年別アーカイブ: 2011年

2011年1月27日 0:02 CAT :

The まんこ

自慢します。

久々に、「ぬるま湯ガリクソン」を聴いてみた。

そして確信する。

このアルバムの完成度は洒落にならない。

素晴らしい作品だと思う。

何で、このアルバムが完成した時に、駄作だと決め付けて、10枚程度しか刷らなかったんだろう。

ほとんど出回ってない。

でも、傑作だ。

現段階では、最高傑作。

そして、これを超えるような作品が今の所、作れる気がしない。

「夜景情景スカトロジスト」から始まって、名曲「瓶詰めの幼女」を経て、唯一自分の名前をタイトルに入れた「志茂田さんのプログレ」でまとめて、「2tマンボウ」で落ちる。

と言う、完璧な布陣。

うぬぬぬ・・・これまで、基本的に人に「どんな音楽やってんの?」と聴かれたときには、「脛毛おうじょと巨乳じいや」を名刺代わりに渡すようにしてた。

多分、この作品が一番分かりやすい作品が多いから。

そして、ボーカルがオレじゃないから。

でも、実は、「ぬるま湯ガリクソン」こそ、こう言う時に配るべき作品だったのかもしれない。

と思い直した15の夜。

ちなみに、今の所の好きな作品ランキング。

(↓)
1.MH信者
2.ぬるま湯ガリクソン
3.全身バター力士狭い部屋閉じ込め地獄
4.有江不尾 雄眞のレポート
5.良さ恋祭り
6.脛毛おうじょと巨乳じいや
7.影の上のボーニョ
8.永遠の向こうにある果て
9.鈍色の青空
10.オナニー遍歴
思えば、遠くに来たもんだ。

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2011年1月25日 0:20 CAT :

マンガの墓場

実は、数週間前から、原稿に向かって少しずつマンガを描き始めている。

1年位前から、構想を膨らませ続けてきた「夜誘う麦藁帽子」と言うお話。

この話の最後のつめの部分のイメージソースを膨らませるために、アートの街倉敷へと、嫁と2人旅に出たりもした。

結局、あの街には、そんな心ときめく作品なんてほとんど無かった。

(むしろ、最近見た、オレが幼稚園の頃の描いた絵のほうが圧倒的に心がときめいたし)
ただ、ひとつ。

思いっきり、美観地区から外れた所にある「蟲文庫」と言う古本屋にだけはやられた。

とにかく、素晴らしくいい感じの古本屋なので、ぜひぜひ興味ある奴は行ってみたらいいと思う。

んで、その本屋で一冊の本を買った。

マンガ同人誌「走馬燈」。

昨今の糞マンガの固まりな同人誌じゃなくて、ガロの系譜を受け継いでいる(様な気がする)本当の意味での同人誌。

昔ながらの同人誌。

立ち読みして、圧倒された。

この本を眺めていると、マンガって、こんなに自由に楽しんで、自分の世界を表現できるものなんだと、ヒシヒシと感じた。

こんな素晴らしい表現方法は、きっとこの世に無い。

パースとる事なんか、マンガを描く上で何の意味も成さない。

デッサンをとる事なんか、マンガを描く上で何の意味も成さない。

もちろん、もともと正確にパースを取ることも、狂わずデッサンを描くことも出来るのなら、それを表現のために存分に使うべきだと思う。

でも、パースを取れないからと、パースの勉強をするのは愚の骨頂だと思う。

そんな時間があれば、自分の中から、沸々と湧き出してくるどうしようもない衝動を形にする作業に没頭した方がよっぽど素晴らしい作品が作れる気がする。

この、「走馬燈」に収録されているマンガは、そうやって生み出された、どうしようもない(それでいて、圧倒的な)衝動の塊だった。

それは、まるで、ナゴム時代の筋肉少女帯。

今の時代に、こんな作品に出会えたことを喜びつつ、その日から、原稿用紙にペンを走らせ始めた。

下書きが終わり、今、ペン入れが半分ほど終わった所。

何のしがらみも無く、描きたいことを描きたいようにひたすら描き殴った27ページの作品。

「夜誘う麦藁帽子」。

素晴らしく良い作品が生まれつつある。

ただ、ここにきて、そんな事じゃあ、賞に投稿したりなんか出来ないことに気がついた。

でも、このまま描いていこう。

もう、マンガで、自分の妄想を表現できれば、もうそれで十分だ。

だから、Gペンを握る時間をくれよぉ~・・・

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2011年1月24日 23:12 CAT :

生きているうちに獲得したものは死んでゆく時に手放すだろう

沢尻エリカ死ね。

生き急ぐんじゃない。

今すぐ死ね。

なぜ、誰もはっきり言わないんだろう。

と、不可思議に考えてみる。

家に一冊の本がある。

(↓)
えびす
弟が買ってきた一冊の本。

タイトルは、「地獄に落ちた教師ども」。

蛭子能収が描いたマンガの単行本。

最近知ったんだけれども、この人の本って、3冊くらいしかない上に、ほとんど部数もないそうで・・・そんなマンガが家にある。

ほかにも、おそらく日本全国で1000はないだろう(下手したら100も無いかも)と言う本やCDがポツプツとあったりする。

で、このマンガ。

何か知らんけどすごい。

ガロで発表した作品が多いことから、そっち系な作風だということは誰でも想像つくだろうけれども、その中でもまた、ひとつ異質な作品だと言わざるを得ない感じ。

日野日出志のような、震えるような悪意に満ちた作風でもなければ、つげ義春のような、日常に隠されたどうしようもない哀愁を切々とつづるような作風でもない。

ただ、意味不明な世界観で、意味不明な出来事と言動が延々繰り返されるだけのマンガ。

見せ場も無ければ、落ちも無い。

テーマも無ければ、多分ジャンルだって無い。

(もしかしたら、シュールリアリズムか?)
ただ・・・この本は初めて読んだときから、どこか懐かしい、どこか知っているシーンの連続と言う、不思議な感覚にとらわれてしまう。

パクリと言う意味じゃあなくて。

考えてみた。

なんで、この本の内容を知ってるんだろう・・・?
行き着いた答えは、オレが、いつかどこかで見た夢の内容と酷似してた。

と言う、なんとも有り得ない結論だったりする。

オレはどちらかと言うと、夢を覚えている方の人間だと思う。

そして、なぜか、当たり前のようにアスファルトの隙間からお金が無尽蔵に出てくる夢を見たことがある。

そして、なぜか、息が詰まりそうな閉塞間のある教室で先生が生徒を殺す夢を見たことがある。

そして、なぜか、何のやる気も無く、誰も彼もが睡魔に襲われ続ける社会の夢を見たことがある。

そして、なぜか、塾の先生が手品ばっかりやっている夢を見たことがある。

多分、まったく同じ夢を見たなんてことは無いと思う。

ただ、この蛭子能収と言う人は、恐ろしく正確に自分の見た夢の世界観を、忠実に描写することの出来る作家なんだろう。

誰もが、必ず知っている夢の中の世界観。

覚醒した状態で見る夢の中の世界。

そんなものを楽しませてくれる素晴らしい作品が、家にはある。

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2011年1月24日 0:06 CAT :

金色のまんこについて

無限の住人の最新刊が発売になってた・・・ここ、最終章に入ってから、もうかなりの巻数が出ている。

そして、どんどんと佳境に向かっている。

毎回、最新刊では、終わりをヒシヒシと感じてしまう。

そして、この巻では、まさかの・・・

という所で、ネタばれはやめて置こう。

さてさて。

「紅の豚」を見た。

この映画を見た男の9割くらいは、本当にカッコいいというのはこう言う事だ。

と思っただろう。

オレも思った。

そして、この映画が第一次世界大戦が終わり、世界恐慌の中、次第にファシズムに傾倒していくイタリアの話だったこともはじめて知った。

(小学生以来、ちゃんと見てなかったもので・・・)そんな、戦争への風刺がこめられた作品だったとは・・・宮崎駿恐るべし・・・といった所か。

それはさておき、ではでは、日本人にとって一番理想的な男がポルコ・ロッソだと仮定したときに、一番理想的な女は誰なんだろう・・・と考えてみる。

ちなみに、オレがこれまでに読んだり、見たりした作品の中だけに限定して考えてみる。

んだら、意外と思い当たる人物がいない事に気がついた。

男ならいる。

たくさん。

好きな奴から、憧れる奴まで、もりくそいる。

でも、女・・・

昔、嫁の友達の彼氏と言う、オレからは10000億光年くらい離れた所にいるうんこ臭い奴が「おいしんぼの栗田さん」と言ってたらしいけど、まぁ、多分、そいつは頭がおかしいんだろう。

あんな計算高い奴が理想なわけがない。

峰不二子みたいなのも嫌だし、しずかちゃんも虫唾が走る。

レベルEのルナなんか、かなり良い感じだけど、いかんせんアウトロー過ぎるし、むげにんの凛みたいな奴もめんどくさい。

弥海砂なんてもっての外だ。

と考えていった時。

見つけたのは、「へうげもの」の「おせん」。

そして、このマンガに出てくる数々の女たち(茶々は除く)。

現状では、ここですごく自分の中では納得がいってる。

やはり、大和撫子に勝る理想的女などいやしない。

結論は出た。

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2011年1月22日 23:10 CAT :

結局、落ち着く所は彼岸島なんだろうが。メス豚が。

今話題の「進撃の巨人」を読んだ。

3巻とは言え、大人買いだ。

絵が下手とか言う人がわんさかいるけど、これは下手なんじゃあないと思う。

確かに、まだまだ改良の余地はあると思うけれども、マンガの画力としては、下手ではないと思う。

マンガを描く。

という作業に、「絵の巧さ」は必要なくて、「マンガを描く巧さ」があるんだから、それでいいじゃないか。

なんせ、吸い込まれるように読んでしまうのだから。

で、内容についてなんだけれども、ここについては、何だか過大評価な部分があるような気がする。

何か、この「ナウシカ」の延長線上にあるようなタイプのマンガなら、もうすでに「暁星記」と言う圧倒的名作が誕生してるわけで、どうしても、「暁星記」に比べて世界観の作りこみが甘いような・・・

あと、展開があまりにも遅い。

一見、スピーディーに展開してるように見えて、1巻後半から3巻まで同じ一日の同じ場所の展開と言うのは・・・これが、最終決戦と言うなら分かるけれども、まだ、序盤の何の複線も回収されてない状態のエピソードだからなぁ~
みたいな感じで、どうしても「暁星記」と比べてしまう。

あと、巨人ではないけれども、人間を食べる絶対的存在との戦いと言う点なら、我らが「彼岸島」があるじゃあないか。

初期の頃の「邪鬼」の描写と、この作品の「巨人」の描写もかなり似てる。

壁の中の世界がどんどん広大になっていって、砂丘が出てきたり、火山が出てきたり、至る所の隠れた集落があったり、崖に囲まれた五重塔が出てきたししないことを願う。

いずれにせよ、ここ最近の新しいマンガとしては素晴らしいパワーを持ったマンガだと思う。

良いんだ。

少年漫画は、テンションで面白ければ、展開が遅かろうが、設定がめちゃくちゃだろうが。

青年マンガで、もう十年に近く連載してて、もうギャグマンガ化した作品だったあるんだから。

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2011年1月11日 1:40 CAT :

肥溜めデザイン工学を学び倒す果てに

ここ最近の面白かったこと。


嫁と初詣に行っておみくじを引いたら、2人とも同じ内容。

一言一句まったく同じおみくじだった。

運命共同体過ぎる一年だと思う。

そして、もう「伊達直人」は飽きた。

一番最初は、結構ほっこりしてたけど、もうこの期に及んでは、今更感しかない。

ネタにする位なら、ちゃんと自分の名前で寄付でもすればいいのにな。

やってる事は、圧倒的に良いことなんだから。

頭の中が、「売れれば良い」に侵されてる事に恐怖を覚える今日この頃。

あんな、法則にさえのっとれば作れるようなうんこデザインばっかり勉強してるもんだから、気がつけば、自分の中にある個性みたいなものがなくなってしまったらどうしよう・・・と、戦々恐々。

デザインなんか、勉強するもんじゃない。

本読んで作ったデザインなんか、意味がない。

デザインは、きっと磨くものだ。

でも、現状では、磨く事よりも学ぶことを強いられている。

だから逃亡しよう。

明日から、嫁と旅立ちます。

アートの街へ。

どうか、探さないでください。

多分、探そうとする奴もいないだろうけど。

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2011年1月10日 1:37 CAT :

「千と千尋の神隠しを見て」 2年梅組 志茂田聾二

と言うわけで、先日放送された「千と千尋の神隠し」を見た。

なんだかんだで、ちゃんと見たのは2回目だったりする。

(これ以降の宮崎作品は1回すらちゃんと見てないけれども・・・)前に見たのは、公開当時、映画館でだったと思う。

家族で・・・帰りの車の中で「意味わかった?」と言う感じの会話に花が咲いたことを覚えている。

そんな感じだから、これまでちゃんと見ていなかった訳だけれども・・・

この作品。

驚くほどクオリティーが高い。

驚くほど面白かった。

こんなに素晴らしい作品だったとは・・・と、ただただ圧倒されてしまった。

確かに、(犯罪を犯してない方の)ロリコン宮崎と揶揄されるだけあって、幼女が恥ずかしい格好で、ひどい目に合わされてしまう。

お風呂屋で、汚い客の背中を流すとか、もう少ししたら、東京では見れなくなってしまうだろう。

裸を連想させる描写もしっかりあるし。

でも、独りよがりだの、何の面白みもないだの好き勝手言ってる奴には、本当にそんな事を言えるほど、見る目があるのか甚だ疑問に思う程、クオリティーが高い。

オレも、高校自分には、意味不明で、「宮崎はもののけ姫までだな」とか言ってたわけで、この年になって、やっと面白さが分かるようになってきた癖に、偉そうに言うアレも無いっちゃ無いけどな。

・・・ただ、面白い。

完全に、子ども向けアニメではないけれども、面白い。

・・・「ねじ式」のパロディーとして。

もう、不思議の世界って・・・「めめ」って書いてたり、「目医者」がいっぱいあったり「ねじ式」の世界観じゃないか。

そう思ってくると、油屋だって完全に「金太郎あめのビル」にしか見えない。

上に住んでるのが、産婦人科の先生なのか、子どもを抱えた魔女なのかの違いだけだ。

下手したら坊の存在も、産婦人科の先生の名残なのかも知れない。

線路の上を歩く描写も、電車の描写も何もかもねじ式だ。

ねじ式じゃないか。

そもそも、お風呂やと言う題材自体、つげ義春が頻繁に使う大好きなネタ。

そう言えば、その中に、お風呂屋で背中を流す女の話もあったような気がしないでもない。

ちなみに、そう思って、「千と千尋の神隠し ねじ式」でググッてみた。

ふ~ん・・・

宮崎駿と対を成す二大アニメ監督の一人押井守が監督したTVアニメ「うる星やつら」にの「決死のアルバイト空間」という話があるらしい。

この話が、「ねじ式」みたいな世界観を持つ不思議空間に迷い込んだ主人公が、「あしゅら湯」と言う「金太郎あめのビル」みたいなお風呂屋で、異空間の変な生き物の背中を流すと言う話。

そっちもついでに見てみた。

こっちの方が、かなり忠実に「ねじ式」をなぞっている上に、赤い服を着た「白」そっくりの少女も出てきたりしてた訳で・・・

もはや、私は感無量なのである。

まぁ、何しか「ねじ式」を一回でも読んだ事があれば、誰でも分かる程に、面白いパロディーだと思う。

「カイジ」と「ジョジョ」を熟読していないと笑えない「ハルシオンランチ」より分かりやすいと思う。

と、今更ながら「千と千尋の神隠し」について書いてみたりした。

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2011年1月2日 1:01 CAT :

はっぴぃえんど~風街ロマン

あけましておめでとうございます。

一年の計は元旦にあり・・・と、月並みに考えて、それをブログにでも書いておこうと思ってたのに、気がつけば、もう2日の1時。

今年は、このような感じで、おそらく、やろうと思ってた事が気がつけば期限が切れてしまっている。

と言う、1年を過ごす事になる。

様な気がする。

多分。

そう考えたとき、何だか世知辛い1年だ。

去年は、あまりにも素晴らしい1年だった。

今年が、去年以上に素晴らしいとは思わないけれども、かと言って、最悪な1年にはならないと信じていたい。

いやまぢで。

年末年始なんて、大掃除して、実家や挨拶回りして、いつものメンバーと酒でも飲んだらもう終わるように出来ているみたいで。

気がつけば、仕事が始まってたりするんだろう。

取り合えず、林くんは、間が悪すぎると思う。

それは多分、ひとえに本当に自分本位に何もかもを進めようとしているからなんだと思う。

そして、それに未だに気がついていない事が問題なんだと思う。

誰か言ってやれよ。

と思いつつ、毎年、毎回、皆して言ってるのにずっとそのままな訳なんだから、もうしょうがないか。

まぁ、その話は今は関係ない。

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