2011年7月6日 21:57 CAT :
       

殺害3秒前の遺書朗読

この世の絶望を全て、吐き出してしまい、それを一列に並べる。

そこを歩く人は、その絶望を仮想体験しながら、いつ終わるともない絶望に酔いしれ、やがて、生きることの意味を見失い、自殺する。

そんな素敵な「絶望の道」の妄想に取り付かれている今日この頃。

こんばんわ。

志茂田さんです。

実は、ココの所、オレは、人生の「撤収の時間」に差し掛かっている。

・・・様な気がしている。

これまでの「創造の時間」は終わり、これまでに作り上げた、例えばマンガであったり、例えば小説であったり、例えば音楽であったり、例えば演劇であったりをひとつひとつキレイに完結させていく時間。

新しいものを生み出す必要のない時間。

何だか、ひとつ。

ぷっつりと終わってしまったような感慨に打ちひしがれているわけですよ。

ココに来てふと思う。

これまでの生きてきたその一点一点において、何かしらを想い、何かしらを感じ、何かしらの形で生み出されたそれを、当時の事に思いをはせながら、改めてなぞり、そうやって、ひとつひとつを、当時出来なかった完全な形に作り上げていく作業。

なかなか、爽快だったりする。

まだ、先は長いけれども、この「撤収の時間」のあとにあるものが一体何なのか?よく分からないけれども、そんな事は、取り合えず今の所は、おいて置いて、何とはなしに、ひとつずつ。

ひとつずつだ。

明日、死んだとしたら、この文章は遺書になれば良いと思う。

でも、明日死ななかったのなら、また別の何かに少しだけ遺書を書こう。

そうしよう。

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