム書いて、実際に、原稿も1話仕上げてた。

これはねぇ・・・もう狂気のレベルだと思う。

一つ一つのクオリティは置いておいたとしても。

しかも、もう少し後に本編でも触れるけれども、この県民ホールでの公演の台本については非常に不本意と言うか、不満が残ってる。

当たり前だけど、自分の好き勝手なことが全くできなかった。

この頃くらいからじゃあないだろうか、「漫画を描く事を仕事にしていいのか?」と迷うようになったのは。

自分の描きたい事、表現したい事を自由に描く事の難しさを知ったという意味ではこの体験は非常に良かったんだと思う。

まぁ、自分の好きに表現したものが評価される天才にしか許されない特権と言うものがあるんでしょうね。

ここから数話はほぼほぼ当時の時代背景に絡むネタがないので、昔のお礼絵を使いまわしております。

今回はこちら。

人生で初めてちゃんとしたレコーディングスタジオで録音したアルバム「ウミィ・マミィ」でございます。

プロがミックスとマスタリングして出来上がった音を聞いた時の衝撃は、ホント凄かった。

やっぱりプロは凄い。

みたいな話は、大学生以降の事なので、作中は出てこないけどな。

それではまた次回。

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