2016年10月28日 23:09 CAT :
       

ニュースチョクホー 後篇

うん。

色々忙しくて、少し間が空いてしまいました。

けれども、続き描きますよ。オナニー続編だ。

・・・と言う事で・・・、本当に暗黒の学生時代を過ごしていたオレも、なんだかんだと、中学3年生になっておりました。

中学3年生の時に、オレの担任になった先生こそが、引っ張りに引っ張ってきたあごの長いおっさんその人だったりする。

オレの通っていた学校は、どちらかと言うと不良やヤンキーであふれているような学校だった。卒業式には、特攻服の暴走族がたっぷり来たりするような感じの学校。

そんな学校だから、先生たちも良い意味でも悪い意味でも曲者な先生がたくさんいたと思う。

その中にいて、そのあご先生は、きっちりさせたい厳し目な先生だった。

最初の印象は「面倒臭い先生」。

なんかこれまでの先生方だったら有耶無耶になってたような細かい事までしっかりやらせてた。例えば、教室の掃除とか、給食を残すとかそういう事にメッチャ厳しかった。

ヤンキーだろうとそう言う事は許さなかったような気がする。

そして、学校のイベント事には全力でぶつかるチョッと熱血な人。ヤンキー学校なので、「なに運動会にまぢになってんの?」みたいな空気がクラス中に流れてたんだけど、それでも、「皆で頑張って優勝しようぜ!!」とか、平気で言えるような先生だった・・・と思う。

オレはオレで、中二病真っ盛りだったで、斜に構える事こそ命みたいなスレ方をしていたので、それはそれはこの先生とは距離を置こうとしてた。

ある日、なぜかそんな学校に、県下の優等生が集まって、学校の問題点を話し合うとかそんなイベントが催される事になった。

マスコミまで入って、テレビでも放送されるような結構大きなイベントだった。

で、あご先生は何を思ったのか、そのイベントの学校代表に、生徒会役員でもなければ、別に勉強が出来る訳でも、友達がたくさんいる訳でも、先生受けが良い訳でもないオレを指名してきた。

それどころか、それに渋い顔をしてた学年主任とかまで、説き伏せて、本当にオレが代表になってしまった。

今でこそ思うけれども、クラスで浮きに浮きまくって、誰からもほとんど相手にされていないオレを何とかしようとしてくれたんだと思う。

でも、当時のオレは「なぜオレが?」と言う気持ち半分、「遂にオレの才能に気付くものが現れたか」と言う気持ち半分だった。

ぶっちゃけ、ヤンキー学校で目立つ事しても、何のメリットもないんだけどね。

当日には、県下の優等生皆さんに混じって、偏差値が皆さんの半分くらいしかないオレが、賢い事なんかいえずに、あわあわしてた。そして、そのあわあわ具合は実際に、その日のローカルニュースで流れたりもした。

そのイベントが終わって、オレは少しだけあご先生の事が好きになってた。

とは言え、どう接して良いかよく分からないオレは、1週間に一度、物差しを持ってあご先生の所にいき「あごの成長具合を測る」と言う方法でしか、コミュニケーションがはかれなかった。

しゃくれてる人相手に、毎週そのあごの長さを測る。と言う、謎の行為にも、あご先生は毎週ニコニコしながら付き合ってくれた。

あだ名は「ロングロングアゴー」に決めていた。

そして、遂にあの日がやってくる。

それは、学校での道徳教育の一環として、学校の内外の人に道徳的な内容の演劇を公演する。と言うイベントだった。

あご先生は、その演劇の台本、演出になぜかオレを指名したのだ。

オレが、物語とかを書いたりしている事は、この段階では、誰にも話した事無かったし、そもそも演劇なんか1ミクロンも興味が無く、もちろん台本を書いた事もなければ、演出なんてした事もなかった。

でも、その事が嬉しくて嬉しくて、必死で物語を書いた。

人生で初めて自分ではない誰かの為に、文章を書いた。

何度書いてもうまくいかない。悶々と悩み倒した。何日も夜寝ないで書いた。

出来上がったものは、今考えたら尋常ではなく拙かったと思う。

でも、あご先生は「凄く良いのを書いてくれたな」と、その出来を褒めてくれた。

その日の夜。10時位に、その先生から家に電話がかかってきた。

「チョッと、○ページめのこの人の言葉の意味を詳しく教えてくれないか?」と。

あご先生は、オレの書いた拙い台本を、仕事が終わってからずっと学校に残って、手直ししてくれていたらしい。

そうして、本当に原型が無くなるほども直してくれたにも拘わらず、世間的にはオレが書いた事になっている、オレの処女作「べろ出しチョンマ」は、その後無事完成し、多くの人の前で公演された。

人生で初めて自分の書いたものが人前にさらされる経験。

それは思っていたよりも、気持ちの良いものだった。

これまで、陰々滅滅と誰にも見せることなく物語を書き続け、自分で自分をほめ続ける日々とは全く違うものだった。

その年の文化祭で、オレはバンドを組み、皆のコピーをしようと言う意見を無視して自分で作った曲にこだわり続けた。

高校に入ると、そのまま演劇部に入り、そこで、演劇用の台本と言う形で、物語を書き続けた。

バンドも続けてた。

これまで同様に自分だけの為の物語を書き続けながらも、外に向かって、何がしかの作品を発表するようになり、その結果、「ヘンリー・ダーガー」一直線だったオレの性格や、人生を大きく変えてしまった。

比例して「ニュースチョクホー」の執筆ペースは落ちて行った。

今では、陰々滅滅と「オレはズッと誰からも理解されず、一人で孤独に生きて行くんだ。多分、童貞のまま死ぬんだ」と、どす黒い物語を書いていた中学生自分から、正反対の人生を歩んでいると思う。

家族がいて、その家族を養うために、人の為にデザインを作り続けている。

本当に、あの時「ロングロングアゴー」が担任にならなければ・・・なっても、オレに色んな経験をさせてくれなければ、今もオレは一人で「ニュースチョクホー」を書き続けてた。それは、間違いない。

人生って何が起こるかわかりゃあしないですよね。ホントに。

あれ?オレは、何でこんな話しを書いてたんだっけ?

忘れちまった。

まぁ、いいや。

もう寝ます。先日から、のどの調子が悪いのでな。

161028aaaaaaaaaaaaa

ニュースチョクホーのキャラクターを手当たりしだいに描いてみた。

書き終わってから、一番大切な「りんぞー」を書いてなかった事に気が付いたけど、もう後のカーニバル。

おやすみなさい。

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